2012年12月23日日曜日

クリスマスの小話






                                                             Aaron, born in Dec, 2012
     






先日、勤務先のホテルから、スタッフ全員に、七面鳥が贈られた。

クリスマス用のギフトとして送られた物なのだが、5キロもある肉の固まりを受け取って、私は途方にくれた。


私には、この肉を一緒に食べてくれる家族がいない。



相方とは、体調の思わしくない両親とクリスマスを過ごすため、昨日、単身でアメリカに旅立った。



それに反して、クリスマスのイベントと重なって、ホテルの仕事は多忙を極め、私にはクリスマスはないものと、決めて掛かっていたところに、突如として、この七面鳥が現れたのだ。晴天の霹靂とは、まさにこのことである。



他のものならともかく、日本では馴染みのないこの食べ物を、一体どうすればよいと言うのだ?



捨てるのは、気がとがめるし、だからといって、誰かにあげるというのも、癪に障る。



“あんなに大きな肉、どうすればいいの?”と、昼休みに従業員食堂でぼやいたら、たまたまそこに居合わせたバトラーが、“それだったら、◯◯に売れば言いよ。誰か、売りたい人、いないかって探していたから。”と言う。


そう聞けば、願ったり叶ったりだ。


ずっと忙しさ続きで、七面鳥どころか、最近は、料理する暇もなければ、ゆっくり家で食事を取る暇もない。


起きて、仕事にいって、帰ってきて、ネットをチェックして、寝床に入って、また起きて・・・の繰り返し。


こんなことを望んで、働いている訳ではないが、1月に客足が落ち着くまでは、我慢するしかない。


 

何はともあれ、買ってくれるという人も現れて、ひと安心。
休憩後は、残った仕事を一気に片付けた。

そして、シフトが終わる時間に席を立って、はっとした。


誰も、七面鳥を取りに来なかったではないか。

しかし、これは、メキシコでは実に良くあるパターンなのだ。


来ると約束して、来ない。

買うと言って、買わない。

払うと言って、払わない。



もう、怒る気も失せるくらい、こういうことが日常的なのだ、この国では。


馬鹿馬鹿しくなったので、仕方なく、肉の入った重いビニール袋を担いで、帰路に着き、家に帰って、冷凍庫を開けてみたが、およそ入る余地もない。


そこで、しばらく考えたあとで、相方に、誰か、私の代わりに七面鳥を料理してくれる人はいないかと尋ねてみたところ、知り合いのアメリカ人女性に、聞いてみてくれるという。


彼女は、今こそリタイアしてしまったが、ここで、観光客用のケータリングを長いことやっていたのだ。


しばらくして、承諾をもらったので、有り難くお願いすることにし、ほっと一息付いたところで、次なる疑問が頭に浮かんできた。


焼き上がった七面鳥を、どうすればいいのか?


一人で食べるなんて、あまりにも味気なさ過ぎるし、かといって、この時期に、自宅に人を呼んで、あれこれ気を使うのも、煩わしい。

それならいっそ、日本語の生徒を呼ぼうか?いやいや、未成年だからそれはまずい。


だからといって、誰か呼んだとしても、とても、2人や3人では食べきれる量でもないし、結局、そういったことを、ぐるぐると考えていると、それだけで疲れてしまった。
いつものパターンだ。



私の母は、良くこう言った。


“ものはあればいいってものじゃない。ものが増えれば、それに対する責任が付いてくるし、身動きも取りにくくなる。だからものは、最低限であるに超したことはない。”


本当にその通りだと思う。


欲しくもないものを貰ってしまったばかりに、あれこれ気を揉まなければならず、振り回され、消耗するばかりではないか。

だんだんイラついてきたので、相方に電話して、こう言った。
“やっぱり、要らないから、誰かにあげるようにダイアナに言って。”

私の為に、わざわざ出先から取りに来て、その足でダイアナに届けた彼は、これがかなりカチンときたらしい。


“君の為に、ない時間を裂いて、取りに行ったんだ。今更、辞めるなんて言わないで欲しいね。誰もいなくったって、一人で食べたらいいじゃなか。余ったら冷凍すれば、いつまでも持つだろう?”


“だから、そういう話をしてるんじゃなくて、私には、家族がいないから、それが嫌だって言ってるの。”


“そんなこと、僕がどうにか出来るとでもいうのか?”


こうなると、話はいつもの悪循環である。


話が全くかみ合わず、ストレスも頂点に達したので、早々に電話を切り、翌日は休みだったので、何も考えないように羽を延ばし、翌々日、ホテルに出勤してロビーを歩いていると、ホテルのドライバー、ラファエルが、こちらに歩み寄って来た。


このラファエル、日本に関心があるのか、いつも 好意的かつ物腰も柔らかく、挨拶してくるのである。

まるで日本人であるかのように、深々とお辞儀をし、“こんにちは。”とか、“少々お待ち下さい”とか、新しく覚えた言葉を何度も繰り返し、言ってくる。


私が従業員食堂で、食べている時もそれは同様で、必ず一言二言、話しかけてくる。

人で込み合って、他のメンバーが、何か、別の話題で盛り上がっている時も、遠く離れた机の向こう側から、その話を遮るかのように、日本に関する質問を、次から次へと投げ掛けてくるのである。


そして、ある時私は気がついた。


彼は気付いているのだ。容赦なく続く、早口のスペイン語の会話の中に居て、私が、疎外感を感じていることを。


他のスタッフは、大概、自分のことに精一杯で、他人のことなど、気に掛ける様子もなく、自分達の話に興じている。そして、彼らには、そうする権利がある。


けれど、大勢に囲まれて、何か、おかしなことを言って皆で笑っている時に、自分だけ、その内容が理解できず、ぽつねんとしていることが、決して快適ではないことも、また確かなのだ。


ラファエルは、いつも通り、礼儀正しく挨拶をしたあとで、七面鳥はまだあるかと聞いて来た。なんだ、欲しいと言っていたのは、彼のことだったのか。


そして、当日取りに来なかったのは、お抱え運転手の身の上にて、ホテルに居なかったからだということも、容易に想像できた。


が、ないものはしょうがない。“残念だけど、ちょっと遅すぎたな。もう、他の人のところに持って行ってしまったよ。”と告げると、“それならば結構です。”と彼。


しかし、不思議なのは、皆貰ったはずなの七面鳥を、どうして他にも欲しいのだろう?
家族一つ賄うには充分すぎる量であるのに。


そこで再び尋ねると、彼は、こう言った。


“私は、毎年、 貧しい家族に、七面鳥を送るプロジェクトを行っています。家族は全部で20以上あるので、売りたいと希望する人が居れば、その人から買って、それを届けているのです。そうすれば、普通の値段で買うより、安く買えるので、”と。


私は、その事実に驚くと共に、自分の軽率さを恥じ、代わりに、料理済みの七面鳥は要らないか、聞いてみた。

彼は、私に心配しないように言い、来年、是非また協力して下さいと言って、それで会話は終わるはずだった。


が、その時、突如閃いたことがあった。

そういえば今朝、とある代理店の方から、クッキーの箱を頂いたのだ。
クリスマスの贈り物に、と送ったクッキーのお返しにと、受け取った、別のクッキー。



私は彼に、少し待ってもらうように言い、ロッカーのかばんの中から、何枚かの紙幣を取り出して、封筒の中に入れた。


このお金は、相方が、今朝、私のバッグの中に、スタジオを尋ねていった交通費にと、こっそり入れてくれたもので、その脇に、クリスマスに、誰かにあげようと思って作っていた、自作のサンタクロースの折り紙を添えた。

結局、代理店からのクッキーに、相方から貰ったお金、そしてサンタクロースが勢揃いして、私は、それを彼に手渡した。


贈り物は、彼を通して、その家族に渡されることになった。


彼は、深々とお辞儀をして私にお礼を言い、私は彼に、贈り物をさせて貰えるチャンスをくれたことに対して、感謝を述べた。

独りきりで過ごすことに沈んでいた私の心は、こうして、やっと軽くなっていった。



クリスマスを共に過ごす家族がいないことは、寂しいことではあるけれど、
でも、代わりに、他の知らない誰かと繋がるチャンスを、私は受け取った。


そして、それが私に取っての、何よりものクリスマスギフトになった。

一年で、一番愛に溢れるこの季節に、誰かと、心を通わせ合うことが出来た奇跡に感謝して。



皆様に取って、素敵な一日となりますように。

メリークリスマス!




2012年11月23日金曜日

雨季のバリは








雨季のバリは予期せぬスコールとの追いかけっこ
いつ来るかわからない
そして当たったが最後
上から下までずぶ濡れになってしまうからとっても大変




降るかな、降らないかな?
空を仰ぎながら、しばし思案するも
いくら待っていても答えが出ぬまま、鈍よりと不安定な空を背に出掛けてみる




見事に降られて、見るも無残な姿で帰る時もあれば
無事にやり過ごしてほっとしながら、帰ってくる時もある




雨季のバリはスコールとの追いかけっこ




そして雨上がりの大地に、真っ赤に染まった夕日が大地を照らし始めたら、バイクを止め、
その偉大なる存在と美しさに敬意を払い、彼女が通りすぎて行くのをしばし見送ることになる。




静粛かつ、荘厳な瞬間。





大切な瞬間は、いつも静寂の中にある。















(20060204日)

















月明かりの下で



 しばらくお休みしていたブログですが、来たる新世紀に向け、昔書いたままでいた原稿をアップすることにします。



               *




昨日もまた眠れなかった。 


眠れない時は無理して寝なくてもいいのよ” 


と言って励ましてくれた友人がいたけれど、それにしても、眠れない夜が幾晩も続くと、頭は重く鈍い痛みを伴って体の上に居座り続け、神経が張り詰めた体は、妙な緊張感を伴って、不快感がどこまでも広がっていく。



どうしたら、いいのか。
どこへ行けばいいのか。
自分に何ができるか、そして何がやりたいのか?



ここにはいられない。
何かが違う。
ここを出なければいけない。



でも何処へ?どうやって?



何かを始めなくては前に進まなくて、でも何をやっても間違いであるような錯覚に捕らわれて、結局は同じことをぐるぐる・ぐるぐると考えて続け、そして答えは一向にでない。
だから夜も眠れない。



どこにも行きようがない自分がいる。



いても経ってもいられなくなって、宛てもなく、街へ飛び出した。
自転車に飛び乗って、用もない路地を一つ一つ入って、明るくネオンが照らす街並みの、楽しそうに
行きかう人々の間をすり抜けて走っていった。



遠い昔にかつて過ごしたこの街も、もはや自分には馴染みのない場所のように、ビルまたビルで
ぎゅうぎゅうに押し詰められ、行きかう人々も、私には知る由もない若者ばかりだ。



ペダルに力を入れて、街を後にしてずっと漕いで、海の方角に向かっていった。



海際の夜道は、薄明かりのある倉庫が一つあるだけの、退廃した雰囲気が漂っていて、人気もなくどことなく薄気味悪い感じがする。



嫌な感じがして、今度は方向を変えて、近くの丘に向けて走っていった。春に、友達が写真を送ってくれた、桜の綺麗な丘だ。



急勾配の坂道を登っていって、鳥居をくぐると、そこには突然秋の気配が漂っていた。


虫の音がして、街には珍しい民家が立っていて、そして木が立ち並び、緑の香りがした。秋の香りだ。


暗い山道を、今度は展望台の方に向かって更に坂道を上っていくと、そこから先は家もなく、ただ木立だけが立ち並び、暗い夜道と私と自転車だけの空間だけが広がった。


しばらく漕いで、頂上に着いたとき、また、例の錯覚、自分がどこにいるかわからなくなる感覚
陥った。


シンガポールの、Mt. Faborの丘の頂上に似ていた。


きっと、本物のMt.Faborも、美しい夜景を今日も照らし、そしてたくさんの明るく活気ある観光客で賑わっているに違いない。


帰りたい。でも、もう、引き戻せない。


私は、魂を向こうに忘れてきたのかもしれない。


先日、沖縄の友達としゃべっていたら、突然、「魂、戻って来い」という意味の沖縄の言葉を教えられ、胸に手を当てながら3度唱えなさいとアドバイスされた。


傍からみても、なんだか今の自分は、ちぐはぐに写るのだろうか?


下界に広がる景色を目の前に、そんなことをぼんやりと考えながら、振り返ると、頭上には、美しく、静かながらも存在感を持った月が、こうこうと、大地を照らしていた。


明るい月だ。
満月ではない、三日月なのに、とても明るい。


照らされた木々は月の明かりを受けて、うれしそうにそこに佇んでいるようにさえ見える。


その光景を見た瞬間、この月は、富士山で見たのと同じ、あの月だ、と感じ、それで、急いで、仲間達にメールを送った。


今は散り散りになってしまったけれど、貴重なひと夏の体験を共有した同士達だ。


1人、2人・・と返事が戻ってきた。

3人、4人・・今、外に出て、月を見ているよ、と返ってきた。


こういうことなのかもしれない。
私が探していたこと。


月をみて、おーいと呼びかけてみると、あちらからも、おーいと戻ってくる。


多分、その声は、街中や太陽が燦々と照った日中には掻き消され、届かないけれど、でも、いくところにいけば、はっきりと聞こえてくる。そんな声。
そんな感覚。


耳を澄ませれば聞こえ、目をよく凝らせば見えてくるもの。


坂を下り、かつて、私が子供の頃に自転車で走り回った公園を一周していたら、当時、大好きだった
ジャングルジムが、まだ、そこにいて、静かにこちらを眺めていた。


30
年前の自分を知っている風景が、まだそこにあった。






(20061004日)










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