2012年3月29日木曜日

今朝の一曲 vol.13

                La artesania, echo en Mexico



久しぶりに、好みの音楽を見つけたのでご紹介します。

http://www.davidberkeley.com/

こういう、ギター一本のアコースティックサウンドって凄く好き。


今までも、色んな舞台・・コンサートとか、パフォーマンス、ダンスなど見てきたけど、いつも好きなのは、地明かり一本の一人芝居とか、ろうそく一本立てただけの紙芝居、一人裸足で踊るフラメンコなど、飾り気のないシンプルなもの。


ところで昨日、例の退化か進化かってテーマで、ホテルの同僚と再び盛り上がった。


彼女曰く、”私たちの頃は、頭で暗算したけれど、今の子は必ず計算機を使うでしょう?”と。


ふむふむ、確かにそうだよな。便利だからと、それに頼る癖が付いて、遂にはそれなしでは居られなくなっちゃったというやつだ。


”そういえば・・”と続いて私。


”昔は漢字を、頭ですべて暗記していたけれど、最近は、ちょっと思い出せないとなると、すぐにパソコンで変換して調べちゃう。それが習慣になっちゃったものから、簡単な漢字すら容易に思い出せなくて、すぐにパソコンを開けちゃう。”

”ほらね〜。一事が万事そうなのよ。”


”でも、そういう便利なものを逆に発明している人も居る訳じゃん?”

”カーナビ作ったり。”
”手を汚さない容器作ったり。”
”ゲーム発明したりとかね。”



最終的に、我々を大きく分ける境界は、受け身で居るか、自ら何かを発しているかに尽きるということで、話は一旦終わったのだけど。


しかし、たえず自分の頭で考え、何かを作り出している限り退化しない、という論理であるならば、やっぱりこうやって、ない頭をふり絞り、日がな掛かって、ブログをアップすることも、脳みそ退化防止につながっているのと願いたい。


いずれしても、全般的に見れば、退化している人が(自分を含めて)多いような気がするのは、春の陽気のせいでしょうかね?







2012年3月27日火曜日

退化?進化?

ベロ出しチョンマ




チチェンイッツァという遺跡をご存知だろうか?

マヤ文明が栄えた頃のピラミッド遺跡、と一言で言えるのだろうが、何しろ、私の住む町からは、この遺跡に行くツアーが、いわゆる観光の目玉の一つとして売り出されている。



私は、歴史的なことには殆ど興味がない口で、最初にこの遺跡を訪れたときも、大した感慨は受けなかったし、それよりも、そこに来ている色んな国のツーリストや、それを我が物顔で案内する、現地ガイドの身振り手振りを観察する方が興味深かったりするのだが、世界遺産の名を取るだけあって、まぁその人の多いこと!

遺跡を見に来たんだか、人を見に来たんだか分からない感がある。


ご興味のある方はまずこちらをどうぞ。

http://allabout.co.jp/gm/gc/43615/



さて、そんな有名な遺跡なのだが、ここで、特筆すべきことが一つある。

それは、解説にもあった通り、この遺跡を作ったマヤ人が、太古の昔であったにも拘らず、太陽や月の関係を熟知した上で、この遺跡を作ったという点。

そして、それを証明するべく、毎年、春分の日と秋分の日の前後、このピラミッドの一角に設置された大蛇の背中の角度の部分に日が当たり、普段は見られない蛇の姿が、突如として浮かび上がるのだ。


・・・という話は私も前から聞いていて、ふーむ、とわかったような、わからないような感覚でいたのだが、昨今はホテルで働いている関係で、たくさんのガイドさんと話をする機会があり、その中で、たまたま当日、その場に行き合わせたというガイドさんに、写真を見せて貰って、目を見開いた。


すごい!確かに生(といっても写真だけど)でみると凄いのである!


http://www.youtube.com/watch?v=KQ-qk5cTqI4



で、鳥肌が立ったり、ひとしきり唸った後に、”こんな大昔に、こんな大きなものを、しかも計算通りに、一体、どんな天才が設計したんでしょうね?”と呟く私に、”いや、一人の力ではないでしょう。設計したものを、再現するには相当多くの人が関わったはずで、しかもそれを寸部の違いなく再現した訳だから、相当多くの天才的な人がそこにいたということでしょう。”と彼女。

そして、マヤ人って改めて凄いですね、と二人して締めくくったのである。





さて、同日の仕事が終わった後、私は相棒のスタジオに立ち寄った。
と、通りを挟んで向かい側の漁師の家の前に、何やら人が大勢集まって、宴会らしきものが開かれている。

大人は大人で宴もたけなわな様子で盛り上がり、子供は子供達で、スタジオ前の猫を追っかけては、代わる代わる抱き上げたり撫でたりしている。

と、ふと昼間の話が脳裏を横切る。

そうだよ、この人達、皆、マヤ人じゃないの!

この地方では、ちょっと田舎に行けば、マヤ人の集落があり、彼らはパラパと呼ばれる藁葺き屋根風の家に住み、生計を立てている。

その多くは、お世辞にも裕福とは言い難く、パラパの土間に、ハンモックを吊るしてそこで寝起きする。

そして、その土間の上には直接冷蔵庫やテレビが置かれ、冷房などあろうはずもない家のドアは、いつも開け放たれ、そこには網戸があるわけでもなく、雨風が吹けば、たいそう不便に違いないのだが、それもきっと免疫があるのだろう。私のように、蚊が入るとか、雨が降り込むとか神経質そうにしてる訳でもない。


スタジオの近所に住むマヤ人を見る限りでは、男衆で仕事に溢れたものは、昼間っからお酒を飲んだり、家の前で何をするでもなく座っていたりと、あまり健康的には見えないが、たまに相棒が力仕事など回したりすると、それはそれで、張り切って働きもする。

恐らく、定期的な仕事に付くのが難しいのだろう。
その点、どこの国でもそうだが、女性は働き者だったりするから、そのお金で生計を立てているのかも知れない。


と、マヤ人の宴会模様を横目で眺めながら、昼間話した天才的マヤ人と、目の前にいる現代マヤ人のギャップに苦しむのである。


そしてこう思う。果たしてこの人たちは、本当に、あのピラミッドを作った人々の末裔なのだろうか?もし、それが本当だとしたら、彼らは退化してしまったということなのか、はたまた、昔のように野生の勘を活かして活躍する場を消失し、才能が鈍って、凡人化してしまったとでも言うのだろうか?





”マヤ人に限らず・・”と相棒。


”人間は、昔に比べて、確実に衰えているのだと思うよ。生命力も、頭脳の明晰さも。”

”それって、致命的だね。”

”そうだね。そして増え過ぎてしまった人口は、いずれ、何らかの形で消滅してしまうだろうな。”

”うーむ。私たちは生き延びるのかな?”

”さぁね。それは神のみぞ知ることだけど、そういう訳で、僕は一刻も早く、ボートが欲しいのさ。”




出会った時から、ボートが欲しいと言い続けている彼だが、それはレジャー用ではなく、危機が起こった際の、脱出用ツールらしい。


ちなみに、その船上には鶏を飼い、トマトを初めとした野菜を育て、心を和ませる為に猫も連れて行くのだとか。

私がその中にカウントされているかどうかは不明だが、ま、いざという時の為に、せいぜい狭い船上で喧嘩にならないよう、今のうち、社交術でも身につけておきましょうか。



いずれにしても、今後の人類の行く末が気になる、今日この頃である。





手放す

                                                                                          Mario, el vecino




ここ最近の試行錯誤の間に気付いたこと。 

それは、”手放す”ということ。 

思い通りに行かない。 
皆バラバラなことを勝手にやっていて、そこには秩序がない。 

しかし、それをまとめようと躍起になっても、残るのはストレスだけで、思い通りには決してならない。 






”別にすべてをコントロールしようとしなくてもいいんじゃない?” 


昨日、ビーチを散歩しながら相棒がふと漏らした。 


確かにそうだよな。 



うまくまとめようとするからまとまらないのであり、だったらありのままの状況を、まずはそのまま受け止めて、取りあえずは自分の回りだけ固めれば良いかも。 


・・と頭の中では納得しつつ、実際に現場に入れば、今日も目につくことは5万とあるだろうけれど、まずは自分の心の平静よね。 



あぁ、日々修行。(笑) 





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2012年3月24日土曜日

お弁当

                                                                     La sombra



ここ一ヶ月ほど、ドタバタが続く中、同時並行して、頭に引っかかることが一つあった。


それは、来たる親父の誕生日をどうしようかということ。


お金のなる木がうちにあったなら、迷わず2泊3日、いや、大名のお花見帰国と称して3週間ほどゆっくり滞在したいところだが、生憎こちらは貧民国に住む平民の分際。

仕方なく、何か送りものでもしようかと考えるのだが、思うだけで、一向に先に進まない。


第一に、貧民国に住む私から、先進国に住む彼に贈れるものなんて、たかが知れている。
しかも、何を贈っても日本のものに比べれば、必ず見劣りがするのだから、正直参ってしまう。


そして、散々あれこれと考えた挙げ句に思いついたこと。
それは、普段食べれないようなお弁当を贈ったらどうかということだった。




戦後派の親父は、もうとっくの昔に退職し、昨年亡くなるまで、家に蘢ったままの母の面倒を見続けた。


心配で、もう帰省しようかと何度となく試みる度に、親父は、”誰も帰って来いとは頼んでない。”と憎まれ口をきき、帰ったら帰ったで、”もう来なくてもいい。”と、どこまでも口悪く私のことをあしらったが、結局、長年に渡って母の面倒を見きったのは、娘ながらに圧巻だったと思う。


そんな大役を終え、今は悠々自適で一人、勝手気ままに、我が儘老後生活を満喫しているのだが、そんな本人の気持ちとは裏腹に、こちらは距離が離れている分、日頃蓄積された、親不孝の罪滅ぼしをしようと躍起になる。


だいたい、どこにも行かず、何か使うものもないのだから、もう少し、普段からいいものでも食べれば良いのに、たまに帰って見てみると、米は2級品、おかずも粗食。塩分は健康の為に減らしているとやらで、味もなんとなく私には物足りない。



そして私には、”堅実に生きろ”とか、”人生、じっと絶えることも必要だ。”とか”女三界に家なし”とか、およそ、私の生き方とは180度かけ離れた、痛いところを突いてくる。



そして、しみじみと思う。

どうして同じ親子の、それもたった一世代の間に、これだけの考え方の差が出来てしまったのか、と。



もちろん、親父の言っていることを否定している訳ではない。
どれも生きる事の厳しさ、そして真髄を突いた言葉で、親でないと言えない言葉だろう。


だから、苦笑いし、感謝しつつも同時に、こう思う。
よし、私は日本人の美徳を忘れず、でも最後まで楽しんで生きよう、と。






今回選んだお弁当は、私も頂いた事のあるこの御膳。

http://www1.bbiq.jp/syuka/10ryouri/10ryouri.html



代金は、たまたま、遊びにきてくれていた友達晴ちゃんに、持ち帰って振り子んでもらい、どんな弁当にするかは、地震で回線が繋がらなかった私に代わり、地元の親友H子にこれまた代行してもらった。


そして何よりも、本来ならば定休日であったところを、こっちの勝手な都合により、お昼時に、届けて下さると言って下さったオーナー。


本当に毎度のことながら、皆さんに助けて頂いて、感謝感激です。


親父殿、どうぞこの日ばかりは、配達に来て下さった方に、くれぐれも失礼のなきように。
好意は謹んで受け取り、是非、皆様の真心をありがたく受け取って下さいよ。

春風とともに、幸せが舞い降りるよう、遠く離れた南国から祈ってます。


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2012年3月12日月曜日

めざめよ、日本人


                                                              Pray for peace, pray for love. 3.11



昨日はこちらの3月11日で、私たちは、その前日からホテルの机の上にキャンドルをともし、ささやかながら、津波で亡くなった方を忍ぶセレモニーを行った。
 


折り紙の鶴は、ここ、メキシコでは珍しいものなので、日中はたくさんのスタッフが集まって、”私にも折り方を教えて”と希望者が後を絶たず、また、ご縁あって当日ホテルにいらっしゃったお客様には、”どうぞ参加して下さい。”と声を掛けた為、結果的に机の上には、みんなの愛のこもった鶴がたくさん並んだのであった。 


その一角は、その後もずっと盛況で、暗くなるにつれて、キャンドルの明かりが目立つのか、通りかかるお客さんの多くは足を止め、またいつもはただの顔見知りである別部署のスタッフーーその多くは、日頃はぶっきらぼうだったり、事務的であったり、ただ軽く挨拶をして通り過ぎるだけの人ーーさえも、今日だけは、その場に立ち止まり、おもむろにその光景を眺め、こうコメントする。 


”なんて素敵なんでしょう!” 
”これは、何の意味があるの?” 

そして、そこに小さく書かれた小さなメッセージ、 

-Pray for peace, pray for love. for the memorial day of Ttsunami 3.11- 

を見ると、黙ってその場に佇むのだ。 


これは、実は私には驚くべき事実だった。 
何故ならば、通常私の知る限りでは、彼らは笑うこと、楽しむことが大好きで、少なくともこういうモニュメントを鑑賞したり、それに対して思いを寄せたりということを、これまで目にした事がなかったから。 

しかし、彼らの、その愛情深い眼差しや、真摯な姿を眺めているうちに、ふとある一つの事実に気がついた。 

ここ、カンクンには、こういう生活に関係のないアート(もしそう呼べるのであれば)に接する機会は殆どないに等しいのである。 
物の氾濫した日本において、折り紙や鶴なんて、ごくごくありきたいのものでしかないけれど、この国には、こんなにきれいな色紙もなければ、それを使って、このようなものを作り出すなど、まだまだ未知の世界のことなのだ。 


だから彼らは、一様に感嘆の声をあげる。 

”本当に綺麗ねぇ。” 
”これは何で、どうやって作るの?” 
”これ、あなたが作ったの?” 

その言葉に偽りはなく、そんな彼らの眺めているうちに、なんだかこちらが癒されていることに気付き、失笑してしまう。 



ところがそんな微笑ましいやり取りがある一方で、ゲストからの苦情も、相変わらず続いた。 

まずは、メキシコシティから訪れたという駐在員の男性、その次は、一般のハネムーン客であったのだが、最初の男性は、チェックイン時からかなりのご立腹だった。オートチェックインしたにも関わらず、アサインした部屋が変えられている、というのが始まりだった。 

彼は、私の同僚である女性に向かって、勝手に部屋が変えられているのはどういうことかと、えらい剣幕で言ったようで、その勢いに押された彼女が、助けを求めたこの道のエキスパートの男性スタッフにも、散々と怒りをぶつけたようである。彼が、どうしてそうなったのか、理路整然と理由を説明したにもかかわらず。 

翌日出勤した私のところに、今度はご本人から電話が掛かってきた。 
彼は、昨晩と同様に激しい怒りを私にぶつけ、”メキシコ人は全く話しにならない。自分もメキシコに駐在しているのでよくわかる。だから昨日は、マネージャーに、説教をぶちかましてやった。(本当にこういう口調で言った)一人や二人、首にするまでは、帰らないからな。”と一気にまくし立てた。 

経験上、ここまで怒っているお客さんに出来る事は、ただ一つ。ひたすら低姿勢で謝り続けることだけである。それ以外にこの手のお客さんが納得する手はないだろうし、感情的になった人に、何を言っても通じないのは皆さんもご存知の通りである。 

そこで、私はひたすら謝った。多分、50回は謝ったと思う。それで収まればと思ったのだが、結局彼は、その翌日変わる部屋についての条件ーー明日は、一分一秒たりとも待つつもりはない。なんだったら、それよりも早く部屋を明け渡して頂きたい。ーーと言い切って、電話を切ったのであった。 

その後、改めてその前日にチェックインをした女性スタッフとも話したが、彼女の対応に落ち度があるとは思えず、逆に、その後、彼女の具合が悪くなってしまったというのを聞いて、なんだか腑に落ちない気持ちとなった。 

結局、そのゲストは、翌日も、またその翌日も、苦情を申し立て、私たち日本人に取って、生涯忘れる事の出来ない3月11日に、ホテルを後にした。 



その次のお客さんは、新婚の若いカップルであった。翌日の出発が早いことが分かっていたので、夜遅くなる前に電話をし、”今晩中にご清算をお済ませになられれば、明朝、スムーズにチェックアウト出来ますので。”と伝えたのだが、タイミングが悪かったのか、迷惑そうな様子が伺えたので、用件のみ伝えて、早々に切った。最後の晩に、お客さんの邪魔になるようなことはもちろんしたくなかったからである。 

その後、他にも同様に電話を掛けたお客さんが、早い時間に清算にやってきたにも関わらず、私が窓口を閉めて帰る11時前になって彼らは2人でやってきた。 

その姿から、すでに何かご不満を持っていることは察することが出来たのだが、案の定、精算額を表示すると、彼らはその金額が間違えであると指摘した。 
曰く、”頼んだのは一人1つずつで、2つ頼んだ覚えはない。”とのこと。 

もしかしたら、それは本当だったのかも知れない。けれど、その事実を確認するには、時間が遅すぎた。スパも閉まっていれば、その予約を取った昼番の女性も帰ってしまっていたからだ。 

残念ながら、翌日早朝にチェックアウトされる彼らに言える事は一言。 
”申し訳ないのですが、この場は一度お支払い頂いて。”ということだった。 

しかし、ご想像通り、このケースも簡単にはいかなかった。 

”頼んでないものは支払えない。”という理由のもと、押し問答で話が進まないので、申し訳ないとは思いつつ、施術後、サインした書類をお見せして、”このサインにご記憶ございますか?サインをして頂いたことは、内容に同意したということになりますので・・。”とやんわり言ったのだが、それでも頑として譲らない。 

ここまで来ると、私では手に負えないので、マネージャーを呼び、説得して貰ったのだが、答えは同じ、”絶対返してもらえるという証明がない限り、支払いはしない。””ここは外国だと言われても、あなたたちは、日本人ですよね?こういうトラブルが 起こらない為に、あなたたちはいるんじゃないんですか?”と、心外な発言も受ける羽目となった。なぜならば、確かに私たちは、日本人ゲストが快く過ごせるお手伝いをしている訳だけど、だからといって、一人一人のゲストのお世話を全て出来る訳でもなく、また我々とて従業員の一人で、私たちにはどうしようもできないことも少なからずあるからだ。 

結局、お客さんには後日エージェントを通してご連絡させて頂く、ということでお支払いを頂いたのだが、結局この件が長引いた関係で、私の当初の黙祷の時間はお流れとなってしまい、重苦しい気持ちのまま、岐路についたのであった。 

私は、お客さんを非難するつもりもなければ、私たちが正しかった、と自己正当化している訳でもない。 
現に、ホテルには問題が山積みで、でも、それがわかっているからこそ、我々は走り回っているのだ。

ただ、ここで言いたいのは、私たちにとっては大切なはずのこの日に、何もそんな小さなことに、重きを置かなくても良かったのではないかということだ。 


いいじゃない、ここはメキシコなんだもの。 
人々はどこまでものんびりとして、だからこそ、彼らは私たちには決して作れない、とびきり素敵な笑顔を見せてくれるのだ。 

いいじゃない、せっかくのハネムーンなんだもの。 
もしかして、間違って2人分付けられたとしても、途中で気付いてはいたのだし、それにマッサ―ジ自体は気持ちよかったもの。 

いいじゃない。去年の今日、あんなにたくさんの人が、一瞬の間に亡くなって、それが私たちの身に起きていたことだったのかもしれないけれど、訳合って、私たちはまだここに生かされているのだもの。 


もっと優しくしようよ。 
もっと余裕を持とうよ。 
もっと視線をあげようよ。 



机の上の鶴に彼らが気付いていたか、今となっては確かめる術もないけれど、彼らの胸にも、幸せの灯が灯っていることを願わずにはいられない。 


我々日本人は、幸運にも、生まれながらにして器用な手先を持ち、勤勉であることが幸いして、国としての繁栄を遂げ、物質的にも充分すぎるほど豊かになった。
けれど、その豊かさとは反比例して、人としての成熟度や、人間度が落ちているのを感じるのは、とても寂しい事だ。 


机の一角に設けられた小さな平和の空間と、それを見つめる人々を眺めながら、私たち、日本人の行く末を考えずにはいられない、感慨深い一日だった。 



めざめよ、日本人 
めざめよ、日本 
真の幸せのために 
真の豊かさをもとめて 


めざめよ



2012年3月10日土曜日

1年が経ち





早いもので、あの日からもう1年。

この日をどういう風に過ごせば良いのか、生徒達にどうやって話せばいいのか、正直考えのまとまらない、この数週間だった。

色々なデータも見たし、当日の被害の様子や、それにまつわる話もも読んだけど、結局、わかったことは、その場に居合せなかった自分には、想像でしか、この災害のことを話せない、ということだった。


きっと日本では、たくさんのセレモニーやイベントなどが行われることだろう。

そしてたくさんの人が、あの悲しさを再び思い出し、胸を痛め、被災地は順調に復興しているのだろうか、と思いを馳せることだろう。


結局私に出来たことはといえば、今、私たちがここに生きていることが、奇跡的なことであり、そのことに感謝して、毎日を大切に生きなければならない、と話してあげることくらいで、あとは目をつむり、皆で黙祷を捧げ、折り紙を折っただけだったけど、それでもやって良かったと思う。


「10年後の自分へ」という題名で書いてもらったメッセージは、大切に保管して、もしその日を迎えることが出来たなら、皆に返したいと思っている。



最後に、友達にシェアして貰ったメッセージを添付します。






思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから


習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい
それはいつか、あなたの運命になるから





マザー・テレサ




1年前の今日、震災に遭われた方すべてに、この場を持ち、改めてお悔やみ申し上げます。


2012年3月9日金曜日

確認の時 vol.2

                                                   Megi, mi corazon




さて、事件が起こった日、私は仕事がオフで一人、ドライブを楽しんでいた。いつも疲れた時、心の洗濯に行くビーチに出向いたものの、なんだか、ぴんと来ない。いつもの清らかさがないどころか、海面がざわついて、なんだか物々しくさえ感じられる。 

それで、お茶を飲んでさっさと家路につくことにし、その道すがら立ち寄った相棒のスタジオで、今度は彼とけんかになり、本当に散々な休日であった。 

その翌日、出勤してゲートに向かって歩いていると、セキュリティの男の子がきて、”Kyoko、昨日、日本人がバルコニーから落ちたんだよ。”という。一瞬その場で頭を抱えてしまった。 

実はその2日前、泥酔した白人客が転んで出血、その場にたまたま居合せた私が介抱し、病院に行く必要性があったため、一緒にいたはずの奥さんを探してホテル中を探しまわる騒動があったばかりだったからだ。(ちなみにその客は翌日チェックアウトしたのだが、もちろん一言のお礼もなく帰って行った。恐らく泥酔して覚えてなかったのだと思われる。) 

お世辞にも、血まみれの人を介抱するのは、決して気持ちの良いものではない。けれど、それが仕事となればまた別の話で、要は、自分なりにその時に出来る、精一杯のことをしたのだが、それがすべて報われないのも、この仕事の特徴だと言える。 

そういう訳で、転落の話が出た時、私の脳裏に最初に浮かんだのは、”また?!”だった。 


しかし、その白人客とこの日本人客には大きな違いがあった。 

詳細は、この時点では言及を控えるが、確実に言える事は、前の日記にも書いた通り、謙虚でいること、感謝の気持ちを忘れないこと、そして自己責任を取ること、この3つが、回りの状況を180度変えてしまったのであった。 

ホテルでの滞在期間はとうに過ぎてしまったにも関わらず、未だにホテルのエグゼクティブをはじめ、私たちスタッフが彼らを見舞うのも、一重にその奥様の態度・・深々と何度も私たちスタッフに頭を下げ、何度も丁重にお礼を言い、チェックアウトをする前に手渡して頂いた1枚の手紙・・が我々の彼らへの対応を一転して変えたように思う。 

白人客が多いこのリゾートで、私たちがクレーム時に宿泊客に対して取る一番重要なポイントは、”私たちは、リゾートに対して今後一切のクレームを出しません。”という証書にサインをして貰う事である。 

その理由は、ご想像通り、自己責任を取らず、問題の原因がこちら側の落ち度であるとして、我々を訴える人が絶えないから。 

その対応に、私たちは日頃画策している訳なのだが、この日本人客たるや、ホテルに対してクレームをするどころか、その真逆ー度重なるお詫びやお礼など、その慎ましやかな態度が、元々情に熱いメキシコ人の胸を強く打ったという次第。 

正直、私も最近では度重なる宿泊客のわがままに疲れが重なり、ついついぞんざいな対応をしてしまっていたことも確かである。 

しかし、人生毎日が修行の場なのだ。 

また初心に立ち返り、社会奉仕が出来る立場にいることに深く感謝をして、日々精進したいと思う今日この頃であった。 

ー終ー 


追伸:なんだか今年は、本当に集大成的なことが多いですね~。

確認の時

                                                                                          Dia de niña 3.3




いやはや、ほんとに驚きました。 

実は10日ほど前、ホテルのバルコニーから日本人客が転落する事故が発生し、それ以来、自宅→ホテル→病院間を往復してました。 

幸いにして、お客さんの意識が少し戻ってきたので、本当に安堵して、この日記を書いてます。 

人の死なんて隣り合わせで、いつ何時どんなことが起こるかわからない。 
ましてや、人に差なんて殆どないんだ、ということも強く実感したこの10日。 

もしそこに差があるとしたら、遜と感謝の気持ちを忘れず持ち続けること、人に依存(責任転嫁)することなく、自分で自分にきちんと責任を持つこと、その3つくらいなんだと、改めて学ぶことができました。 

いやぁ、しかし旅行会社や保険会社の果たす役割って大きい! 

皆さん、海外旅行にお出かけの際は、(特に言葉が通じない場合)是非この2つは忘れずに。 

これがあったお陰で、一緒に宿泊した奥さまにも、24時間態勢で付き添いが付き、通訳をして貰え、日本までの搬送も手配が可能になったのです。 

ホテルでよく見かけるお客さんに、こちらの顔を見て、”ま、(この人に)なんとかして貰えるだろう。”という依存心を持った方が非常に多いのですが、ここ、海外では自分のことは自分で、というのが大原則です。 

ましてや、我々も大多数の方を対象に仕事をしているので、ハプニングが起きた時に、お手伝いできる時間はわずかです。 

・・と自分で自分に改めて言い聞かせているような日記ですが、なんだかここのところ、色んなことが凝縮して起こりっぱなしで、確認の時期なのかな、と思った昼下がりでした。 

それでは、これからまた仕事、行ってきます~!