2010年11月21日日曜日

風呂についての考察・続

        Agua Cariente en Copan (Honduras) 2009 





数少なくないマレーシア・バリ旅を含めたシンガポール時代に強く感じたこと。 
それは”やっぱり、風呂って最高!”ということ。 

2001年にシンガポールに移り住み、自分専用のシャワーを浴びている頃には、そこまで感じなかった。 
それなりに清潔で、風通しの良い明るいアパートには、ご丁寧に2mの深さのプールまでついていて、週末には貸し切り状態で、一人、そこで本を読んだり寝そべったりして過ごしたものだ。 

ところが、サーフィンにのめり込むようになり、マレーシアの季節波では飽き足らなくなって、いよいよバリに足繁く通うようになった時、私はたまたま泊まった宿のバスタブの虜になり、遂にはその宿の常連となった。 

どんなに暖かい土地であれ、一日の大半を海の中で過ごせば、体はべたべたするわ、冷えきってしまうわで、お世辞とも心地よいとは言いがたい。 

そこへ待っているのが、お湯の豊富な宿のバスタブだ。 

バリというところは、宿の値段もピンキリで、安いところであれば一泊400円くらいで、朝ご飯付きの部屋が見つかることもある。 

しかし、私はこの、日本人御用達のサーファー宿を、最後まで手放すことが出来なかった。 

そして気付いてみれば、サーフィンは元より、そこの風呂に入りにいくことが、私のバリ往きの一つの楽しみになっていったのだ。 

更に滞在中、時間を見つけては一泊しにいくウブドの宿で、そのバルコニーに付いた屋外シャワーを、田んぼの風景を眺めながら浴びるのも、相当良かった。 

外で風呂に入るというのは、こんなに気持ちの良いものなのか、と改めて知り、将来は、屋外にバスタブの付いた家を設計して是非住もう!とさえ決めた。 

その夢は今でも変わってはいない。 
ただ、時間が掛かっているだけだ。(と、親切な皆さんは見逃して欲しい。) 

さてそうするうち、当初の計画とは裏腹に、今度はメキシコなどという、未開の地に住むことになった。 

そして来てみてわかったことには、ここの住居は、シンガポールやバリなどとは比べ物にもならず、風呂やプールどころか、ハリケーンの被害によって、雨漏りが日常茶飯の、全く驚くべき住環境であった。 

こちらの家作りは、暑さを凌ぐ為、密閉感が強くなっており、強い日差しを遮断するために、薄暗いことが多い家々の中で、うちは風通しが良いのがせめてもの幸運だった。 

真夏の暑い時などは、汗をダラダラとかきながら、どれほどシンガポール時代のコンドミニアム生活を懐かしんだものかわからない。 

けれど、本当に恋しかったのは、やはり、あの湯船に他ならず、それが証拠に、3年の滞在を振り返って、一番幸せだった瞬間は、と聞かれた時にすぐ浮かぶのは、ポールとの出会いでもなければ、サーフィンのメッカ、プエルトエスコンディードにいったことでも、バハカリフォルニアに行った事でもなく、それは、相棒のロケ先を訪れた際に立ち寄った、ホンジュラスの温泉でのひとときである。 

心からの安堵というのは、こういうことを言うのだろうなぁ、と感じ、自分はなんて日本人なんだろう、としみじみ思った。 

そしてそのあたりが転機だったようにも思う。 

自分は紛れもない日本人で、他の何者になることも、またなる必要もなく、今はたまたま国の外に居る日本人の血を持った旅人だ、ということに落ち着いたのである。 

ちなみにうちのシャワーは、性能が悪く、お湯が出ないことは日常茶飯で、相棒は、そんなことは一向にお構いなしで、さっさと水シャワーに入って行く。 

が、私はというと、水シャワーなら浴びない方がまだマシなので、家にある一番大きな鍋でお湯をぐつぐつと沸かしては、約2畳ほどのシャワー室にしゃがみ込み、沸かしたばかりの熱湯をタライにいれて、熱すぎず、さりとてぬる過ぎない程度まで水を増して、そのたった一杯のタライの水を、別のタッパーウェアで大切に掬い、ゆっくりと体に掛けながら、またそのお湯をタライに戻していく、という次第。 
しかし、その快感といったら、もう! 

端から見たら、何ともいじましい姿であることは、自分でも良く分かっている。 

しかし、ぬるま湯出し放題のシャワーを浴びていた時には感じなかった安堵感を、ただ、その場にただうずくまるだけで、どうしてそんなにも感じることが出来 
るのか? 

そのしゃがんだ姿勢が、農民時代の田植えの記憶を呼び起こすとでも言うのか? 
それとも、タライ一杯のお湯をチビチビと使い回すことが、元祖ケチ女のアドレナリンを刺激する? 

ちなみに、この夏、日本から買ってきた垢擦りで、シャワーを浴びながら体を擦っても、あまり何も感じないが、その場にうずくまって、おもむろに背中をごしごし擦ってみると、あら不思議。世界が突然ぱ〜っと開けたように快感になる。 


・・・という訳で、私の風呂への思いは、今後もまだ止むところを知らない。 

最終的にあちこち見て回ってお腹いっぱいになったなら、その時こそ、私は潔く帰国して、どこか鄙びた銭湯の番頭に落ち着きたいと密かに願っているのだが、あれって、どこで募集しているんでしょうね? 

もし誰か知っている人があったらそっと耳打ちして下さい。いや、まじで。






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2 件のコメント:

  1. 私も風呂付の家に住みたい!どんなに暑い場所でも日本人にとってフロは必要。身を洗う場所というより、もっと精神的な場所だよね。ひとっぷろ浴びると悩み事や嫌な事どーでもよくなるもんね。ここ数年眠れぬ夜があるのは風呂がないせいだったんだー!と今頃気づきました、はい。
    しかし銭湯の番頭って笑えるね。

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  2. mama taponeさん:

    そうかぁ、精神的な場所か。それは言えてるかもしれないなぁ・・
    ところで、眠れぬ夜があるの?それは一大事だ。
    あなたも是非一緒にドラム缶露天風呂やりましょう。

    あるいは、一緒に番頭ってのもいいわよ。(笑)

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