2012年9月28日金曜日

幸せと工夫は背中合わせ




                                    Peekaboo, A dentro de coche





最近気が付いた事。




それは、快適な環境にいる限り、ハプニングやカオスとは縁遠くなるので、私のような、落ち着きのない者は退屈し、ハプニングや冒険を求めて旅立てば、それに比例して、不具合や、不毛な環境が付いてくるので、疲労が次第に蓄積され、それにも辟易する、という図式。



つまり、快適な生活をしながら、ハプニングやカオスを求めるのは不可能に近く、ワクワクを重視すれば、そこには、快適さやスムーズさは同居しない。



良いとこ取りの人生、なんてのはあり得ないのである。





               ***





最近、勤務先のホテルに続く一本道の工事が始まって、もちろん、こちらの都合などお構いなく、真っ昼間に工事をするものだから、ラッシュ時間に車が延々と連なり、堪らない。




通常だったら、ものの10分で通り抜けられる道を、毎回1時間近く掛けて、ノロノロと進まなければならず、行きならまだしも、これが帰りとなると、仕事の疲れも加わって、ぐったりとしてしまう。




私はシフトの関係で、毎日、この渋滞を我慢しなければならない訳ではないけれど、それでも、忘れた頃に、この渋滞に巻き込まれて、しかも、それがクーラー無しのバスだったりした日には、かなりストレスが高くなる。




が、今日は、事情が異なった。




バスの中で、とある日本人と電話で話した直後に、”日本人ですか?”と話しかけられ、振り向くと、そこにかなり若目の女性が、にっこりと笑いながら立っていたのだ。



制服を着ているところを見ると、どこかのホテルの従業員なのだろう。





”電話の声を聞いてたら、日本語かなって思って。”と嬉しそうに話す彼女。
それを聞きながら、その隣に立っている別の男の人まで、一緒に微笑んでいる。
皆、渋滞したバスの中で、退屈しているのだろう。



こうなると、日本代表としては、黙っている訳にもいかぬ。



”私、学校でも働いてるのよ。”



というところから始まり、生徒にはこんな子がいる、とか、彼らはアニメに非常に詳しい、とか、彼らの知らない日本好きな、メキシコ人キッズの説明までしなければならない。






しかし、バスは一向に前に進まない。




話が一区切りついたところで、能率の悪いことと、愚図が大っ嫌いな私は、汗と疲れで一気にイライラを高めて・・・・いくはずだったが、怒る間もなく、またしても隣から質問。





”ね、日本のどこの出身?”




それで、仕方なく、今度は日本の説明をする。



”あのね、日本ってのはね、大きくはないけど、長いのよ。でね、うちは、その南の方にあって、メキシコから帰ろうとすると、これが、結構遠くてねぇ・・”




更には、地元が、メキシコでいう、オアハカみたいなところだということや、日本の全てが東京みたいに発展している訳ではなく、フィンカ(農園)や、自然もたくさんあることを説明すると、その子は目を輝かせて、こう言った。




”うちもおばあちゃんが、タバスコ州でカカオ農園をやっててね。”

”え?カカオ農園?”

”そうよ、カカオってね、こんなに大きいのよ。”




彼女は、車内の熱気で、鼻の下に大きな汗をかきながらも、一生懸命説明する。


カカオの実ってのは、これぐらいあって、その中に、豆があって、それがチョコレートにもなれば、ココアにもなって・・



そう話す彼女は、何だか、とても嬉しそうである。




私は相づちを打ちながらも、バスの流れが気になって仕方がない。



一体、どこまで進んだのか?



もう、たった一本橋渡るのに、どれくらい時間が掛かるんだよ!




姿勢を低くして、現在地を確認したくも、隣の彼女がにこやかに話し続けるので、チェックもできず、イライラする隙もない。





そうこうするうちに、(隣り合わせになってしまった関係で、逃げられない)話は、それぞれのお国自慢になり、(独立記念日の有意義な過ごし方まで教えてもらった。)彼女の大学でのコース内容(ホテルの従業員かと思いきや、インターンの学生であった)になり、しまいには、ラグーンのワニが最近、人を襲うのは、人口(?)密度が高すぎるからで、政府が、彼らを捕獲して、他のラグーンに移している話まで聞いたのであった。




途中で、何度か沈黙が流れ、その度に、本来の、気の短い自分を取り戻して、イラっとしようとする(?)のだが、なぜか、絶妙なタイミングで、また彼女が喋りかけてくる。




段々、合図値を打つのにも疲れてきて、もう、いい加減、一人にしてくれ〜!・・
と思った瞬間、バスは最後の渋滞地点を超えたのか、スーッと軽快に動き始めた。




やった〜!これで、うちにたどり着く!!




皆の顔に、安堵の表情が浮かんで間もなく、バスはセントロに入り、あれほどお喋りに花を咲かせていたお隣さんは、「じゃ、またね!」、と言い残して、他の大勢の乗客と共に、あっという間に消えて行った。




ガラガラになったバスで、吹き込んでくる夜風に当たりながら、やれやれ、と肩を下していると、ふとこんなことが頭をよぎった。





もしかして、幸せって、その状況を楽しむってこと??




例え、汗まみれでうんざりする状況にあっても、その場を楽しもうと、自分で、工夫する心の余裕が、その状況を、楽しくも幸せにもするってこと??





それが、いつも先へ先へと焦って、イライラしがちな私へのメッセージのように感じられ、バス停を降りてとぼとぼと歩いていると、いつも通りで見かける子供達が、うれしそうに歓声を上げながら、駆け寄って挨拶をした。





”何してるの?”

”遊んでいるんだよ!”





なんだ、幸せって自分で作れるのか。



次の旅は、タバスコ州のカカオ畑にしてみようかな。












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2012年9月8日土曜日

200ペソの重み・続

                                              La Empleada del Hotel




南国を旅した人なら、わかると思うけど、彼らの仕事ぶりは、往々にして遅い。


計算も、電話の対応も、ビニール袋に商品を詰める手も、郵便局の対応も、どこに行けども、延々と待たされる。


それから手際も悪い。
日本人の我々がやれば10秒で済むようなことでも、彼らの手に掛かれば、どうやったら、そんな風に出来るのか、というくらいに、要領を得なかったりする。


前のホテルで働いていた時に、絶世の美女がいて、その美貌、その魅惑的な笑顔に、スタッフ、お客ともども、魅了されていた。

性格も良い子で、それは充分にわかっているのだが、彼女に仕事を頼むと、そのあまりにも”出来ないぶり”に、ちょっとしたショックを受ける。

入った当時は、他のスタッフが超スピードで働いている時も、彼女だけは、ただニコニコと座っているだけで、一体どういうことなのだろうと不思議に思ってはいたが、最終的には、悟らずを得なくなった。


頼めば後々、こちらの仕事が増えるだけなので、それなら最初から、何も頼まずに、機嫌良く、お客さんとの窓口でいてもらった方が、お互いの為に良いのである。


そう。誰がなんと言おうと、彼女には、美貌と笑顔という「武器」がある。


そこに座って微笑んでいるだけで、通りかかる人々は癒され、また気分を良くし、彼女に笑い掛けられただけで、お客は何か特別なサービスを受けた気になるのである。


泥臭い作業や、細かい裏方の仕事は、我々、「ガテン系」がこなした方が、早くてスムーズだ。


お互いにないものを、求め合ったところで、それは時間の無駄というものであり、それぞれが、持っているものを、十二分に発揮さえすれば、それで良しとするのが、一番の解決策だと思うようになったのも、ここにたどり着くまでに、色んな葛藤があったからだ。




それはさておき、日本から来られるお客さんから、”スタッフの皆さんの笑顔が素敵で、本当に癒されました。”というコメントを頂くことがある。

それはうれしい限りではあるけれど、同時に思う。


彼らの笑顔の対価に対して、その方々は、何かを返したかのだろうか、と。


彼らは、我々がそれをどう評価しようとも、持っているありったけの資産を、日々、皆さんの前に惜しみなく差し出しているのであり、それは、善意とかそういうこととは、全く異なる種のもの--日々、生き延びるための、サバイバル・ウェポン--なのだ。


彼らには、往々にして、長期的なビジョンがない。

というか、長期的なビジョンを立てるのに、十分な収入が、約束されていない。

それから寿命も、先進国のそれに比べて短い。

人が簡単に殺されたり、死んだりするのが、貧民国の現実である。

職場で誰かが病気になると、その為の募金が回ってくるのも、いざという時に、頼れるだけの蓄えが、彼らにはないからである。

そんなの、日頃貯めておけばいいじゃない、と言ったって無理である。

なぜなら、これこそが、「文化の差」であり、子だくさんで、子煩悩、親孝行な彼らが、家族に日々食べさせて、学校に行かせてたあとに、残るお金なんて、たかが知れているのは歴然の事実だからだ。


そういう訳で、彼らは、厳しい条件の元、本当に良く働く。

文句なんて言っている暇などない。仕事があるだけ、ラッキーなのだ。


だから、例え給料がどんなに薄給であっても、割が合わなくても、ご褒美のチップを頼りに、今日も、明日もひたすら頑張り続けるのである。


彼らの笑顔を見て、幸せそうですね、とコメントされる方もいる。


そう、彼らはある意味幸せだと思う。


身の丈以上の欲望を頭から持たない、という、シンプルさの部分では。

彼らは、私たちより、よっぽど現実的な世界に根ざして生きている。



だから、汚れたお皿を下げ、シーツを洗い、バスタブを掃除し、窓をピカピカにし、重い荷物を運び、床に落とされたコップを瞬く間に拾い、救急箱を持って走る。
言われれば、薬だって、花束だって買いに走る。


もちろん、皆さんはお客さんとしていらっしゃるのであるから、パンフレットのイメージ通り、”ロマンティックジャーニー”や、”カリブの宝石”の世界を多いに堪能して頂きたい。


けれど、その表面的な部分だけを見て、”チップって要らないんですよね?”と、真顔で質問されると、間に立つ私は、困ってしまう。


なぜなら、チップが要らないと書かれてあるのは、ホテルの経営者(富裕層)が、便宜上謳っていることであり、実際、植民地を長い間支配する立場であった白人国の人たちが、事情をわきまえていた上で、彼らにチップを渡し、有り難がられていることを知っているからだ。


我々日本人は、ほぼ単一民族の国で、人を支配することにも慣れてなければ、ごく自然に、チップを渡す、という行為には慣れていない。すべてが横並びで階級さえない。

だから、あげたくないということではなく、良くわからなくて、面倒くさいというのが、正直なところだろうと思う。


しかし、別に不自然でも、タイミングが悪くても、そんなこと、どうだって良いのだ。

それが、感謝の気持ちを表わす行為であり続ける限り。

暑い中、ご苦労さま、というねぎらいの心の現れである限り。




楽園での休暇は楽しい。

けれど、その楽園は、その後ろで汗水垂らして働き、私たちが楽しく過ごせるよう、いつも気を配って、見てくれている人がいるからだ。


そんな彼らも、私たちと同じ人間で、プールサイドで我々が憩う姿を見ながら、一生行く事もない日本に、淡い思いを馳せているのだ。

きっと、素敵なところなんだろうなぁ、と夢に描きつつ。



自分の持っているものの中から、ほんの少しだけ、何かを人に差し出す勇気を出すことが出来た時、私たちの旅、そして人生は、より深い味わいを伴って、甘くてほろ苦い、思い出となるのかもしれない。

そしてそれは、いつまでも、あなたの胸に輝き続けるだろう。

この、青く広がるカリブの海の瞬きように。

果てしなく、そして永遠に。




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2012年9月7日金曜日

200ペソの重み



                                                                                   200 pesos de Mexico



200ペソと言えば、日本円で1200円のことある。


日本でいえば、あまり大きな額ではない。


けれど、こちらの貨幣価値で言えば、もちろん安い額ではない。




昨日は、車の調子がおかしかったので、近くのバス停までタクシーで乗り付けた。運賃は、初乗り分の25ペソ(150円)。

別にバスで乗り継いで行ってもいいのだが、朝の一分一秒は貴重な訳で、お金を払って、時間を買うことにする。

さて、勢いよく乗り込んだまでは良かったが、財布を覗いて、はっとする。


”ね、200ペソでお釣りある?”

”ない。”



そう。日本のサービス業とはうって変わり、こちらで大きなお金を出して、おつりがあることはまずあり得ない。


仕方がないので、先日もらったチップの1ドル札を2枚渡して清算とする。


次に、ホテル方面のバスに乗り変える。

朝のバス停は混んでいて、なんとか乗れたのは良かったが、ここでも200ドル紙幣は嫌われ者だ。


”おつりがない。”


と運転手が一言。


最初は、聞こえなかったふりをして、素知らぬ風を装っていたが、意地悪顔の運転手は、”おい、どうするんだよ、お金。”とすごんでくる。

たかだか8ペソ50セント(50円)なんだから、いいじゃない、見逃してくれたって。


だいたい、サービス業に携わりながら、おつりを用意しないとは何事よ、と文句の一つでも言いたいところだが、こういう人種には、言うだけ無駄だと分かってるので、軽めに再確認する。


”ないの、おつり?”

”ない。”


運賃箱をちらりと見ると、50セントや1ペソ、2ペソはたくさん並んでいる。
しかし、これを全部くれたところで、200ペソのおつりに及ばないことは明らかだ。


仕方がないので、バッグをごぞごそとやってみる。


こっちのポケットに3ペソ。財布からこぼれた小銭が4ペソ。


と、隣から1ペソ差し出す手がある。
そして、次に左から1ペソが出て、やっとこれで、8ペソ50セントが揃う。


助けてくれた同士の皆さん、ありがとう!


そう。この国では、貧しい者が、実によく助け合って生きているのである。




例えばバスに乗る時、乗客は、ごく普通に運転手に挨拶をする。

”おはようございます。”

”こんにちは。”

”こんばんは。”


ベビーカーを持った人や、お年寄りが乗り込んでくると、前に座っている人がさっと立ち上がって、手を差し出すし、乗り合いバスの場合は、この挨拶が、乗っている人、全員に向けられる。


更には、これが長距離バスになると、長旅を楽しむために、運転手の隣に誰かが座って、世間話を始めたり、隣同士に座っている人が、食べ物を交換するのを皮切りに、話し始める、ということも頻繁になる。


・・・と話が反れた。


1ペソ、2ペソの世界に生きている、労働者階級の彼らではあるけれど、誰かが困っている時には、惜しみなく自分の持っているものを差し出す、というのが、ここ、南国風の風習だ。


うちの近所の角屋にいく。


携帯のクレジットがなくなったので、一気に500ペソ入れようとして出向いたのだ。

500ペソ(3000円)というのは、こちらではもちろん高額だけど、これを払えば、おまけで400ドル付いてくる、というのが、電話会社の仕組みである。


しかし、この規模の小さな商店で、500ペソのカードが置いてある事は、ほぼ、皆無に等しいということは、読者の皆さんもご想像通りである。


ないと即答され、それで、仕方なく200ペソの方にする。


・・と、お店のおじさんが書き込む帳簿を見てみれば、クレジット購入額の欄には、多くて50ペソ、だいたいは30ペソ、10ペソ、という2桁の数字がほとんどで、どれだけ彼らの懐が貧しいか、ここでも計り知ることができる。


ちなみにこの国では、電話会社は独占企業であるがために、電話代は、日本のそれと同様か、それよりも高い。


生活水準に合わないじゃないか、という方がいるかもしれないが、それが道理に合おうが合うまいが、ここではそれは、「そういうこと」としてまかり通っている。


貧富の差の激しい後進国で、いくら庶民が声を大にしても、変えられないことなど、5万とある。


不公平が当たり前。
持って生まれるのは、社会的階級であり、誰それが、何かを一発当てて、一夜にして百万長者になる、なんていうのは、先進国でしか叶えられない夢である。



そういう訳で、彼らは、自分の現実と向き合って、回りと助け合いながら生きている。


目の前に困難があろうとも、拗ねず、腐らず、実に忍耐強く、本当に偉いな、と思う。




微笑みの国タイ、という言葉を皆さんは、ご存知だろう。


東南アジアの貧しい国々を訪れると、そこにいる人々が、我々に、はっとするような美しい笑顔を向けてくれる。


それはここ、メキシコでも同じ。

通りで人に微笑みかけられて、曇っていた顔が、晴れることがたくさんある。

しかし、この国に住んでしばらくして、私はある時、気がついた。

それは、彼らの笑顔が、彼らに取って、れっきとした資産だということを。






(続く)


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