2011年12月31日土曜日

チャンネル



帰国の際、フライトの都合により、イブの夜、L.Aのホテルで一泊することになった。

家を出るまでバタバタのし通しだったので、その晩は食事も取らずに熟睡し、クリスマスの翌朝、再び東京行きの飛行機に乗る為に、早々にホテルをチェックアウトし、リムジン乗り場に向かったところ、すでにそこには何人かがいて、同じようにバスを待っている。

クリスマス日のリムジンは混んでいるらしく、すでに短くはない間、バスを待ち続けていることが人々の表情から伺える。

と、その中に、一際目立つ女性がいて、というのも、彼女の身につけているものが、センス溢れるもので固められていて、一体、どこでどういう暮らしをしているのだろう、と想像せずにはいられない趣だった。

しばらくその人の身に着けていたものをまじまじと眺め、一言話し掛けようかどうしようかと思っていたところで、ちょうどリムジンが入ってきて、彼女は私の方を振り返って、‘やっと来たわ!‘と言ったのだが、それは回送用らしく、私たちを乗せずに通り過ぎてしまった。

こういう状況になった時、アメリカ人は実に気軽に言葉を交わす。

‘あーぁ、行っちゃった。‘と、私が呟くと、`本当にねぇ‘と首を振る彼女。

‘そこから打ち解けて、私たちは何となく話を始める。

‘今年、母が亡くなったから、親父の顔を見に帰るところなんだ。‘と言う私に、‘あぁ、わかるわ。私も数年前に親を亡くしたから。‘と彼女。

パートナーがカンボジアに住んでいるので、これから東京経由で行き、一ヶ月を現地で過ごすと言う。

アンコールワットは、私が行った旅先の中で、今でも3本の指に入る美しさなので、‘いいなぁ、羨ましいなぁ‘と言うと、‘そうね、私も楽しみだわ。‘と彼女。

ちなみにパートナーはカメラマンで、今までも色んなところを旅して回っているらしい。

そこで、いつもそのような人に会った時にする通り、‘今まで行った中で、一番どこが好きだった?‘と質問すると、即座に、‘ヴェニス‘と回答が返ってきた。

‘言葉ではとても言い表せない素晴らしさよ‘、とため息交じりに話す彼女。

これで行きたいところがまた一つ増えた。

最初に彼女を見かけた時、そのセンスの良いいでたちに、一体この人は、どこで何をしている人なんだろう?と、興味を持たずにはいられなかった。

そしてその後、タイミングよく彼女が話を始めてくれたので、私は彼女と会話をするチャンスが持て、結局服のことは聞けなかったけれど、彼女と楽しいひと時を過ごすことが出来たのだ。

ただそれだけの話なのだけど。


得てして、人生の中でこういうことって多いような気がする。

チャンスはすぐ隣り合わせにあるのに、タイミングを逃したり、勇気を出せなくて黙っているうちに、去っていってしまう。


それから、チャンネル具合もあると思う。

私たちは一旦会話は始めたけれど、それは、「飛行機の座席が真ん中なので、早く行って、端っこの席に換えたい」という彼女の焦りにより、途中で途切れてしまった。(尤も、最後にはMerry Xmasと言い合って別れたが。)

もし、彼女の思考がその場にあって、もっとリラックスしていたならば、私たちは、もっと会話を続けたであろうし、もっと深い話、有益な情報交換が出来たかもしれない。

いずれにしても、自分のチャンネル(思考)を、常に正しく合わせておくことは、大切だし、特に来年は、このことが鍵になるように思えるは私だけでしょうか?


皆様にとって来年も素晴らしき一年になりますように。
今年も、皆様のサポート、ありがとうございました!


Kyoko

2011年12月13日火曜日

さぼってちゃいけません Vol.8

                                                          La ignasia (Oaxaca)


私の相棒は、いつも私にこういう。

"Kyoko, Enjoy your life! "

彼に取って、人生の最も重要なことは、自分が”楽しんでいるかかどうか”なのだ。
なんて短絡的なんだと思う。


”そんなに簡単にはいかないわよ。”と私は答えるが、ある意味、彼の言う事は当たっているとも思う。

自分の意志一つで、状況は、楽しくすることも、また逆に惨めにすることも出来るものだと、最近の私は考えるようになった。

不幸や不満に酔いしれるのは、簡単である。

日本に住んでいた時、今考えれば、とても恵まれた環境の中にいたけれど、私は決して幸せではなかった。いや、充分幸せではあったけど、それが当たり前すぎたが為に、有り難く思う機会もなかったのかもしれない。所謂贅沢病ってやつだ。


少なくとも、モヤモヤとした気持ちを抱えていた当時の自分は、勇気を奮い起こして一つの賭けに出た。

日本の外側を見てみようと決意し、それを実際にやってみた。
ただそれだけだ。


まさか、そこから始まって10年後、日本とは真反対のここ、メキシコで、これほどの不便かつ貧乏生活をすることになろうとは、当時は思いもだにしなかったし、全くの誤算であったと言える。
けれど、拭いきれない気持ちを抱え、行動に出さないまま、あれからずっと不幸に浸って生きてきたとしたら、どうだろう?きっと後悔していたのではないか?


実際、行動に出るのは、難しい。
私は大の臆病者かつ、石橋を叩き割ってしまうような性格なので、 ずっと出来ない言い訳を自分にし続けて、行動するのに人一倍の時間を要する羽目となった。

けれど当時、家族や社会のせいにして、出来ないと必死で自分に辻褄を合わせていたことは、単なる恐怖心の裏返し、自分自身への怠惰に過ぎなかった。要はさぼっていただけなのだ。

まぁ、そういう訳で、せっかくこんな地球の反対組んだりまでやって来たのだから、簡単に弱音を吐いていたのでは始まらない。

ある意味、相棒の提唱するところの、「幸せ主義」を選択した上で、日頃の些細な(?)アクシデントには目をつむるのも、悪くはないのかもしれない。


さて、それにしても、オアハカの空はさわやかに晴れ渡り、気温はサンクリストバルとは打って変わり、非常に穏やかで過ごしやすい。


気候の成せる技は大きい。


久しぶりに肩の力を抜いて散策を楽しみながらも、肝心の町中はというと、そこまで何かが発展した感じでもない。サンクリストバルの方が、より観光地的雰囲気で、小さい場所に色んなものが凝縮された感じ・・そう、日本で言えばカンクンが京都なのに対し、こちらは奈良という感じか?

のんびりとした空間が広々と広がり、何かが飛び抜けて垢抜けた感じはないけれど、なんとなく過ごしやすい。

結局この日は、一日町中を歩いて回って終わり、日が暮れた後は、ガイドブックで見つけた安宿にて早々と就寝した。前日のバス移動の疲れもあって、熟睡。



そして翌日、ホテルで貰った 朝食用チケットを持って、指定のカフェに入るや否や、そこに飾ってあった写真の数々に心を奪われてしまった。


それは、まぎれもなく、インドで撮られた写真であった。
象の頭を持つガネーシャ、老婆に老爺、物売りの少年、市場の人だかり、懐かしいアジアの香りが、写真を通して伝わって来る。


何とも、不思議な取り合わせであった。

私は今、メキシコの片田舎にいて、古びた建物を改装したカフェの、椅子に座って辺りを見回している。

店内は、地元のメキシコ人、バックパッカーがメキシコ風朝食を取っていて、けれど、その図に写真が、実にしっくりと当てはまっているのだ。

 私は時間を掛けてその一枚一枚を眺めてみたが、最初に目に飛び込んできた一枚・・リキショーを押す少年の鋭い視線を撮ったものから目が離せないでいた。

コーヒーを運んできたウェイターの男の子に、誰が撮ったものかと聞くと、地元に住む、外国人アーティストに寄るものだという。祖国からメキシコに移り住んだ後に、わざわざインドまで出向くなんて一体どういう人物なんだろう?

時々、夕方にこのカフェで一人、お茶を飲んでいるという。

持ち前の好奇心がムクムクと顔を出して、連絡先を聞いてみたが、知らないという。

仕方ない。また、出直すとするか。

(続く)



2011年11月25日金曜日

さぼってちゃいけません Vol.7

                                                                Cactus, Oaxaca
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さて、バス停に到着した後は、早速ホテルを探すことにした。
まだ朝の7時ではあるけれど、2回連続の長時間夜行バスの旅は、いささかこたえる。荷物を降ろして、早く熱いシャワーを浴びたい。

客引きで賑わうバスターミナルを抜け、まずはソカロまでバスで移動することにする。
そう。最初は豪勢にスタートした旅も、日にちを追うごとに心許なくなってくるのが、貧乏旅行者の悲しい性だ。

荷物はそれなりにあるけれど、タクシーなんかに払っている余裕などない。
そこで、バスターミナルの向かいのバス停からソカロまで、まずはローカルバス移動。

ガイドブックに乗っている通り、ソカロのすぐ脇のツーリストオフィスまで行くも、案の定まだ開いていない。

取りあえず、時間まで朝食でも取ろうかと、ソカロの中心に向かって歩いていると、早朝にも関わらず、何やら人だかりが。

近づいてみて見ると、メキシコの若者達が大勢そこにいて、興奮した面持ちで何かを待っている。

こういう時、何が起こるのか見ずに立ち去る事が、私にはどうしてもできない。
しばらく群衆とともに何が起こるか待ち構えていると、突然、”バルルンバルルン”と耳をつんざくような大きな音がしたかと思うと、レーシングカーが一台、また一台と、ソカロ内に入って来るではないか。

大きな歓声と共に、若者達が、持っている携帯で、一斉に写真を取り始める。レーシングカーなんて見たのは、生まれて初めてだけど、子供の時、弟が集めていたミニカーにそっくり(?)なのにはひたすら感心してしまう。

へぇ、なるほど〜。これがレーシングカーっていうものか・・。

と、その時、レーシングカーから颯爽と出て来た人物をみて、私は卒倒しそうになった。

車から出て来たのは、長身のヨーロッパ人らしき男性だった。
つなぎ姿がやけに似合っていて、なんというのか、そう、華があるのだ。

はぁ〜、もしかして、これがレーサーってやつか!

詰め寄るギャラリーに、いち早くマイクを差し出すインタビュアー。

よく見ると、パン・アメリカン・レースと書かれた看板がある。

その後、次々と到着したレ−サーの一人に声をかけてみると、メキシコ国内を横断するレースの一幕であった。

http://www.clubfc.jp/m_news/

しかし、私が心から感心したのは、その車というよりも、やはりレーサー達であった。

車のことは一切わからない私ではあるが、どの人もこの人も、本当に”決まっている”。
セナが生きていたら、こんな感じの格好良さなんだろうか?

もうメキシコ生活も4年目になるので、すっかり目が慣れ切ってしまっていたが、そう・・メキシコ人は一般的に背が低く、ずんぐりむっくりの色黒が多い。そしてそれとは対象的に、レーサー達の、なんと長身でハンサムなことか!(少なくとも私の目にはそう見えた。)どの人もこの人も、自信に漲って、優雅に見える。
あぁ、まるで、黒船が日本に来航したときに見学に行った水飲み百姓って感じだ。

ヨーロッパに住めば、日々、こういう人々に、囲まれて過ごすのか!?

そう想像した瞬間に、急にメキシコでの生活が色あせて見えてきたから、自分でも現金だと思う。

しかし、そう・・なんで未だに私がスペイン語を覚えられないのか?

要は、志気が上がらないのである。悲しいかな、この国には、話しかけたくなるようなイケメンも殆ど居なければ、無我夢中で会話をマスターしたくなるような情熱の沸く人物もいない。

もちろん、良い人はこの国にも五万といる。
でも、私に取っての決めては、誰が何といおうと、いつだってイケメンなのだ。

星の数程もある大学から、どうやって私が大学を選んだのか?
それは、好きだった先輩が、私の行った大学に行っていたから。

どうして私が音楽の仕事を選んだのか?
それは、その当時、ミュ−ジシャンがとても好きだったから。(しかし、実際にコンサートを回る過程で、たまたま隣り合わせた別ホールで、ロシア人バレエダンサーを見た日から、私の興味は、ミュージシャンからダンサーに一気に変わった。)

サーフィン命になったのも、ロッククライミングをやっていたのも、そう、私を虜にする要因・・イケメン・・がそこに居て、私のやる気を一気に掻き立てたからである。

ヨーロッパにいけば、毎日こういう長身のイケメンに囲まれて、暮らせる・・そう考えた瞬間に、私の頭は一挙、メキシコからヨーロッパに切り替わった。

そうだよ。こんなところで、ぼやぼやしている場合じゃない。

こうなったら、マジでヨーロッパに移動できるよう、考えなくっちゃ・・。

(続く)





2011年11月24日木曜日

さぼってちゃいけません Vol.6

                                                Gentes veendo. Chiapas
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さて翌日は、待ちに待ったオアハカに移動することにした。

サンクリストバルは、前に何度か訪れたことのある場所で、グアテマラ行きがなくなった今、私に残されている選択は、ひたすら北上するのみ。

同日の夜行便があることがわかり、早速チケットを購入した上で、時間を潰すために、町をプラプラと歩いていたら、かつて知ったる通りに、日本のカフェを発見。

いつの間に、こんなところに新しいカフェが?

早速中に入ってみると、アールデコ風のシックなランプに、障子をモチーフにしたインテリアで店内は、なんとも言えず落ち着いた感じになっている。

日本風に綺麗にデコレートされたデザートもあり、オーナーさんらしき人に、”素敵ですね”と声を掛けたら、”そう言って下さるのは、日本人だけ で、ローカルや欧米人にはなかなか伝わりにくいんです。”と。曰く、ディテールにこだわるのは日本人だけで、ローカルに至っては、味よりも量。何しろたく さんがっつり食べればそれで良し、だそうな。がくっ。

まぁ、わからなくもないけれど。何しろこちらの人はよく食べる。

一人では、とても食べきれないような量の料理を、私と相棒が半分ずつ分けて食べている横に、後からきた女性が、私たちよりも早く、一人でその皿をペロリと平らげる、なんてことはままあることだ。そして、料理の横には決まってコカコーラが並んでいる。

何しろ、味の濃いメキシコ料理と、コカコーラはとても相性が良いのだ。

コーラがなかった時代は、皆、何を飲んでいたんだろう?というくらいに、深く生活に浸透しているこの飲み物。そりゃ、皆が太るのも無理はないなと思う。

と、話しが脱線してしまったが、短いサンクリストバル滞在を経て、お次は、待ちに待ったオアハカへ。

このオアハカという町。手工芸品で有名な観光地ではあるが、私の住む町からは非常に行きにくくて、今まで行けず終いでいた。

例えば首都のメキシコシティに行こうとすれば、飛行機でひとっ飛びできる。
価格も安ければ片道100ドルくらいで所要時間が約2時間弱。

ところが、オアハカに行こうとする場合、まず、サンクリストバルまで夜行バスで17時間ほど掛けて行き、(実際は24時間丸々掛かる事も度々)一晩からだを休めて、また別の夜行バスにて10数時間掛けて行かなければならない。
おまけに、サンクリストバルに行くにも、オアハカに行くにも、道がくねくねと曲がっていたり、ところどころ揺れたりするので、お世辞にも快適な旅とは言いがたい。


そういう訳で、相当の覚悟を決めて、オアハカ行きのバスに乗るも、まだ前日の疲れが残っていたのか、それともサンクリの町で、寒さに任せて衝動買いした冬物のブーツとジャケットが功を成したのか、バスが動き出してから間もなく、私は深い眠りに着いた。

その夜、妙な夢を見た。

プライベートで教えている日本語の生徒が出て来て、”あぁ、彼女元気かなぁ。”と思っていると、そこは、彼女の働いているホテルで、ユニフォームを着た彼女とその同僚、ならびに上司の男性が一所に集まって、笑顔でゲストに挨拶をしている。

そうだよな、ホテルというところは、こうやって顔を作らなければならない大変な職場なんだよなと思っていると、ふと気付けば、なぜか私までもが、そこに座っているではないか。状況がよく飲み込めないまま、取りあえず、場を乱さない為に、私も必死で作り笑いを浮かべる。

ところがその後、私は奥の部屋で何かを検索しなければならなくなった。が、どうやって情報を取り出すかなど、新人の私にわかるはずもない。
スタッフに尋ねようとするのだが、彼らは楽しそうに離れた場所で雑談しているだけで、こちらの焦りなど、一向にかまってはくれない。焦りはやがて究極に達し、私は胸の中でこう叫んだ。

”なぜ、私ばかりがこんなに忙しいの?!誰か助けて〜っ!!!!”


と、次の瞬間目が覚めた。

冬物のジャケットが重すぎたのか、暑すぎたのか、妙な夢を見てしまった・・
カーテンを開けると、バスがオアハカのバス停にちょうど入るところであった。

あぁ、朝から疲れた。
今日はどこかホテルのベッドでゆっくり寝よう・・・



(続く) .

2011年11月13日日曜日

さぼってちゃいけません Vol.5

 .


しかしスタンスが変わるだけで、感じ方がこんなにも変わってくるのは、どうしてだろう?

住む国としてのメキシコは、厄介事が多い。
前にも何度か書いた通り、インフラが整ってないので、生活の基本部分が揺らぎやすく、ハプニングが実によく起きるので、落ち着いて暮らしにくいのだ。

けれど、住む事を辞めて、取りあえず旅して回ろう、と決めた途端に、身も心も軽くなって、この地が突然素敵な場所に写るののだから人の感覚なんてあてにならない。

町を歩けば、人々はにっこりと微笑みかけてくれる。
温かい眼差しに心がほぐれる。

道に迷って通りがかりの人に尋ねれば、人々は(例えそれが間違った答えであれ)親切に対応してくれる。

 人々は大らかで、子供が底抜けに可愛い。



つい数日前までは、あんなにも孤独で、ローカルの顔を見ることすら嫌になっていたというのに、立場が変わるだけでこんなにも印象が違って来るのだから、人の感性なんてあてにならない。

そうなのだ。旅をしている間は、ある意味、どこにいったって楽しいのだ。
なんたって旅人は、そこに住む人々にとってお客様。どこに行っても、生活を成り立たせる為に、ツーリズムを生業にしている人は五万といる。

それに旅人には責任というものがない。
その土地に対する責任、社会的責任、家族に対する責任(ここが観光客と旅人の大きな違いかも)、その一切合切から解放された、実に自由気ままな存在なのだ。


私のように、息抜きに加え、どこかにあるはずの終の住処を探して歩いたり、旅しつつ、文章を書く、写真を撮る、情報を収集する、ものの買い付けをするなど、ダブル目的の旅も、最近では少なからずあるように思う。

そして、目的が加わるごとに、意味合いは少しずつ異なって来るように思う。

私の場合、行く場所ごとに、その町の気候は、人々は、物価は、治安は、などという、生活の目線で見る癖があって、他のツーリスタがピラミッドや遺跡を訪れている間、町中を歩き回り、Se Renta(貸家)の看板など見つけては、この家の間取りは?光は充分に入るのか?ネット環境は?近くにヨガスタジオは?などと、あれこれ想像しては、一人悦に入ってしまう。

家を見て回るのは昔っから好きだし、人の暮らしも、見ていて本当に飽きない。

ここ、サンクリストバルもご多忙に漏れず、訪れると楽しい町だ。

オーガニックレストラン、市場、パン工房、 アート工房、お洒落なカフェなどがコンパクトに詰められている。

物価も安く、色んな先住民が住んでいるので、彼らの村を一つ一つ訪れたり、彼らの手織りの衣装を見て回るなど、観光地として人気が高いだけでなく、外国人やアーティストがこの地にたくさん住み着いていることも頷ける。


ちなみに私がこの晩泊まったホテルは、前回のリサーチの中でも最も気に入った一件で、お椀の底の形をした町中の、小高い丘の上にある。

メキシコの建物の、そのほとんどが、灼熱の太陽を遮断するために、厚い壁に覆われた、薄暗いものが多い中で、このホテルは、部屋の正面に面した大きな窓から、眼下の町並みが見渡せ、ご丁寧に、リビングとベッドルームが分かれ、台所に冷蔵庫まで付いていてご機嫌だ。

また、建物の屋上に続く階段を登れば、そこはテラスとなっていて、椅子に座りながら、のんびりとくつろぐことができるという設計。

こんなすてきなホテルが、一泊400ペソ(約2400円)だから悪くない。
 

一人では退屈してしまうかも知れないけれど、さっそく友達も出来たところで、清香ちゃんを招待し、日が暮れるまで、おしゃべりに花を咲かせ、楽しいひとときを過ごすことができた。

こういう時、話し相手がいるって、本当にありがたい。

日が暮れたあとは、気温がぐっと下がったので、本を片手に早々にベッドに潜り込み、翌日はオアハカに移動することにする。

そう。何のかんのいいつつ、寒さにはどこまでも弱いのだ。

(続く)

2011年11月8日火曜日

さぼってちゃいけません Vol.4

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さて、彼女との楽しいひとときを過ごした後、さて、これからどうしたものかと私は思案した。

昨日、バスに飛び乗った時の衝動は、”湯船につかりたい”ということで、昨日の段階で、本当は大枚を叩いてバスタブのついた、4つ星ホテルに泊まるつもりでいたのだ。しかし、実際、行動を目の前にすると、怖じ気づいて躊躇してしまう自分がいる。

そう、4つ星ホテルといえば、うちの家賃の半月分以上に相当する大金なのだ。

ただでなくても出費が嵩む今日この頃、どうしてそんな散財を一気に出来るだろう。

だから間を取って、バスタブはないけれど、ハンモック付きのホテルにて、私は心からくつろいだ。

そうなのだ。たったわずかな贅沢でも、自分にご褒美というのは、何かと気分一新に繋がるのだ。

よ〜し、じゃ、この調子で、ほんとに温泉に行くぞ!

人間、開き直ると怖いものである。

あんなに普段はセコセコしているくせに、今では温泉気分満載で、早速ネット屋に飛び込んで、情報収集とかかる。

”ほぉ〜、グアテマラにはたくさん温泉があるんだな。”
”お、メキシコシティから近いところにこんな温泉も・・”
”いや、待てよ〜。せっかく家を出てきたんだから、前から行きたかったオアハカにも行ってみたいし・・”

散々考えた挙げ句、取りあえず、グアテマラとの国境、チアパスまで行って、上るか下るか決めることにする。

夕食は、映画のロケ地になりそうなこのレストランで。



レバノン系のお店で、メニューは豊富だったけれど、長時間のバス旅になるのと、最近、ベジタリアンがマイブームだったりするので、軽く済ませ、夜7時過ぎのバスに乗り込み、間もなく深い眠りについた。


**


さて、次に目を開けた時、目の前に広がっていた風景は、海辺の平坦な景色から一転して、山岳地帯の長閑な光景だった。


簡素な先住民の住む家々を通り過ぎ、目につくものは、大きなバナナの木、放し飼いの鶏の親子、ヤギ、牛、子供たちとどこまでも素朴である。


どこに行ってもそうだけど、田舎の風景というのは、本当に心が和む。
そして、澄んだ空気に広がる木々が、青々と枝を広げる姿を見ていると、酸素が体中に浸透して、波打っていた心が、フラットな状態になっていくのを感じるのだ。


そんな風景をしばし楽しみ、果たして、チアパスまで到着する頃には、太陽は真上に上がっていた。メリダを出て、合計17時間。
予定より、大幅に時間を超えての到着だが、文句をいうものは誰もいない。

やれやれ、や〜っと着いた・・

と、バスから出て、大きな伸びをしようとして、固まってしまう。

え?!バスの中より寒いんだけど!


そう、南国にはよくありがちですが、この国の一等バスもご多忙に漏れず、車内に冷房が効きすぎていて、相当寒いのです。
貧乏旅行に慣れた私は、当然毛布持参にてこの旅にも望んだのだけれど、高地に位置するこの町の気温は、極寒の車中よりももっと寒かった。

あ、ってか今10月じゃん!ということに気が付くも、時既に遅し。

太陽の日差しはかなり暖かいけれど、日陰はかなり寒い。

そして、足元も・・。

そう、私は短パンにビーチサンダルという格好のまま出てきてしまったのだ。

常夏の場所に住んでいると、こういう基本的なことが、時々すっかり抜け落ちてしまうのが我ながら情けない。

これじゃ、メキシコシティより北の温泉なんてとんでもないな。

あちら側も、標高が高くて、昼夜の温度差がかなり激しいのだ。暖房設備のないこの国の安ホテルなんかに泊まった日には、震え上がってしまうこと請け合いだ。


快適とはほど遠いかも知れないけれど、それよりも、やっぱりここは旅人らしく、グアテマラに南下して、貧乏旅を楽しもうではありませんか。


そう決めたあとは、さっさと決めていたホテルにチェックインし、情報収集のために、以前何度か訪れたことのあるこの町のメインストリートを歩いて見る。

いやはや、何も変わってないなぁ〜。

あの時は、農業実習でこの町を訪れたんだっけ。
途中で飼っていた猫の訃報を受けて、残念ながら途中で帰ってしまったのだけど、あれから早や2年の月日が経ったとは。

お世話になったオーガニックレストランを訪れてみると、いたいた、あの頃と変わりのない顔ぶれが。

毎朝早起きして見せてもらったパン係の男の子は、表に出て働いていて、聞けば学校の方が忙しくて今では週2回しかパンは作ってないらしい。

残念ながらオーナーは不在にて挨拶も出来ないままだったけど、旅先で、自分を知ってくれている人に再会するのって、本当にありがたいことだ。

パン作り少年に至っては、私の名前までちゃんと覚えてくれていた。
ありがとう、デルフィノ!

そしてかつて自分がウーファーした、オーガニックレストランで、サラダをこんもり食べ、すっかりご機嫌になったところで、レストランを後にするやいなや、店から出てすぐのところで、日本人らしき女性発見。

一度は通り過ぎたものの、また戻って、声を掛けてみた。

”日本人の方ですか?”

”あ、はい。”

”あの〜、お会いしたばっかりで恐縮なんですが、地球の歩き方の中米編なんて持ってませんか?グアテマラに行きたいんですが、急いで出て来たので、もし良かったら、コピーさせて頂けないかと・・”

”あ〜、ごめんなさい・・私、ガイドブックって持ってないんですよ。”

聞けばその彼女、ガイドブックを持たずに、すでに1年近く旅を続けているらしい。

しかも、最初は中国から始まり、東南アジア、中近東、ヨーロッパを周り、南アメリカから北上して来て、つい数日前にグアテマラから、チアパス入りしたらしい。

”グアテマラ、雨が多くて、土砂崩れや通行止めも多いからどうでしょうね。私は、メキシコにきて、ホッとしてるんですよ。”

”え?むこうも雨が降ってるの?”

”いやぁ、この辺一帯、皆同じ周期でしょう。雨ばかりでどこにもいけなくて、つまらなかったですよ。それにむこうは物価も高いし。”

”え?グアテマラの物価が高い?”

”ええ、こっちよりも断然高いです。私も安いと思って行ったから、あてが外れちゃった。おまけに食べ物もおいしくないし、宿も種類が限られているし。メキシコの方が私はよっぽど好き。”

そう聞いて、私の胸は大きく揺れた。

散々これまで雨に降られ、道は通行止め、お湯もネットもない、ないないづくしの生活に嫌気がさして出てきたというのに、今より更に不便な思いを、わざわざお金を払ってしにいくのか?しかも、バスもどこまで通っているのかわからないというのに。

それよりも・・と私の心は動く。

行こう行こうと思いつつ、時間がなくて今まで行けずに居たオアハカに行ってみるのも、悪くないかもな。メキシコ内だったら、バスだって快適だし、いざというときには飛行機でさっと戻ることも出来る訳だし。

いったんそう決めると、なんだか身構えていた肩の力が抜け、彼女、清香ちゃんとの会話を思い切り楽しむことができた。

彼女は20代半ばくらいの笑顔の素敵な爽やか少女。

私が20代の時には、こうやって長期にわたって海外を渡り歩くなんて発想は、誰にもなかったし、海外にただ単に住むなんてことも奇抜な発想だった。

21の時に、初めてメキシコに来て数ヶ月を過ごした後、日本に戻って人に話したら、相当珍しがられたけれど、 20年以上経った今、日本人の若い子が、学校を出てすぐに国を飛び出て、まずは世界一周なんてもう、珍しくともなんともない時代になったのだ。

たったの20年で世の中の価値観がこんなにも変わろうなんて、あの時、誰が想像しただろう?

 彼女の話しは眠っていた私の旅心を強く揺さぶった。

そうだよ、この感覚。
私は旅が好きだった。
そして、旅をしている間は、本当にたくさんのことを感じ、たくさんの写真を取り(旅をしている時というのは、どうして力量よりも良い写真が撮れるのだろう?)、たくさんの人との出会い、別れがあり、そして何より抜群に楽しかった。

あ〜、また旅を再会したい!

しかし同時に私にはわかっている。

自分には、もう過酷な旅が出来ない事も。

 私には、安宿のマットレスで蚤やダニに咬まれ、固い枕で首を寝違え、安い予算で毎回サンドイッチを食べて過ごすしたり、夜になるとどこからともなく集まってくる様々な旅人達と共に、夜更けまで酒盛りをするような旅は、もう出来ない。

夜は早々に明かりを消して、ロウソクを点し、部屋で静かに本を読んだり、ワインを飲んだりして過ごしたいし、ベッドだって、うすっぺらい毛布1枚では寒くてやりきれない。

食べ物は、節約型かつヘルシー志向が基本だけど、たまには、素敵なレストランで、優雅にその土地の産物に舌鼓を打ちたい。

やっぱり、旅をするには資金だよなぁ・・

戻ったら、真剣になんとかしなくっちゃ。


(続く)



 .

2011年11月6日日曜日

さぼってちゃいけません Vol.3



さて、ハンモックナイトで気分を一心した翌日は、この町に住む、日本語学校の元生徒と久しぶりに再会した。


取り立てて彼女と個人的に親しかったわけではないのだが、何しろ頑張り屋で、将来は日本の企業で働きたいといって、休み時間も惜しんで勉強するような子だった。

引っ越しが決まって、”せっかく覚えた日本語を忘れてしまう。”と悔しがっていたことも引っ掛かっていた。その後、新しい先生は見つけただろうか?

 余談になるが、彼女は韓国系メキシコ人である。

最初に彼女と会った時、私は彼女はてっきり日系だと勘違いしたくらいに、親しみ深い顔立ちをしている。日本人の移民がメキシコに渡って来たよりずっと以前、彼らの祖先である韓国人は、ロープ産業で沸いていたこの町にやって来た。
今ではテキーラで有名なこの国だが、その昔は、テキーラの原料であるサボテンから、麻ひもを作って輸出していたのだ。
今でこそ、石油製品が横行しているが、その昔の航海時代、ロープの誕生は、世界各国から大きな注目を集め、巨大プランテーションには、アラブ人を始め、色んな人が介在していたらしい。シリア系やユダヤ系がこの土地に多いのも、その時の名残なのだろうと私は勝手に解釈している。

実際、ここメキシコには、実に様々な人種が入り混じっている。

まずはメキシコ全土に広がる先住民。

私の住むこの地区ではマヤ系がその殆どだが、一歩州をまたげば、そこには、また別の様々な先住民が住んでいるという具合。

それから、移民。
スペイン人に始まり、ドイツ系、先にものべたシリア系、韓国系、日系、ユダヤ系、そして最近では、アメリカ、カナダ、フランス、イタリアなどのニューコミュニティが、存在する。

メキシコと言えども、その大きさたるや、実は日本の5倍もあったりするので、他の地方に関しては詳しい事はわからないが、私の住む東海岸を一つとっても、彼らニューコミュニティは、至る所に点在し、その地区ごとに趣を変える。

同じビーチといえども、アメリカ人村、カナダ村、ヨーロピアンコミュニティでは、雰囲気も全く異なるし、国民性に合わせて、作られたレストランも、お店も全く異なってくるから面白いと言えば面白い。

例えば、美味しいパンが食べたくなった時や、一人、静かに過ごしたい時、 私はヨーロピアンコミュニティまで足を伸ばす。一人で静かになれたり、舌打ちしてしまうような(量は少なくとも)美味しいお店などというのは、なかなか採算が合いにくく、都市部には殆ど見当たらない。

かといって、仕事の場を郊外に移す勇気はないのが自分のじれったいところでもある。
あれこれいえども、都市部は物が手に入りやすく、仕事にも便利なのだ。

自分がもうちょっと、ヒッピー色が強くて、不便を楽しめるタイプであれば、郊外の生活はプリミティブで自然との一体感も強く、面白い人にもたくさん出会えると思う。

けれど悲しいかな、所詮私は、先進国で生まれた都会っ子なのだ。

自分はアウトドア派で、ワイルドなアドベンチャー好きだと信じていたことは、ここに住み始めて、いとも簡単に打ち崩されてしまった。

アウトドアをして楽しいのは、高原の涼しいところか、気候もマイルドな温暖気候の土地に限られていることを、私はそれまで気付かなかった。

マングローブが生い茂り、毒性の強い蚊や、咬まれると息が止まりそうになるほど痛いアリ、いったん咬まれると血が出るまで掻きむしってしまうサンドフライや、体の先端部を好んで差し、その毒性がリンパ腺までをも腫らせてしまうタバノが多く生息するこの地域では、キャンプなんて金を積まれてもやりたくない、と思うようになったのは、ここにきて、撮影という名の下に、色んな所に出掛けては、散々な目に遭ったからだ。

マングローブの湿地帯を通り抜ける際、体中が真っ黒になるくらい大量の蚊に襲われ、それを振り払いながら、必死でモーターボートに乗り換え、全速力で失踪するボートから振り落とされないように必死で捕まった体験も、二度と忘れられない出来事の一つだと思う。

それに比べると日本は、何と奇跡的な島だろう。

周りを海に囲まれ、敵に攻め入られる心配もなく、俳句や短歌が自然と浮かんでくるようなのどかで穏やかな気候。そしてその心地よさのもとに、ぬくぬくと独自の文化を育み続けた大和民族・・。

前からきた見知らぬ人物に、自分の潔癖を証明するために、”ハロー”とにっこり笑って挨拶をする必要もなければ、 自分の思っている事を、一から十まで説明する必要もなし。

”あれだよ。”とか、”よろしく。”とか”まぁそういうわけで。”というような曖昧な表現で、一事が万事片付いてしまうこの文化さは、諸外国から見れば不思議以外の何者でもあるまい。

以心伝心と良く言うけれど、ある時、この英訳を探していたら、”テレパシー”と書いてあるサイトがあって、なるほど、と妙に感心したことがある。

そう・・改めて言うけれど、日本って本当に類い稀にみる、恵まれた素晴らしい国なんですよ、皆さん!

これ以上、日本の良き姿が崩れないように、しようじゃないですか。

・・と話しがずれちゃったけど、そう、もし仮にも自分が日本人を代表する一人だとすれば、我々の守備範囲なんて、本当に狭い。条件付きだらけしか暮らせない、本当にヤワで打たれ弱い生き物だとつくづく思い知った訳です。

その点、ここに住むマヤ人の何と強いことか。

ちょっと田舎の集落に池場、学(がく)はなくとも、未だにゴム鉄砲で鳥を落として食べてる人だっているくらいなんですから、もう、生活が全然違います。
パラパと呼ばれる簡素な木造の家に、床は土間。ハンモックで寝起きし、 未だに自作の釜に薪をくべて料理する生活。

人や場所が変われば、別の暮らしがそこにはあり、それは、違い以外の何者でもなく、自分はそこには属さないし、また属せもしないということを、身を以て実感できるまでに、私はどれだけの時間を今まで費やしたことだろう。

そして、自分と似たような条件や価値観、常識の元で育ち、共感して貰える人が存在するということが、どれだけありがたいことか。これも、放浪中に学んだ、最も重要な発見の一つ。

目の前の生徒と、楽しく日本語で会話しながら、癒してもらっているのは、実は自分の側であることを、私は深く噛み締めていた。


( 続く)

2011年11月4日金曜日

さぼってちゃいけません Vol.2



だいたい、自分で選んどいて何なんですが、後進国での生活って、結構疲れるものなんです。

今まで生きてきて、普通にうまくいってたことが、ここにきて、毎回うまくいかない。

元々不便の中で暮らしていた人ならいざ知らず、不便ってなに?って感じの国に育った私達に取って、後進国での暮らしは、毎日ほんの少しずつ心を蝕み、荒ませ、体調さえをもじわじわと犯す危険性を多いに孕んだものなのです。

私はここ、後進国の中でも恵まれた方の国にいながら、”お金がない”とか、”貧乏暮らしも悪くない。”なんて、簡単に言うものじゃないな、と強く思い知る事が、いくつかあって、それほどに、自分の国が、あまりにも恵まれ、特殊な国であることを、何度も確認する機会を得ました。

だから、車にぶつけられた時、”あぁ、もう、この国は終わりにしよう。”と呆気なく放棄してしまう。

だいたい、打たれ弱い自分に、この剥き出しの、秩序も容赦もないこの国は、あまりにもキツ過ぎる。

もうこんな生活終わりにして、もっと快適な暮らしがしたい。
湯船につかりたい。あぁ、何もかも忘れて、湯船につかりたい!

そう思いついたあとは、何枚かの着替えと洗面具だけをバックに詰め、相変わらず降り続く雨の中、取りあえず、この町を去る、西行きのバスに乗り込みました。

まず最初に向かった先はメリダ。

そのあと、メキシコの中部に向かうか、グアテマラに向かうかはまだ決め兼ねるとしても、メキシコの最東側から別の都市に移動しようとすると、かなりの時間が掛かるのです。

それで、その日は取りあえず、水浸しのアパートと動かなくなってしまった車のことを忘れるべく、 最初の停留所のある(といってもうちからは4時間)メリダ泊決定。

ホテルはちょっと気張って、お部屋の中にハンモックのある、コロニアル風に決定し、夜遅くまでそのハンモックにぶら下がったまま、数独に没頭。

雨漏りもない部屋で、何の憂いもなく、高い天井を見ながらハンモックに揺られる、その心地よさといったらもう!

この先のことは全く分からないけれど、でもその夜一つだけ心に誓ったこと。

それは、「今後どこにいくにしても、次に住む家には、ハンモックを吊るそう!」ってこと。

自分のやりたいことが、一つだけわかって、取りあえず良かった。

(続く)

2011年11月2日水曜日

さぼってちゃいけません





皆様ご無沙汰しています。

お友達が、自分に鞭打って、旅行のアップをしようとしているのを聞いて、痛く反省し、私も重い腰をあげたところです。

そう..もう10日前になるかな?

激しい雨が降り続き、風がびゅんびゅん吹いてると思ったら、雨漏りがどんどんと激しくなってきて、ついに家が水浸し状態になってしまいました。

マイペースの相棒は、もちろん自分のスタジオに籠って、楽しくマイワールドに浸る日々。

そう、彼は数年越しのハリケーン撮影に関わっているので、雨が降ると途端にテンションがあがり、忙しくなるのです。

その昔、とある会社で働いている時に、”嵐を呼ぶ女”というあまりうれしくないニックネームを頂いたことがありましたが、私の相方は、メキシコのソープオペラもびっくりの、超波乱万丈男。二人してそうだから、もう大変だっていうの。

まず、彼のトラックがロケ先で故障しました。だいたい貧乏だから、トラックもオンボロなんです。いつ、どこで壊れてもおかしくないんだけど、寄り に寄ってロケ中に壊れたもんだから、慌ててレッカーの手配をし、進行中のロケを救う為に自ら出向きました。(ここまではよし)ところが、例のごとく「忘れ 物」をしたといって、私にそれを届けるよう電話してきました。

もう、この忘れ物ってのが曲者で、話すと長くなるけれど、彼は忘れ物の王者なんです。今まで忘れたもの数知れず、親が橋の向こうでまってるというクリスマスイブに、イミグレで、”ホテルの部屋にパスポート忘れたみたい。”なんていうのは、この世で彼一人だと思います。

何しろ、彼の忘れ物を救う為に、私は今まで何度も急ぎました。ええ。
今回もそのつもりで最前を尽くしていたのですが、ことはそう簡単には済まなかった。

メキシコではよくあることなんですが、いきなり道路工事を初めて、そこに何も表示を出してないんです。

それで、まんまと横からぶつけられてしまいました。

その1ブロック先で、おしゃべりに花を咲かせていた警官からは、”君がよく見ていなかったから悪い。”と駄目出しを受けましたが、私曰く、1.ど うして工事中の表示を出したないのか?2.工事中の表示をしている角には集中して警官が2人いて喋ってて、3.どうして工事中の表示がないほうの、どちら かというと重要な方には誰もいないのか?4.それって単なる職務放棄じゃないの?5.だいたい私をぶつけた男は、携帯を片手に、あとの2人と笑って運転に 集中してなかったって、もう何から何まで終わってるんですけど!って感じで。

でも、これがメキシコの不思議なところなんだけど、まぁ、誰も血も流してないし、いいんじゃない〜?って和気会々ムードなんですわ。

当然私一人がテンパっている中で、保険屋は自分の仕事をざくざくと終えてあっという間に帰り、私をぶつけた3人組は、こちらに”大丈夫?”の一言 もなく、飲み物など買って来て、警官と楽しく雑談モード。私の連絡でやってきた生徒は、超腹出しセクシー衣装で、警官に罰金のディスカウントを交渉し、相 棒不在につきやってきた相棒の子分2人は、私の車を外からぐるりと眺め、”あぁ、こりゃぁ駄目だなぁ”などと言い合ってる。

自宅の脇だったので、隣のタコス屋の屋台が出てる時間だったんだけど、こちらも”大丈夫?”の一言もなし。
それどころか、身近に起きた事件(ドラマ)に好奇心を隠せない様子で、何やら興奮しながらかわるがわる状況を見に来る始末。

もう・・こんな国、耐えられ〜ん!!!!!!!!!!

と何かが私の中で弾け、後進国居住者にありがちな、「日々、蓄積されたストレス」が、一気に自分の中で爆発するのを感じるわけです。

ってか、人にぶつけておいて、なんで”大丈夫?”とか一言聞かずにいられるの?(ローカル曰く、教育の問題というが、それって教育以前の「人として」問題じゃないの?)

工事して、勝手に車線を変えたら危ないって、公安委員かなんかの取り決めで、サインは出すべきじゃないの?(ここはメキシコだから、と人は言うけれど、命に関わるのでは?!)

こっちがぶつけられた衝撃で車内で固まってるというのに、どうして隣でおやつを食べるのだ、警官?!

そして、その腐った警官に、必死に罰金をディスカウントする生徒や、まるで私など居ないかのように、勝手に調査を薦める保険屋、相棒の子分、あぁ、もう何から何まで意味がわからないんですけど!!!

というわけで、相棒が急ぎ到着したときには、私のストレス度は160%くらいまで上昇し、彼の大嫌いなメキシコの悪口など始めたものですから、その場は一気に険悪ムードに。

そしてその後、止まらない愚痴をきっかけに、逆切れの相棒。

こうして、私は翌日、ついに家出をすることに相成ったのでした。

(続く)

2011年10月15日土曜日

秋もたけなわ

 .



今、上空をミニハリケーンが通過中で、3匹の猫と共に、嵐が去るのを待っているところです。

皆様方に置かれましてはお元気でしょうか?

ところで、先日の日本語のクラス中、生徒の一人が黒板を差して声を上げました。



"Que Bonita!"(わぁ、可愛い〜。)



一瞬何の事だかわかりませんでしたが、 彼女の言う説明を聞いて、なぁるほど、と納得。

 曰く、”電車って、電気の車のことなのね〜。”



そうか、普段は音で単語を覚えることが多いけど、こうやって漢字で説明すれば一目瞭然でわかるものもあるのね。

”じゃぁ、これは知ってますか?”と次に「汽車」という文字を書いてみた。

汽車の汽は、蒸気の気なんだよ〜。スチームで動く車だから、汽車なんだよ〜。



”おぉぉぉ!”とどよめく一同。


そうかぁ、漢字はやっぱり面白いんだな。よし、今度からもっと導入しよう!



さて、その翌日。

相棒の配達に付き合って車にて移動中、 対向車を見ながらふと気がついた。

”あれ?普段は意識しないけど、車って付く漢字、もしかして、結構多いんじゃない?

それから頭を捻ることしばし。



自動車、自転車、三輪車、消防車、救急車、台車、愛車・・

面白いところで、馬車、水車、風車、乳母車、車椅子、観覧車、出て来る出て来る!



自分で動くから自動車

自分で転がすから自転車

三つの輪がある三輪車

火を消したり防いだりする消防車

急いで人を救う救急車・・

馬の車におっぱいお母さんの押す乳母車。


ぬぉ〜、こうやって見ると、超面白い!!


御陰さまで、またしても、教科書とはあまり関係のないことに準備を費やしてしまったものの、授業は盛況のうちに終わりました。

いやぁ、こういう調べものって楽しいけれど、はっきりいって、キリがない!

 そんな暇があったら、内職の一つや二つでもできそうなんだけど、こういうお金にならないことにせっせと時間を費やしてしまう私は、やっぱり軽くオタク系なのでしょうか?


いや、もっと面白いネタがある、代わりに授業してみたい、という方がいらっしゃいましたら、こちらも、常時募集中です。


以上、日本語クラスよりレポートでした。:)


2011年10月3日月曜日

日本のイメージ

Cosas que no existe en México



”あれは何ですか?”

自宅で授業を行っている時のこと、生徒がそういって、指を指した。

その指差れた方を見て、面食らったのはこちら。
なんと、彼女が指差していたのは、炊飯器だったからだ。

”え?炊飯器のことですか?見たことありませんか?”と言う私に、

”あぁ〜、あれがそうですか!”

と納得する生徒。

 そうか、例え日本語を勉強していたところで、日本に行ったことがあるわけではないんだものなぁ・・



やけに感心して、それから話しは、日本の米文化に移行した。
お米が日本人に取って、どんなに貴重なものか。
それぞれの名称に違った名前がついていて、一粒の米にさえも7人の神様がいると言い、無駄にしなかったお年寄り世代。

ついこの前まで、日本人のほとんどは百姓であったが、(サムライを日本人の先祖と思っている人も多いが、これはほんの一部の話し。)その百姓に取っても、米は日々の生活の中では貴重品であり、それよりも、ヒエやアワ、戦後の食糧難の時代には、サツマイモや芋を主食としていたこと、不作の年には、その冬が超せないことを見越した一家の長老を、山に捨てにいく伝説をもとにした有名な映画さえ残っている、など話すと、彼女は突如として涙ぐみだした。


果たして、他の子供と同様、彼女も日本に対し、裕福なイメージしか持っていなかったのだろうと思う。


気候は、人の精神性に大きな影響を与える。

つまり、貯蓄という概念は、寒い気候の元に生まれた北半球の人々にのみ備わったDNAであり、毎日太陽が燦々と照り、お腹がすけば、バナナやココナツを捥いで食べる暖かい国の人には不要の産物で、切迫感も、時間の厳守もそこには育ちにくい。

当たり前のようだけど、太陽の存在はそれほどに大きく、暖かい国々では、食べ物もすぐ育つから、人はのんびりとしていられる。

メキシコ人に生まれて良かったね、というと、彼女は、神妙な顔をしたまま帰って行った。



経済的側面から見れば、日本言学習者は、今後、中国語やロシア語学習者に取って代わると思われる。現にここ、メキシコでも、最近は日本語に代わり、マンダリンが密かなブームだ。

しかし、だからといって、今後日本語愛好者が激減するとは思えない。

日本文化を愛する人はまだまだいるし、なんといっても根強いのは、昨今のアニメファンだ。

特にここ、メキシコでのコスプレ熱は、かなり高いし、定期的に各地で行われているアニメのコンベンションでは、やれポッキーだの、おもちゃの刀だの、コスプレ用衣装やアクセサリーなどが飛ぶように売れている。


けれどその光景を見ながら、私は心中複雑でもある。
たしかにアニメも、いいんだけれど、できれば、そこに終わらず、もっと違う側面も見て欲しいんだけどなぁ・・。

大量生産で出回っている、安っぽい石油製品に飛びつく前に、日本が古来持っている、誇れる美は、他にも五万とあるのだから。



話しは飛ぶけれど、先日、他動詞と自動詞の使い分けについて予習するうちに、 日本語の言葉の奥深さを代表する面白い例に行き当たった。


例)1.来年、結婚することになりました。
   2.来年、結婚することにしました。


恐らく、今でも殆どの人は1番の言い方をするだろう。自分で決めたにも関わらず、人が決めたような言い方をすることで、婉曲的に謙虚に伝えることを 好む傾向があるのが日本人の精神性なのだ。


1.お借りした傘を壊してしまいました。すみません。
2.お借りした傘が壊れてしまいました。すみません。


こちらも1番の言い方をする人が多いのでは?

仮に自分が壊したのではなくても、このように表現する事で、自分が責任を感じているという誠意を表している。


海外ではというと、これは殆ど逆転するだろう。
自分が壊したなんていった日には、責任を取らないといけないから、絶対に壊したとは言わずに”壊れた”という。

ごめんなさいなんて口が裂けても言ってはいけない。植民地の、もしくは戦いの歴史の長い他国の風習。


それと比較して、周りを海に囲まれ、敵に攻められることも侵略される危険性もない恵まれた環境のもと育まれた風習が、なんとおっとりとして、性善説的思考であることか。

礼節を重んじ、遠慮がちにして、恥を知り、奥ゆかしいことを良しとするのが、日本人の良いところであり、この特殊な精神構造を持った私達が、それとは全く異なる文化価値を持った土地に交わった時、日々起こる矛盾とどう立ち向かうべきなのか。


 いや、他の外国人のように振る舞えと言ったところで、所詮それは不可能であり、またそうなる必要性もないと思う。


なぜならば、それが私達の心意気であり、誇りでもあるのだから。


だから私は凝りもせず、今日も黒板にこう書く。

「負けるが勝ち」

”いいですか〜、勝つことが、必ずしも勝ちではないんです。負けて勝つこともあるんですよ〜。わかりますかぁ?”



はてさて、子供達の胸までどこまで響いたことか・・

日本の文化は、どこまでも奥が深いのである。




2011年9月30日金曜日

最悪の一日

                                               Tienda de Pineda Covalin


・・・なんて書きましたが、一日のうち、”最悪〜!”なことの1つや2つが必ず織り込まれているのが、ここ、途上国での生活。



まぁ、機嫌のいい時や、余裕のある時は、もちろん涼しい顔して、さらりと交わすようにしていますが、それが時として、3つになり4つになり、5つになる頃には、だいたい、堪忍袋の尾が切れ、いきなり噴射ってのが、私の現実的生活パターンだったりします。

さて、今日も朝から色々とありました。

まずは日本語の個人クラスにて。


”はい、これは何ですか〜?”

”◯◯です。”

”え?◯◯ですか?”

”えーっと、あ、◯△です。”


”そうです!◯△です!”


この生徒、飲み込みは早いのだが、なぜか何度やっても、ひらがなとカタカナを覚えきれずに、同じところでつまずくのだ。

同じ事を何度も何度も教えるのは、忍耐がいる。

けれど、所詮は人間なわけだし、得意もあれば、不得意もあるのは当たり前のことなので、日頃は軽くスルー。

しかし、今日は違いました。

彼女の間違いを訂正したところ、こう”言い訳”したのです。

”先生の字がわかりにくいから、間違えました。”

こういう時、狡いことが超嫌いな私はプツッときてしまいます。

そして、こうつぶやきます。


”あんたねぇ〜、人のこと非難する前に、ツとシとンの違い、早く覚えんかいっ!!?”

あ、もちろん胸の中でです。

生徒は大事なお客様。

ここは軽く流して、授業は終了。

そして、お金を徴収する段階になって、彼女はこう言いました。

”あ、今持ち合わせがないからまた次回。”


これは実は、メキシコでは珍しいことではありません。

例えば1000ペソの月謝を払うのに、今日は300ペソ、来週は60ペソ、再来週は120ペソ、と勝手に分割して「その時手元に在るお金」を払うのは、結構ざらにあります。(最初それを知った時は、私も驚いたけど。)


しかし、この日はちょっとむっとしました。

なぜならば、トナーを新調して1000ペソ(6000円くらい?)という、私にとっては巨額が消えたので、考えた結果、これからは、毎月コピー代を徴収することにして、その旨、事前に連絡していたからです。


ま、とはいえども、別に払ってくれない訳ではなし、またある時に払ってくれるでしょう、ということで、用事1終了。


さて、その次には、ビザの案件で、とある担当官に連絡をする。


このビザ、更新の手続きをして早や2ヶ月。

当初は25日で出来ると言われていたけど、まぁ、メキシコだから。


しかし、何回かの打診のあと、やっとおりたからというので、速攻で支払いに行き、じゃぁ、早く受け取りにと思っていると、いや、ちょっと待ってくれ、あといくらいくら必要だ。とまた新たな追加費用の要求。



え〜、何?そんな話し、聞いてなかったんだけど、と思えど、もちろんむこうは。以前に私に話したと豪語する。絶対に怪しい。しかも、そんなにお金 が欲しいなら、小出しに言わないで、一括して言えばいいものを、あとで取って付けたように言われてもねぇ。おまけに、またまた、支払いに行かなきゃ行けな いじゃないのっ!

ところが・・悪い事は重なるものです。


その支払い関連で出掛けた先で、一旦駐車した車を、係員が、あとからのこのこと見に来たかと思うと、”そこには止めないで。”というのだ。むっとしながらも、別の場所に止め直して、車から出ると、”そこもだめ”という。

なんだか一気にムカついてきて、”じゃぁ、どこに止めれば言い訳よ?”と聞けば、”あそこ。”と指差したのは、どうみても、絶対無理な極狭スペース。

じゃ、あなた誘導してよ、と嫌な予感がしつつも車を切っている間に、見事に擦ってしまいました。

しか〜も、私の車、ご存知の通り、相当オンボロで、しょっちゅう壊れているんです。

なんと、ちょっとしたその擦りで、いきなりうんともすんとも言わなくなっちゃったじゃないの!ぎゃ〜っ!!!

さて、ここまで来れば、私の怒りはすでに炸裂しています。

あまりにも激りすぎて、車の中に鍵を掛けたままロックしてしてしまうわ、その係員は、自分の仕事ぶりは棚に上げ、”そこじゃ困るから動かして”な んて、まだ言ってるし、そうこうするうちに、もう一人の係員もどこからか現れて、100ペソくれれば、中の鍵を取ってあげる、などと、人の不幸に便乗して 言ってくる始末。

だいたい、あんたの誘導が悪くて3回も車止め直して、おまけに擦って、その上、100ペソ寄越せだと〜?!ふざけんな〜っ!!!

ところが、SOSを送った相棒の反応は超冷たかった。

”今日はトラブルばかりだな。”と彼は不機嫌に言い、私が、状況を説明しようと起こったことを話していると、”そんなことはどうでもいいから、そ この前で待ってて。”と勝手に切り、しかも現れたかと思ったら、いつものごとく、急に人格を変え、その悪徳駐車場係員に向かい、笑顔で話しかけたかと思う と、仲良くその鍵を開けようとしているのである。

ここまで来れば、私の怒りは怒濤天をつく。

敵の袖を引っ張って、”ちょっと〜、絶対この人に100ペソあげないでよ。”と念押しするも、私の不機嫌に反応した彼は、”君、この場に及んで、 何言ってるんだ。皆、君を助けようとしてくれてるんじゃないか!”と、逆切れし出す始末。おまけに、悪徳2人組がむこうの陰でほくそ笑むのにも気付かず、 それどころか自分だけが、”感じがよくて気前のいいアメリカ人”を装うとするのである。

その上、”うるさいから、あっちにいってて。”と彼らの前で言われた私は、まるで悪者状態。なんか話しはあべこべで、ってか、こんなボロな車買ったの、どこの誰よ〜っ?!って話しで、もうあとは怒りと悲しみが交互に襲ってくるのを噛み締めるばかりである。


が、私は諦めなかった!

そう、私は昨今瞑想をしているのです。

昨今、ものごとをありのままに見る訓練を、日々肉体を通じて、練習しているのです。

一瞬ぐっときかかったものの、”ま、こっちもこっちでいらいらしているのね。”
と流すことにした。

しかし、それにしてもムカつくのは、その係員。

ドアが開かなかったので、100ペソは諦めたものの、駐車場代として、20ペソを要求してきたので、何もしてくれない相棒の間に割り込んで行って、”ここ擦ったの、あなたの先導が悪かったんだから、100ドル。”

とこちらもこちらで性悪な発言。

要は、20ペソばかりの小額といえども、狡賢い彼らに払いたくなくて、チャラにしてもらおうとしたのだ。

が、それを見た相棒は、愛想笑いを浮かべたまま、2人にお礼を言い、すっかり悪者化した私を車に押し込んだ。

こうなるとあとは泥沼試合である。

レッカーされる車の中で、私は改めて状況を説明しようとした。

”あのね〜、もう一度説明するけど・・”

”もう、その話しは聞きたくない!”

”でも、あの2人は、自分の仕事もまともにしなかった上に、お金まで請求したのよ!それなのに、なんで悪くもない私が、お金まで払わないといけないのっ?”

”いや、払ったのは僕だ。”

”だから!なんで、彼らの肩を持つのよ、私の肩を持たないでさ!!”

”そんなの、彼らに言ったって無駄だろう。第一、僕は超忙しいところ、君を助けに行った。それで充分だろう?”

”でも、だからといって、なんで私が悪者にならなきゃいけないわけよ?なんでせめて仲介してくれなかったの?”

”いや、あんな連中を相手にムキになる君が悪い。”

彼によれば、教育のない人々に教育的意見を発するのも、我々の仕事らしい。

けど、私に言わせりゃ、それって、超アメリカ人っぽいおせっかいな発想じゃない?と思うんだけど。

悪いけど、私は彼らの教育係ではないし、人を助ける前に、まずは自分や、その家族を守りません、普通??

そういうわけで、あとは、お互いの主張の押し付け合いである。

おまけに、先日のつぶやきでもつぶやかせて頂いた通り、一度言い出したら絶対に引かないのが、アメリカ人と日本女子(男子)の性質。

散々言い合って喧嘩別れしたあと、すっかりいじけ切った私は、気分転換をしようと、生徒に朝借りた、大手B語学学校の教科書を手に取って開き、次の瞬間、固まってしまった。
そこには、信じられないような時代設定の文章が並んでいたからである。

「あら、岡本の奥さん!しばらくですね。」

「まぁ、しばらく。中山さんの奥さん。お元気ですか?」

「ええ、御陰さまで。」

「毎日物価が上がって、大変ですねぇ。」

「そうですねぇ。お酒やビールまで。うちの主人はよく飲むんですよ。」

「うちのもです。大変ですねぇ。」

(中略)

今時、◯◯さんの奥さんとか、うちのも、とか言うかぁ〜?

これで、信じられないくらいに高い授業料を取って、行く人もたくさんいるのだから、世の中、全くどうかしてる!
なんだか・・世の中って、なんでこんなにデタラメなことばかりなの!?

・・と、ここまでこれば、あとはお決まりの「世捨て人になって山に籠りたい病」発生。

ま、しばらくしたら、嫌がおうでもまた引っ張りだされるんですけれど。

しか〜し、それにしても、途上国での生活は、良く言えばドラマチックで悪く言えば、信じられないことだらけ。

あぁ〜、せめて、自分の信じている常識を共感してくれる人が欲しい・・・

という訳で、この場を借り、ぶちまけさせて頂きました。

自分で選んどいて何か言える立場じゃないんだけれど、たまにこうやって、月に向かって遠吠えしたくなるのよね、という途上国の暮らしレポートでした。




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2011年9月27日火曜日

マクドナルドとI love you


面白い光景を見た。

アメリカ人の父親が、娘に向かってこういう。

”Give me a kiss. Daddy got to go now! "(さぁ、こっちにきてキスしてくれ。パパはもう行かなくちゃ。)

娘は遊びに興じていて、なかなか彼の言う事を聞かない。

そして、パパは何度も同じ台詞を繰り返し、遂に彼女は遊びの手を止めて、彼のところに行き、キスをする。

" I love you, sweety" (愛してるよ、スイーティ) パパは満足げにそう言い残し、出て行った。




***



シンプルな例だけど、これほど彼ら、アメリカ人を表してる例はない。

彼らにとっては、これがごく普通のコミュニケーション法。

毎日誰かにキスをして、毎日誰かにI love youを言う文化。

私達の、”行ってきます。”とか”いただきます。”と言うのに近いのかもしれない。

恐らくそれは、愛情表現っていうより習慣なのだ。

言わないと(そして聞かないと)落ち着かないマントラなのだ。



日本人主婦が用意した食事を、ご主人が(あるいは子供達が)”頂きます”を言わずに、食べだしたらショックを受けるであろうように、朝起きて一番 に、自分のパートナーがキスもせず、出掛ける前に、I love youも言いあわなかったら、それは大きな問題へと繋がるに間違いない。



然るにアメリカ人と、それとは全く異なる文化を持つ日本人が一緒になると、 往々にして、ちぐはぐなことになりかねない。



"Honey, Give me a kiss. I got to go!" (おっと、そろそろ、行かなくっちゃ。)

"Oh, ok! Have a nice day" (あ、そう?いってらっしゃい。)


" Sweety, how come you never say i love you!?"(ねぇ君、どうして僕にキスもしなければ、愛してるって言ってくれないの?)

"Huh? Why i need to speak out that kind of things ? It's in here (Pointing the heart) and I always express that through the life, don't I?"

(え〜っ?!そんな大切なこと、軽々しく言える訳ないじゃない!愛は口じゃない、ここに(と胸を差す。)あるものです。私は、私自身のやり方で毎日それを示しているのに、あなたはそれじゃ足りないっていうの?!”

”xxxxxxxx!!!!!"



ー以下は長くなるので省略ー






彼らに取っての、Kissと I love youは、日々の生活の中に、必ず降り混まれていなければならないもので、それは日本人の私に取っては、往々にして表面的、あるいは嘘くさく感じられる。

けれど、私個人がどう思おうと、彼らに取って、KissとI love youは、生活必需品なのだ。

それは、マックのポテトやコカコーラと同じ。


どうしてコーラなしに、ハンバーガーとポテトを食せよう?

ポテト抜きで、ハンバーガーとコーラだけ食べた日には、物足りなさが残るのは請け合いだ。


だから、彼らは今日も言うだろう。



”Honey, I love you!"

"Oh, sweety, I love you, too. Have a great day! (Kiss♡)"



年々、自分の日本人っぽさが目覚めつつある今日この頃にあって、この文化の壁は、まだまだ消えそうにない。




付録:最近の私のモットー


1.男/女は黙って

2.男/女に二言なし

3.武士は食わねど高楊枝。



どこかで高倉健みたいな人見かけたら、教えて下さい。


by 昭和の申し子
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くせ

                                     El Arbol, Yosemite, CA


元生徒から知り合いを通じ、”日本に奨学金留学する予定だから、プライベートレッスンをして欲しい。”と連絡があった。

そんなに出来が良いとは言えなかったし、他の生徒との折り合いが悪くてすぐに辞めてしまったので、訝しく思いながら、取りあえず、状況を確認しに出掛けたつもりが、結局、話しをしている間にレッスンにと相なった。

で、帰り際、”おいくらですか?”と聞く母親に、”今日はレベルチェックのつもりで来ましたので、結構です。”と、つい、日本人的な謙遜発言をしてしまったところ、”えっ?じゃあ、次回もタダにしてくれない!?”という鋭い突っ込みが・・!

長年海外にいるくせに、毎回、日本人的な受け答え(謙遜のしあい)を前提とした発言をしてしまい、勝手に裏切られ、勝手にストレス貯めまくるこちらもこちらだが、「取れるところからはなんでも取ってやろう」的、メキシコ人根性にもかなりカチンと来た。

ってか、娘の教育費、値切るな〜っ!!

という訳で・・帰って、ひとしきり気分を害したあとで、”いかん!これじゃいつものパターンじゃない!?”と思い直し、瞑想の教え(あるがままに見る)に従い、彼らの精神構造を、しばし内観したあと、その上を行く名案を考えついた。

曰く、「所々の理由により急遽授業料アップ」という、取って付けたような超メキシコ的言い訳メール。本当は超お得価格で出してたんだけど、急にバカバカしくなって正規料金に戻す事にしたのだ。


っと、これって内観ってより、目には目を?!

しかも、こうやって、図々しい事が恥ずかしげもなく出来だした辺りから、海外在住組は、少しずつ変わっていくのかも・・

いやいや、某B校なんか行った日にゃ、2倍以上の料金を取るんだから、ここはどっしりと構えて、待ってればいいのよ、という自分と、いやいや、日本人の美徳を失ってしまったら、終わりでしょう?という2つの中で揺れ動く、優柔不断かつ小心者中年女の姿、ここにあり。

試練はまだまだ続きます・・






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2011年9月23日金曜日

今日の一枚



ウクライナに生まれてイスラエルに育ち、旦那さんの中国転勤を経て、現在はメキシコ住まいの私の友人。愛娘のリアちゃんと愛犬と一緒にいるところをパチリ。
ちなみにこの日は、お重箱入り日本食を共に楽しみました。











結婚の知らせを受けて、その友人を囲み祝う仲間達。さて、だれが花嫁でしょう〜?












プラヤデルカルメンに最近登場したプールバーにて。隣接するホテルの壁には、メキシコ名画が上映されています。




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2011年9月22日木曜日

無題

                                                   Yosemite, CA






http://www.youtube.com/watch?v=NiG8neU4_bs&feature=player_embedded








ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

世の中にある人と、栖とまたかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、

世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。

或は去年焼けて、今年作れり。或は大家亡びて小家となる。

住む人もこれに同じ。

所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。

また知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。

残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。

                                                                                                         (方丈記)




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2011年9月19日月曜日

遠足

週末だというのに、家に引きこもっていたくないので、一人で遠足に出掛けることにした。

出掛ける先は、もちろん海!

7月8月は暑すぎて、とても外出する気になれないけれど、9月も下旬に入って、風が少し涼しくなってきたので、意を決して出発。 

海以外にチョイスがないのが、ちとつらいところですが。あはは。

自転車に股がって、まずは、家から5分のフェリー乗り場まで行く。

 

ここから、イスラムヘーレス行きのフェリーが出ています。



 このイスラムヘーレス、一旦フェリーに乗れば約30分で付くという手軽さ。
もう少し運賃が安ければ、毎週でも行きたいところなんだがなぁ・・


チャリンコは、船体の後ろに。



航路から見える海の景色。


そして、やってきましたノースビーチ。

 


人もあまりいないし、しめしめ、いい時にやって来たものだ。


・・という訳で、一人海にプカプカと浮かんでは、合間にビールを飲み、約2時間ほど
過ごしたあとは、友人宅へ。

楽しいひとときを過ごしてリフレッシュできたのまでは良かったのですが・・

や、焼けすぎた〜!!

たった2時間だけだったから大丈夫だと油断したのがいけなかった。

チャリンコに乗っている時間を加算していなかったので、今日は肩が赤黒く焼けて、パンパンに貼っているという・・


また明日お出かけの予定なので、今日は日陰で涼しくしてようっと。

この夏、バカンスを過ごし損ねたそこのあなた、

11月くらいまでは人も少なく、気候も過ごしやすいので、是非お越し下さい。

12月に入ると、またツーリスタでビーチは賑わい始めますので、どうぞお早めにね。:)




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2011年9月15日木曜日

あなたのご職業は?

若い頃、自分の職業を説明するのに困った時期があった。

”お仕事なんですか?”と聞かれて、”銀行員です。”とか”教師です。”とか”魚屋です。”いうのは、わかってもらいやすいし、なんとなく信頼がおける。

けれど、世間に認められていない、発展途上中の物書きとか、アーティストとか、作曲家とか、発明者なんてのは、世間に対してなんて言えばいいんだろう?

「小説家見習い」とか「芸術家見習い」?そして、私が是非やってみたい仕事の一つ・・風呂屋の番頭なんてのは、カテゴリー的には何??サービス業?それとも、ホスピタリティ系?

おっと、しかし、風呂屋の番頭なんてのは、あまり愛想が良すぎたり、微に入り細に入りサービスされたら困る訳で、ある程度つっけんどんで、”それよりわたしゃ、このテレビ番組見るのに忙しいんだよ”くらいの素っ気なさがある人の方が、お客としては助かるので、 やっぱりここは、石けんやシャンプーや、入浴後の飲み物などを取り扱う「販売業」くらいにしとくのがいいのでしょうか?


ところで話しが逸れましたが、先日のクイズの答えを発表します。
まずはこの写真を見て下さい。


 クレーンが近づいて来て・・
 白い物体のうち、一つ目を運びます。
 宙に浮かんだ白い箱は・・



この足と合体して・・
こうなります。(見つめるのは、お掃除のおばさん)




中はこんな感じ。窓がたくさんついているのが特徴です。(暗くてわかりにくいけど・・)





なんとこの物体、この地域を時たま襲う、ハリケーンを観測するためのハビタット(小屋)なんですね〜。


ちなみにこのプロジェクト、とあるテレビ局から、ハリケーン撮影用に依頼されたもので、相棒が設計しました。(←ここ、重要ね。/本人談)


窓は、撮影カメラ用の為に各方向に作られています。足が長いのは水かさが増した時のためで、窓ガラスのガラスは、絶対に割れない、特殊な材質で出来ているそうな。地元の溶接工に頼んで作ってもらい、写真は、それをうちのスタジオの脇に、クレーンで納品しているところのものです。



しかし、世の中にはほんとに変な仕事があったものですよね。
「ハリケーン撮影用観測小屋設計士」だって。
なんじゃそりゃ?

しかもこのハビタット、引っ越し代だけで3万円也!


一体、こんなもの、嵩張るばかりで、最終的にはどうするわけ?と超現実的な私は思ってしまうのですが、納品の際、居合わせた地元の住人からは、”この家の一ヶ月の家賃は?”、”ハンモックはどこに掛けるのか?”(地元の人は未だ、これで寝る人も多い。)など素朴な疑問も上がったらしく、本人は周囲の脚光を浴びて、一人ご満悦。

そして、そんな変わり者の相棒を横目に、しばし無言の、私とお掃除おばさんなのでした。



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2011年9月13日火曜日

今日のクイズ


さぁ、この白い物体は、これはいったい何でしょう?

答えはまた明日!






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2011年9月11日日曜日

9.11

                           Sequoia tree, Yosemite/CA

敢えていつもと同じ一日で、やり過ごそうと思っている私のところに、相棒からこんなメッセージが届いた。

”もし時間があったら、9・11の罪なき犠牲者の為に、黙祷を捧げて欲しい。”

なんだか、猛烈にむっとしてしまった。

今年の3月に、日本は多くの人を津波で失った。

日本の津波だけではない。

ここ最近、毎年色んな国で起きている災害は、多くの犠牲者を出し続け、その一方で、人々はいつまでたっても争う事を辞めず、無数の人々が今日も命 を失っている。そして亡くなって悲しいのは、アメリカ人や日本人だけではない訳で、チリ人でも、インドネシア人でも、イラン人でも中国人でも同じで、不慮 の事故でなくなった人の命の大きさは、同じ。誰もが人の子であり、心があるわけで、何かの犠牲で亡くなってはいけないと思う。

悲しいニュースを聞くたびに、こうした惨事がなくなればいいのに、と心の中でどんなに願っても、それは片時としてなくならない。

人々が自らの無知に気付き、それを改めない限り、こうした事故は起こり続けるだろうし、起こったことを真摯に受け止め、きちんと対峙していかないと、問題の抜本的解決にならないどころか、事象は、反対方向に走り出してしまい兼ねない。

9.11以来、アメリカを始めとする空港ならびに国境の警備が、著しく厳しくなったのは、皆さんもよくご存知のことだと思う。

私は、このことが腑に落ちないのだ。

我々が向かうべき敵は、テロリストなのか?
一般人の中に紛れて、我々を震撼させようとする、イスラム原理主義者なのだろうか?

いいや、違う。

我々が向かうべき敵は、我々自身の無知に他ならない。

本当の事実を突き止めることなく、ただ単に、他者や多人種に対して警戒心を強め、特定の宗教に対して間違った見識を持つのは、浅はかかつ、非常に危険な行為だと思う。

ここ数年、アメリカを訪れる機会が増えた訳だが、人やシステムが昔に比べて随分様変わりしてしまっている風潮を見るにつけ、なんとも言えない気持ちになってしまうのは残念なことであり、今日のこの日を、敢えて、彼ら自身に考えて欲しい気持ちで一杯になるのだ。

黙祷を捧げるのは、何も今日だけに限ったことではない。

毎日が誰かの命日であり、平和の日であっても良いはずだ。

日々、静かに目を閉じて、自分を、他者を、世界の平和を祈る時間を持つようになれば、人々はもう少し思慮深くなれるのかもしれない。


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2011年9月10日土曜日

当たり前

                                         Tracy y sus helmanito


メキシコに住んで3年半。


それは突如としてうちにやってきた。

使い古しの白ソファ。


クッションには、ボールペンで落書きがしてある。





アメリカから戻って来て1週間。

慣れっこにはなってるけど、今回も、まぁ色々とありました。

まずは水が出ずシャワーが使えない、料理が出来ない。トイレが不自由。

ネットは繋がらなかったけど、自力で1日後に復活させた。

電子レンジは、いない間に壊れ、車に乗れば、エアコンが突如として壊れ、車内は気温40度以上の猛暑にて、首からタオルを下げ、汗を吹き吹き移動する。


ほんとに色んな不便が起きる、この国では。


けれど、普段当然のように思っていることが、当然ではないことを知り、次第に開き直って待てるように慣れれば、風はこちらに吹いて来る。

ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなり、一つ一つのモノが、意味を持った、大切なものとなって浮かび上がってくる。




まず水は、いつも通り、石灰分がパイプを詰まらせてしまっているので、今回は配管工のおじさんにお掃除してもらう。1週間掛けて、再び開通。これで、タライ湯からは無事解放!

ネットは、何日も待ってられないから、根性と気合いと念力で直す。
そう、出来ないとか、わからないとか言っているバアイではないのだ。

電子レンジは7年ものだけど、まだまだ使えそうだから、捨てずに近くのガラクタやのおじさんのところに運び、車のエアコンは、配線の不具合を、整備の人の横に立って、逐一観察する。

なんでも自分でやるのが一番!

そして出来ないことは、笑いに変えて、やり過ごすことが出来たら、もうあなたは立派な南国人。(笑)




そんな暮らしぶりだからこそ、今回の白ソファーの登場は、私達を軽く萎縮させてしまう。

たかが、ソファごときで、なんて笑わないで下さいね。

自分だって、価値観がここまで変わろうとは、思いも寄らなかったもの。


そして、なんだかこそばゆくて、それを横目に、いつもの食卓で作業をしてしまう私。


 さぁ、秋の夜長、あそこに座って何をするか。
3匹の猫達と、相談しなくちゃね。
 





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2011年9月8日木曜日

欲張りな猿は・・



早いもので、もう9月も中旬に差し掛かろうとしている。

カリフォルニアの山から降りてきて、もう1週間も経つのに、未だ調子が戻らないので、自分で自分に喝を入れることにした。

まずは、近くの大学付属校Dにメールする。

”ハロー、こちらはKyoko!昨日、アメリカから戻ってきました。ところで、開講予定だった日本語のクラスは、結局オープンしなかったのかしら?もしそうだとしたら、申し込みをしていた生徒に、念のため、私の連絡先を教えて貰えませんか?彼らの勉強の機会を失ってはかわいそうだから。そちらのコースは、また生徒が揃った時に連絡下さい。”

9月に開講したいといって連絡してきたものの、その後何の音沙汰もないので、とっくに諦めてはいたが、それでも何人かからの申し込みはあったと聞いていたので、その子たちをプライベートで教えられないかと、連絡してみたのだ。

そんな虫の良い話はないだろう、と端から高をくくっていたにも関わらず、Dからの返答は、意に反してこのようなものだった。

”オッケー、君の連絡先は彼らに伝えておくよ。ところで、今、英語のクラスのポジションが開いているんだ。◯曜から△曜の◯時から△時まで。時給は××ペソ。うちの学校のシステムを学ぶのにもいいし、どうだろう?来週から始まるので、もし興味があったら折り返し連絡下さい。”



一瞬のことに思わず目が点となる私。



英語・・・??

私が英語を教えても・・いい訳・・?!



日本語を教える前にも、かなりの躊躇があったというのに、今度は英語ってか?!

あの時も相当の迷いがあったが、結局最終的な決め手はこうだった。


”ま、いいか!ここは日本じゃないし。誰が見張っている訳でもないし。”

いい加減でいてもいいのが、ここ、外国に住む者の特権である。

かくして、自分のスペイン語と日本語の知識と格闘しながら、ここまでくること1年半。
失敗に寛容で、いつも朗らかで居てくれる生徒たちよ、ありがとう!

やってみれば、小さな問題こそあれ、実際は思ったよりも楽しく、実は自分はこの仕事に向いているんじゃないかとさえ思ってしまいそうな今日この頃。そこに、今度は英語クラスのチャンスまでもが到来か?!

現金かつ単純な私の頭の中には、すぐに邪(よこしま)な考えが過る。


『英語、日本語、両方教えます。地元日本語学校ならびに大学付属校での経験あり。楽しいKyoko先生のクラスへようこそ!』

う〜ん、いいねぇ〜!この際、やっちゃう!?

が、問題は時間帯だ。

クラスは夜なので、もし撮影の仕事が入れば何かと足かせになる。

そこで、ここは念のため、相棒の意見も参考に聞くことにする。

”あ〜、もしもし?ちょっと相談があるんだけど。これから行くから。”

ジャングルの撮影から帰還したばかりの熊公、もとい相棒を捕まえて、話を切り出す。


”実はね、例の学校の新規コースの件なんだけど、日本語コースは結局開講しなくて、代わりに英語のコースのポジションが回ってきたんだけどさ。どう思う!?”

”は?”

”だから〜、英語のクラスを教えないかって言って来た訳よ〜。どうよっ!?週4日もあるわよ。”

”駄目でしょ。”

”は?”

”駄目でしょ。”

”は?”

”駄目だって言ったの!”

”なぁんでよぉ〜!?”


駄目だと言われるとムキになってしまうのが、私の悪い癖である。


**


相棒によると、私が英語を教えるなんて、問題外であるとのこと。
ま、もちろんそんなこと、始めからわかっていましたけどね。でも、頭からそう否定的に言われると 、反抗したくなるのが、人の心というもの。
いくら、ビギナーだから大丈夫じゃない?とか、日本では留学経験もないような人が子供に英語を教えている、と言っても、取りつく島もない。

一応ネイティブとして生まれ、書く仕事もしていた人間からしてみれば、妙な中国語なまりに、お世辞にもうまいと言えない英語で喋っている私が、彼らの言語の教鞭を取るなんて、許しがたいことに違いない。

ま、かたことの日本語の外国人が、別の外国人に日本語教えてるのと同じだもんね。それは分かるけど。



”それにね。”と彼は続く。

”さっきさぁ、君、何て言ったと思う?Greedy Monkeys fall the Foods(欲張りな猿は食べ物をも落とす)って言ったんだよ。君、どうするの?生徒が別の場所に行って、『英語の先生にこう習いました。Greedy Monkeys fall the Foods!』って言われたら。一体どういう英語習ってんのってことになるよ。マジで。”

ははは。確かに言いましたとも。

いや、あまりにも彼が強欲なことばかりいうので、『猿も木から落ちる』(Even monkeys fall from the trees)を文字ってそういったのだが、私以上に狡賢な彼は、すぐに私のインチキ諺を見破ったのであった。

自分的には、ものすごく良く出来た一句だったんだけどなあ・・。

英語教えながらも、たまーに漢字の由来なんかを織り交え、緩〜く生徒たちの興味を、日本語にスイッチできないかと、密かに考えていたのは確かですけどね。(暴)

しかし、相棒に言わせると、その学校はお金持ちのご子息が来る学校で、英語をきちんと学習して将来に役立てないといけないからして、そんなことには絶対ならないらしい。

ま、諺通り、欲張りな考えでいると、手の中にある食べ物さえ落とし兼ねないので、ここは気長に構え、現存クラスの新カリキュラムでも考えることにしましょうか!


"Sleep and wait for good luck"(果報は寝て待て)



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2011年9月7日水曜日

山から降りてきました

                                                   Yosemite, CA


皆さん、ご無沙汰してます。お元気でしょうか?
3週間ほど、カリフォルニアの山に籠ってましたが、この度、無事戻ってきました。

行った先は、サンフランシスコとL.Aの丁度中間地点にあり、ヨセミテ公園から約1時間のところにある、North Forksという場所。

今回で2度目になりますが、ヴィパッサナ瞑想コースに参加してきました。

ヴィパッサナについてはこちら。http://www.jp.dhamma.org/index.php?id=1165&L=12

 一概に、瞑想といっても色んな種類があり、また、私の場合は、瞑想と宗教を長年混同していたというお粗末ぶり。

なので、あまり参考にはならないかもしれませんが、一つだけ言えるのは、その手段はどうであれ、”自分と向き合う時間を持つ”ことは、非常に大切なことだ実感したことです。

もちろん一度瞑想したくらいで、自分の中で何かがぐんと変わった訳ではないけれど、ものごとを客観的に見つめる訓練をすることにより、感情に振り回される機会が減ったことは、自分に取っての財産だと思ってます。


帰り際、長年の夢だったヨセミテ公園にも寄る事ができ、”Happily Broke"(幸せに破産)して帰って来た訳ですが、コースを通じて新しい友達もたくさんでき、メキシコの宣伝もちゃっかりして来ましたので、次回は、彼らが遊びにきてくれることを楽しみに待つばかりです。

健康な心と大切に思える友人が居る限り、私達は 案外どこにいても、幸せに暮らしていけるのかもしれませんね。

取り急ぎ、ご報告まで。

2011年8月16日火曜日

出掛けてきます

                                                                     Flamingo, Rio Lagartos


突然ですが、今日から3週間ほどアメリカに行ってきます。
連載も途中だし、他にアップデートしたいこともたくさんありますが、なんだかここのところバタバタしっぱなしで、ゆっくり書く暇もなく・・

帰ったら色んなこと書きたいと思ってますので、気長に待ってて下さいね。

取り急ぎ、先日、リサーチでいったリオレガルトスのフラミンゴの写真をアップします。

皆様、夏バテには気をつけて。
またお会いしましょう!




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2011年8月7日日曜日

ロシア人、やってくる Vol.4



ところで人のことはさておき、自分は一体何者なのか?
これは、長い間の疑問であった。

人のことを観察するのは簡単だが、果たして自分が何を考え、実際はどういう人間なのか、客観的に分析するのは案外難しい。

正直、自分がどんな仕事に向いているかさえ、私には長いことわからなかった。
それ故、手を替え品を替えては、あれこれ試してみるしかなかったし、実際にそうやった。

一番向かなかったと思うのは、生産性のない仕事だった。

自分のやっていることが、何かしら誰かの役に立っているとか、状況を良くすることに繋がっているということが感じられる仕事には、時間をいくら費やしても気にならなかったが、ただ、仕事をやっているふりをするとか、時間をそこで費やしているだけ、みたいなことにはただの1分でも我慢がならなかったし、”何も考えずに言われたことをやる”というのも、自分には無理だった。

だから、合わない仕事をしている時は、決まって体調を崩したり、自律神経系を病んでいて、毎日がそんなに楽しくもなかった。

まぁ、そういう状況の中でも、一見見ただけではわからない、面白い人が結構回りにいたのも事実だけど。

彼らは個を消す術をわきまえていて、それを全面に押し出さなくてはいけないエゴもない、ある意味、大人なのだと今にして思う。彼らは私のように、しょっちゅう病気で休んだりもしていなかった。

日本のサラリーマンのことを揶揄する人もいるけれど、私は、基本的に、彼らは現代版サムライだと思っている。

和を大事にし、一歩下がって人の意見に耳を傾けることを知っていて、落ち着いて、静かに微笑みながら、必要な時にさりげなくアドバイスをくれるのは、この時代に親しくなった人たちだ。

逆に、今関わっている海外での撮影の仕事を含めた、クリエイティブ系と言われる人々は、油断も隙もない。

日常の場では、わがままだったり、ナルシストだったり、情熱の固まりに、こちらが焦げ付きそうな人もいたりと、刺激の強過ぎることも多々あった。

けれど、一旦現場(舞台)に入れば、その誰しもが何かしら、キラリと光るものを持っていて、それまでの苦労も一瞬にして消え去ることが多かったのも、事実である。

御光が差し、神と一体化しているんじゃないかという人にも出会ったし、強烈な一言に、人生観ががらりと変わる体験をしたのも、この類いの人だった。

また、収入のことを考えなければ、サービス業も基本的には好きだし、日本語を教えるのも楽しい。はたまた、一時は職人系になろうと思い立ち、部屋に閉じこもって、夜昼構わず、しこしこともの作りに勤しんだこともあったけど、何日かすると、憑き物でも落ちたかのように、外の世界に再び飛び出して、ほっとするのであった。

果たして、どんな世界にも感心する部分と、頂けない部分があり、甲乙はつけがたかった。

それで、いつまでも色んな世界を渡り歩き、結局出た答えはというと、色んなことを、掛け持ちで少しずつやりつつ、自分の中の均衡を取るという手法だった。

要は、勝手に作り上げた自分像を捨て、自分と正直に向き合い、限界は潔く認めるということ。

だから今は、撮影の仕事が入れば、体力、時間とも許す限り、出来ることをする。他のクルーみたいに、日の出から夜中まで働くようなことは絶対しない。
体力の限界を超えたところまで自分を追いつめれば、ただ不機嫌かつ疲れきった自分を持て余すだけだ。
そのかわり、見落としがちな経理作業や、食事管理、安全管理に目を光らす。

日本語教師も同じことだ。

たまに、文法や教授法について、信じられないくらいの情報を持っている、真の語学のエキスパートの話を聞くけれど、じゃあ自分も頑張ってそのレベルまで到達しようかというと、そんな気はさらさらない。

だいたい、自分は先生なんて呼ばれる柄ではないし、文法や助詞の研究に時間を掛けるなら、その時間を使って、ゲームをしながら生徒達に形容詞や動詞をより多く覚えてもらい、自分を表現することを楽しんで欲しい。

そして、チャンスを見つけて日本にも是非行ってほしいから、何かしら引っかかりそうなことはお知らせする。
例え、それが1000人に1人にしか受からない、奨学金留学生の話でも、どうなるかなんて、わからないではないか?!
なんでも、気になることは、チャレンジしてみればいいのである。

後先なんて考えていたら、人生、何も出来ないまま終わってしまう。
どんどん試して、どんどん失敗して、躓きながらも前に進んでいければ、それでいいではないか。

以上、いびつだけれど、これが私の寄り道人生で得た、非常にシンプルかつ、大切な自分との「お約束」である。

持続力にも専門性にも欠けるけど、それでも、何かしら人の役に立つ部分があって、毎日健康で楽しく食べているんだもの。まずは良しとしようじゃない!

(続く)


2011年8月3日水曜日

ロシア人、やってくる Vol.3




さて翌朝、指定の時間ぴったりに到着すると、果たしてご一行様は、すでに朝食を済ませ、さっそく準備に取りかかろうとしているところであった。

予想に反し、時間に正確なグループらしい。

が、肝心の相棒の姿が見当たらない。
昨日は作業があるためスタジオに泊まり、今朝は、そこから直行するはずだったのに、途中で忘れ物でもして、一度帰ったに違いない。

仕方がないので、自ら出向いて行って、彼らと挨拶を交わし、相棒が少し遅れることを告げ(たつもり)、そうこうするうちに、彼らはてきぱきと準備を始め、そこに滑り込んだ相棒共々、現場は瞬く間に、カオス状態となった。




”◯△☆×□凸凹♂♀?”

”あぁ〜、あるある!これのこと?”

”◯☆!”

”△$¥□?”

”え?いくつ?2つ?”

”Niet!×♩⁑◉♨!!”

”あ、オッケー、今、持って行く。”


通じないながらにも、なぜかスムーズに進行する現場。

最初の5分で、取り急ぎ、イエスがDa、ノーがNietであることは学習した。

これで、基本的なやり取りは万全だ。


・・と、違った!感心している場合ではない。

支払いだよ、支払い!!


仕方なく、機材を持って、右に左に入り走るメンバーを、一人ずつ捕まえては聞いて回り、やっとプロデューサーらしき人物を特定し、すっかり職人モードに突入した相棒を引っ張って、ロビーにてご清算タイム。



さぁ、そこでプロデューサーが、袋の中から取り出したのは・・・


なんと、すべて新札のドル束だ〜っ!!!


一瞬にして怯む私。しかし、普段はあれ程人騒がせな相棒が、こういう時には、全く表情を換えないのが、不思議である。

さっと、新札を手にしたかと思うと、”ちょっと実験ね〜!”などといいながら、手際良く、何枚かを抜き取って検証する。


”いや〜、ここではね、普通の町では起こらないことが、色々と起きるんだよ。君たちも、気をつけてね〜。”と微笑む相棒。


ところが、相手もなかなかの強者だ。

”おぉ、このお金は、銀行で受け取ったものだ。心配するな、我が友よ。我らは、罪なき学生なんだ。”と笑ってさえいるではないか。

そのユーモアのセンスがツボにはまったらしく、相棒は両手を挙げて降参し、彼らにペンを渡す。

”おぉ、そうか!じゃ、これは君へプレゼントしたほうがいいな。念のために持っといてくれ。わっはっは!”

”わっはっは〜!”


こうして座は一挙に和み、現場に戻って、いよいよ仕事に打ち込む彼ら。

その姿は、実に生き生きと楽しそうである。


一見こわもてそうに見えた彼らも、一旦打ち解けてみれば、実は、なかなか素朴で茶目っ気のある、典型的な撮影畑の人間であることも判明した。

要は、どこの何人でも同じ。この業界に関わる人間は、子供がそのまま大きくなったような、やんちゃな輩ばかりなのである。

ちなみにこれは、ある日ある時、気付いたのだが、想像に関わる仕事に就く人−−それが、画家であれ、脚本家であれ、映像作家であれ、デザイナーや音楽家であれ−−は、普通の大人が遠い昔にどこかに置いてきてしまった、とてもピュアな一面を、今でも大切に持っている。

それは往々にして、子供っぽさともダブる。

どこまでも飽くなき想像の世界。

そこには、”ま、いいか。”とか”こんなものかな”という諦めもなければ、冷ややかさもない。偏に、情熱と探究心と夢と希望に満ちあふれた世界なのである。

その住人である彼らは、こちらがドキッとしてしまうような、危なかしい部分も持っている。

けれど、そんな人達だからこそ叶えられる世界であり、いつの時代にも芸術があるのは、彼らあってのことなのだ。

彼らは、時に、社会性に欠けることもある。

私の相棒のように、何度言っても、物を失い、言った事を忘れ、あきらかにどこかが大きく欠落した人もいる。

けれどその彼らが、一旦自分の世界に入れば、食事を取る事も、寝る事も忘れ、ひたすら目の前のことに集中する。



果たして、私は彼らのようにはとてもなれない。

私はいつでも傍観者だ。


時間が来ればお腹がすくし、ここの仕切りはどうなってるんだ、と裏方の仕事が気になってしまう。

撮影をしていても、他のクルーがモニターを見て目を輝かせている時でさえ、私は、そこに張り巡らせたケーブルに、一般のお客さんが、足を引っかけないか、そんなことばかりが気になってしまう。

その他にも、それぞれの持ち場はうまくいっているのか、作る事に熱中して、赤字が出ていないか、新人の機材の扱い方は大丈夫か、時間は押してないか、他のことばかりに注意が行ってしまうので、お世辞にも心から楽しんでいるとは言えない。

細かい事だけど、誰かが目を光らせていないと、信じられないことが起きたりするのも、この商売だ。

だから、気付けば自分がその役を買って出て、一人、違う目線で、目を光らせていることも度々である。


それに反して、相棒は、根っからの映像人間である。
もちろん、ご飯も寝る事も二の次になって、走る走る!


最初は、”ちょっと顔を出すだけ”と言いつつも、ついつい気になるものだから手を出して、人員派遣だけのはずが、昼になり、夜になり、結局その場に張り付いたまま、一日が過ぎるなんてしょっちゅうだ。

それにも関わらず、彼は失敗を学ばない。

”今週末は、現場にちょこっと顔を出して、それから◯◯に行こう!”と、自ら墓穴を掘ってしまうのは、毎度お決まりのことだ。

だから最近ではこちらも諦めて、そんな時は、現場をくまなく観察することにしている。

その方が、精神衛生上良いし、気も楽というものだ。

人間、開き直りが大切なのである。



(続く)