私の住むドンセレス地区ガレアナ通りには、たくさんのちびっこが住んでいて、学校の開ける夕方になると、
彼らは通りに出て遊び出す。
小さな子で4才くらい。大きな子で高校生。そんな年もバラバラの子供達が、ある時は女の子だけで、
ある時はお母さんごっこをする中に、男の子が混じり、またある時は男の子だけで集まってサッカーなど
していて、それは傍で見ていて、とても微笑ましい。
子供が好きな私は、彼らがどんな話をしているのか、どんなことに興味があるのか非常に気になるのだが、
生憎そこまでのスペイン語能力がない為、もっぱら、道で会って、短く挨拶する程度で終わってしまう。
彼らにしても、結婚もしてない、子供もいない年齢不詳のチニータ(中国系)が気になるらしく、
たまに2〜3人でやってきては、ちょっと恥ずかしそうに質問してきたりするのだが、なにせ会話が続かない。
誰か一人でも英語が分かる子が居たらなぁ、といつも思うのだが、私の相棒は子供が苦手な様子で、
買い物の帰りなどに、彼らが寄って来ても、自分だけ、さっと一人家に入ってしまうので、せっかく話しかけて
もらっても長続きしない。という訳で、悪いなぁと思いつつ、私自身も頃合いを見計って、適当に切り上げるの
が通常の習わしだった。
そんな中に突如として現れたのがライシャという、10才くらいの女の子だった。
彼女は、両親と小さな妹と共に、うちの左隣に数ヶ月前に引っ越してきたのだが、なんとも物怖じしない子で、
私を見かける度にすごい勢いで走ってきては、質問を投げかける。
”ね、あなた中国人?日本人?”
”名前は何?”
”日本と中国って違うの?”
”一緒にいる男の人は彼氏?”
”結婚してないの?”
好奇心の固まりで、彼女の言っていることがわからずに、私がきょとんとしていても、全く動じない。
”私の言ったことわかった??あ、わからないか。えーっと、「結婚」って言うのはね、男の人と女の人が
一緒に住んで家族になるって意味よ。わかった?まだわかんない??じゃ、もう一回説明するよ!”
こんな感じで、彼女は私が質問に答えるまで、絶対に諦めない。
その積極性というか、好奇心旺盛さに、私はある意味感銘を受けたし、周りの子供達も、彼女の大胆さには
一目置いている様子だった。
私とて、どこかに出掛ける時には、必ず寄って来て、”どこいくの?”と声を掛けてくれ、戻ってくると、
”ね、私の名前、もう一度日本語で書いてくれる?”と寄ってくる、どこまでも人懐っこく愛らしいライシャが、
ちびっこ達の中でも、とりわけお気に入りだった。
そういう訳で、約2ヶ月の不在を経てここカンクンに戻って来た時、楽しみにしていたのも、実はこの
ちびっこ達の姿に他ならなかった。
子供の成長は実に早い。
ほんの少し家を空けていた間に、彼らの身長はぐんと伸び、少しだけ大人っぽい顔つきになったり、
髪が伸びて男前になっていたりする。
相棒によると、不在中、毎日のように”Kyokoはまだ?”と女の子たち聞かれたとか。
そんな感じだったので、私が戻って来て通りに姿を表すと、彼らはちょっと眩しそうに走って来て、
”いつ戻ってきたの!?”といい、私が、”昨日だよ。”と話すと、またうれしそうに通りに戻っていった。
ただそれだけのことなんだけど、私は彼らと再会してうれしかったし、彼らもそう見えた。
ただ一つ気になったのは、ライシャの姿が通りに見えなかったということ。
たまたま見かけないだけかな?と最初は思っていたけれど、それが何日か 続いて、おかしいな、
と思っていた矢先、買い物の為に出掛けた先で、遂に彼女の姿を見かけた。
”ライシャ、元気?”
彼女は微笑んで近寄ってきた。が、なぜか表情に陰りがある。
そして、手に持っていた紙をすっと差し出すと、”これに私の名前書いてくれる?”と言うので、いつも通り、
ひらがな、カタカナ、漢字で書いてあげた。
”これが、ひらがなのらいしゃ、これがカタカナのライシャ、これが漢字の来紗”
いつもだったら、”わぁ〜!”などといいながら、紙を覗き込む彼女だが、今日の彼女は、黙ってそれを眺めて
いた。
”ありがとう。”
神妙に紙を受け取ると、いつも通り顔を上げて”どこ行くの?”と聞き、何か他に言いたそうなことがありそうな
気配ではあったけれど、相棒を待たせていたので、”また後でね。”と急ぎ大通りに出た。
ところが、買い物から戻って来て、昼の支度をしていると、彼が、”大変だ。隣の一家、引っ越しちゃった
よ!”と突然言い放った。
驚き、言葉を失う私を前に、彼が言うには、彼らは家賃が払えずずっと前から滞納していたこと、
彼の知り合いでもある家主は、何度も彼らに対して警告を出していたのだが、全く支払う様子もなかったため、
遂には堪忍袋の尾が切れ、出て行くよう告げ、それで逃げるように出て行った事。
けれど、この手の話は貧しい地区であるここでは良くあることで、別段驚くに値する話でもないこと、等々。
彼女を最近見かけなかったり、昼間、しょんぼりしていたのは、そういう訳だったのか。もう少しちゃんと話を聞いてあげればよかった・・そう思うと、自分のしたことが悔やまれた。
子供である以上、親の保護下にいるのは当たり前のことで、自分の意思とは裏腹に、こうして引っ越しする
羽目になったり、学校を変わったりするのはよくある話で、かくいう私も、小学校の卒業式の朝、母親から
”田舎に引っ越すことにしたから、友達にお別れ言ってね。”と急に言われ、唖然としたことがある。
そのことを思い出して、感傷に浸っていると、また出先から帰って来た相棒がこういった。
”お隣さん、戻って来たみたい。多分、一度荷物を運んで、また帰ってきたんじゃないかな?”
急いで外に出ると、彼女の両親が家財道具をトラックに括り付けているところだった。ちなみに、状況が
そうさせるのか、我々とは一切目を合わさない。
そして、どこまで状況を理解しているのか、遊ぶともなくトラックを囲む子供たち・・。
”ライシャ!”
両親の隣に立っていたライシャが顔を上げたので、”こっちに来て。”と彼女を呼んだ。そして隣同士腰掛けて、
家から持って来たギフトボックスを開け、お守りを一つと、特別な時の為に作り持っていた名札タグを取り出し
て、それに彼女の名前を改めて日本語で書いて渡すと、彼女は”ありがとう”と小さく言って、うつむいたまま顔
を上げなかった。
傍らで様子を伺っていた別のちびっこ達も、その光景を静かに眺めていたが、私が立ち上がるとまたそれぞれ、別の場所に走っていった。
子供が大人になるまでの道のりには、実に色々なことが起こる訳で、時として、胸を突かれるような思いや、憤りや、腑に落ちない、と感じて釈然としないことがたくさん起こるだろう。
でも、彼らが困難に差し掛かった時、手を差し伸べてくれる人、黙って自分の話に耳を傾けてくれる人が、
一人でもいたならば、その体験は、時間を経て、苦くとも、淡い思い出になるのかもしれない。
小さなライシャが、新しい土地で、また元気に明るく過ごせることが出来ますように。
困難にも負けず、今まで以上に強く逞しく、素敵なセニョーラになりますように。
全ての子供達に光あれ!
Tepoztlan 2009 |
ライシャちゃんは地球の反対側からやってきたチニータに会えた事、おおきくなっても忘れないだろうね。
返信削除名札タグに日本語で名前を書いてくれる素敵なチニータなんて人生でそうそう出会えるもんじゃないしね。
ほんとにおっかなびっくりのライシャ嬢でした。
返信削除今元気でやってるかなぁ〜。