2010年11月9日火曜日

ライシャ




私の住むドンセレス地区ガレアナ通りには、たくさんのちびっこが住んでいて、学校の開ける夕方になると、
彼らは通りに出て遊び出す。 



小さな子で4才くらい。大きな子で高校生。そんな年もバラバラの子供達が、ある時は女の子だけで、
ある時はお母さんごっこをする中に、男の子が混じり、またある時は男の子だけで集まってサッカーなど
していて、それは傍で見ていて、とても微笑ましい。 



子供が好きな私は、彼らがどんな話をしているのか、どんなことに興味があるのか非常に気になるのだが、
生憎そこまでのスペイン語能力がない為、もっぱら、道で会って、短く挨拶する程度で終わってしまう。 



彼らにしても、結婚もしてない、子供もいない年齢不詳のチニータ(中国系)が気になるらしく、
たまに2〜3人でやってきては、ちょっと恥ずかしそうに質問してきたりするのだが、なにせ会話が続かない。
 


誰か一人でも英語が分かる子が居たらなぁ、といつも思うのだが、私の相棒は子供が苦手な様子で、
買い物の帰りなどに、彼らが寄って来ても、自分だけ、さっと一人家に入ってしまうので、せっかく話しかけて
もらっても長続きしない。という訳で、悪いなぁと思いつつ、私自身も頃合いを見計って、適当に切り上げるの
が通常の習わしだった。 



そんな中に突如として現れたのがライシャという、10才くらいの女の子だった。 
彼女は、両親と小さな妹と共に、うちの左隣に数ヶ月前に引っ越してきたのだが、なんとも物怖じしない子で、
私を見かける度にすごい勢いで走ってきては、質問を投げかける。 



”ね、あなた中国人?日本人?” 

”名前は何?”
 
”日本と中国って違うの?” 

”一緒にいる男の人は彼氏?” 

”結婚してないの?” 



好奇心の固まりで、彼女の言っていることがわからずに、私がきょとんとしていても、全く動じない。

 
”私の言ったことわかった??あ、わからないか。えーっと、「結婚」って言うのはね、男の人と女の人が
一緒に住んで家族になるって意味よ。わかった?まだわかんない??じゃ、もう一回説明するよ!” 



こんな感じで、彼女は私が質問に答えるまで、絶対に諦めない。 
その積極性というか、好奇心旺盛さに、私はある意味感銘を受けたし、周りの子供達も、彼女の大胆さには
一目置いている様子だった。 



私とて、どこかに出掛ける時には、必ず寄って来て、”どこいくの?”と声を掛けてくれ、戻ってくると、
”ね、私の名前、もう一度日本語で書いてくれる?”と寄ってくる、どこまでも人懐っこく愛らしいライシャが、
ちびっこ達の中でも、とりわけお気に入りだった。 



そういう訳で、約2ヶ月の不在を経てここカンクンに戻って来た時、楽しみにしていたのも、実はこの
ちびっこ達の姿に他ならなかった。 



子供の成長は実に早い。 
ほんの少し家を空けていた間に、彼らの身長はぐんと伸び、少しだけ大人っぽい顔つきになったり、
髪が伸びて男前になっていたりする。 



相棒によると、不在中、毎日のように”Kyokoはまだ?”と女の子たち聞かれたとか。 



そんな感じだったので、私が戻って来て通りに姿を表すと、彼らはちょっと眩しそうに走って来て、
”いつ戻ってきたの!?”といい、私が、”昨日だよ。”と話すと、またうれしそうに通りに戻っていった。 

ただそれだけのことなんだけど、私は彼らと再会してうれしかったし、彼らもそう見えた。 
ただ一つ気になったのは、ライシャの姿が通りに見えなかったということ。 



たまたま見かけないだけかな?と最初は思っていたけれど、それが何日か 続いて、おかしいな、
と思っていた矢先、買い物の為に出掛けた先で、遂に彼女の姿を見かけた。 



”ライシャ、元気?” 


彼女は微笑んで近寄ってきた。が、なぜか表情に陰りがある。 
そして、手に持っていた紙をすっと差し出すと、”これに私の名前書いてくれる?”と言うので、いつも通り、
ひらがな、カタカナ、漢字で書いてあげた。 



”これが、ひらがなのらいしゃ、これがカタカナのライシャ、これが漢字の来紗” 



いつもだったら、”わぁ〜!”などといいながら、紙を覗き込む彼女だが、今日の彼女は、黙ってそれを眺めて
いた。 



”ありがとう。”
神妙に紙を受け取ると、いつも通り顔を上げて”どこ行くの?”と聞き、何か他に言いたそうなことがありそうな
気配ではあったけれど、相棒を待たせていたので、”また後でね。”と急ぎ大通りに出た。 


ところが、買い物から戻って来て、昼の支度をしていると、彼が、”大変だ。隣の一家、引っ越しちゃった
よ!”と突然言い放った。 



驚き、言葉を失う私を前に、彼が言うには、彼らは家賃が払えずずっと前から滞納していたこと、
彼の知り合いでもある家主は、何度も彼らに対して警告を出していたのだが、全く支払う様子もなかったため、
遂には堪忍袋の尾が切れ、出て行くよう告げ、それで逃げるように出て行った事。 

けれど、この手の話は貧しい地区であるここでは良くあることで、別段驚くに値する話でもないこと、等々。
 


彼女を最近見かけなかったり、昼間、しょんぼりしていたのは、そういう訳だったのか。もう少しちゃんと話を聞いてあげればよかった・・そう思うと、自分のしたことが悔やまれた。 



子供である以上、親の保護下にいるのは当たり前のことで、自分の意思とは裏腹に、こうして引っ越しする
羽目になったり、学校を変わったりするのはよくある話で、かくいう私も、小学校の卒業式の朝、母親から
”田舎に引っ越すことにしたから、友達にお別れ言ってね。”と急に言われ、唖然としたことがある。 



そのことを思い出して、感傷に浸っていると、また出先から帰って来た相棒がこういった。 


”お隣さん、戻って来たみたい。多分、一度荷物を運んで、また帰ってきたんじゃないかな?” 


急いで外に出ると、彼女の両親が家財道具をトラックに括り付けているところだった。ちなみに、状況が
そうさせるのか、我々とは一切目を合わさない。 

そして、どこまで状況を理解しているのか、遊ぶともなくトラックを囲む子供たち・・。 



”ライシャ!” 



両親の隣に立っていたライシャが顔を上げたので、”こっちに来て。”と彼女を呼んだ。そして隣同士腰掛けて、
家から持って来たギフトボックスを開け、お守りを一つと、特別な時の為に作り持っていた名札タグを取り出し
て、それに彼女の名前を改めて日本語で書いて渡すと、彼女は”ありがとう”と小さく言って、うつむいたまま顔
を上げなかった。 



傍らで様子を伺っていた別のちびっこ達も、その光景を静かに眺めていたが、私が立ち上がるとまたそれぞれ、別の場所に走っていった。 


子供が大人になるまでの道のりには、実に色々なことが起こる訳で、時として、胸を突かれるような思いや、憤りや、腑に落ちない、と感じて釈然としないことがたくさん起こるだろう。 



でも、彼らが困難に差し掛かった時、手を差し伸べてくれる人、黙って自分の話に耳を傾けてくれる人が、
一人でもいたならば、その体験は、時間を経て、苦くとも、淡い思い出になるのかもしれない。 



小さなライシャが、新しい土地で、また元気に明るく過ごせることが出来ますように。
 
困難にも負けず、今まで以上に強く逞しく、素敵なセニョーラになりますように。 



全ての子供達に光あれ! 




                                                         Tepoztlan 2009




2 件のコメント:

  1. ライシャちゃんは地球の反対側からやってきたチニータに会えた事、おおきくなっても忘れないだろうね。
    名札タグに日本語で名前を書いてくれる素敵なチニータなんて人生でそうそう出会えるもんじゃないしね。

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  2. ほんとにおっかなびっくりのライシャ嬢でした。
    今元気でやってるかなぁ〜。

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