2011年7月21日木曜日

生き別れ・死に別れ

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昨晩ベッドに入って眠ろうとしたところで、ふとメギのことを思い出した。

メギは去年の10月、近くの原っぱで母猫とはぐれて泣いていたところを、別の猫を探していた私によって発見され、救出された猫である。
http://kyoko0504.blogspot.com/2010/11/me-llamo-megi.html

以来、うちの家族の一員となって、内猫から、外に一人で遊びに行けるようになるまでの期間を過ごした。

過ごした、と過去形で書いたのは、ご想像通りで、母の死により、2ヶ月間、家を空けている間に、彼は帰らぬ猫となったからだ。

恐らく、新しい、居心地のよい家を見つけたものと思われる。

非常に用心深い猫で、私以外の人間にはなかなか心を開かなかったし、別の人が、うちを訪れると、決まって家の片隅に隠れていた。

そんな猫だったから、私の不在中、相棒が私に取って代わって世話をやいたところで、何か満ち足りないものを感じていたのかもしれない。

今回の失踪に関する連絡を、相棒から受けた時、私は冷静だった。さすがに、自分の可愛がる猫がいなくなったのが、これで3回目ともなると(そしてそれはいつも私の不在時に決まって起こった)、嫌でも慣れてもくるもので、だから、知らせを受けた時、前回のようには取り乱さなかった。

もちろん、一抹の寂しさを感じたのは否めない。

帰ってすぐに日本語クラスの授業数が増えたり、撮影に狩り出されて、毎日息をつく暇もなく働いているのは、不幸中の幸いだったと思う。

けれどその反面、彼は私に取って、紛れもなく大切な、そして尤も可愛がっていた子供であった。

彼は、やんちゃで、ユニークな猫だった。

だから、ふと何かの手を止めた瞬間、一日が終わってほっと一息ついた時に、彼のことを思い出して、感傷的になるのは、ある意味仕方のないことだとも思う。

人間、そんなに簡単に割り切れるものでもないのだ。それが、自分の愛した対象であれば特に。だから、そんな夜には、私は自分を放っておくことにする。

それが、メギに対する追悼でもあるのだから。


                 **


若い頃に失恋をして、その悲しみから立ち直れずにいた時期があった。

彼に戻ってきて欲しい。けれど、どんなに待てども、彼は戻ってはこない。
典型的な失恋のパターンである。

憔悴する中、ある日ぼんやりと街を歩いていると、通りがかりに、占いの看板が目に入り、そこに吸い込まれるように入って行った。

正直、そこで何を言われたのか、今となっては殆ど記憶に残っていない。

けれど、占いとは別に、その、人生の酸いも甘いも噛み締めた経験を何度もしたに違いない年齢の女占い師が発した言葉が今も強烈に残っている。

いつまでも思いを断ち切れない、と呟く私に、彼女は、はっきりとこう言ったのだ。

”何をそんなに悲しむというの?あのね、あなたはまだ若いから解らないかもしれないけど、どんな出会いにも、必ず別れがあるの。一つは死に別れ、もう一つは生き別れ。
彼と死に別れでなかったことを、せめて感謝しなさい。会おうと思えばまたいつか会えるんだから。”

強烈な一言だった。

どんな出会いにも必ず別れの時が来る・・

それまであまり考えたこともなかったけれど、それが、恐らく本当であろうことは、希薄な経験ながらに容易に想像が付いた。

これまで意識しなかっただけで、仲の良かった友達と、ある日突然決裂して口をきかなくなったり、家族の引っ越しで、双子のように仲良していた友達と別れる羽目になったりと、別れは経験していたからである。

別れは寂しいけれど、悲しみではない。それは新しいドアを開け、次に進んで行くというサインに過ぎないのだ。

それまでメソメソしていた私の涙は乾き、あっけなく立ち直ることができた。


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生き別れ、で思い出すことがもう一つある。

あれは19の春のこと。


進学する大学が決まり、今は亡き母と2人で、上京用の荷物をまとめた。

洋服に、布団袋に、思い出の品に、母は、自らの経験から、そして元来の要領の良さから引っ越しの達人で、口数は少ないながら、”こういう時はね、こうやってまとめるのよ。”と、荷造りのコツを教えてくれた。

そして、旅立ちの日、その一ヶ月後に、東京の下宿先に様子を見に来てくれることになっていたにも拘らず、彼女は、なぜか私だけをタクシーに押し込んで、自らは玄関先に佇み、タクシーで駅へと向かう私に向かい、大きく手を振った。

私の姿が見えなくなるまで。

小さく小さく、その姿が見えなくなるまで、彼女は私に向かって、手を降り続けていた。




あの時の胸の痛みを、私は今でも覚えている。

なんだか今生の別れの様に感じたからだ。

今にして思えば、それは彼女に取っての、儀式であったのかもしれない。

幾千もの愛情を注いで育て、危なげながらも巣立って行く、自分の分身に対する、別れの時。同時に、子離れの時。



それ以来、実家に戻るチャンスは何度となくあったけど、彼女はただの一度たりとも、私に戻って来てとは言わなかったし、その態度たるや、日本人の親としては、ドライ過ぎるんじゃないかとこちらが苦笑したくなるくらいに、実にサバサバとしたものだった。

そして、彼女はその態度を固守し続けた。

死に際にさえ、彼女は私の枕元に現れなかった。
人に迷惑を掛けることが大の苦手で、一人、さっさとあちらの世界へ旅立ってしまった。



                **



メギの失踪の知らせを受けた時、脳裏に浮かんだのは、なぜかあの日の母の姿であった。
そして悟った。

彼は独り立ちしたんだな、と。


赤ん坊だと思っていた彼は、私の心配も他所に、外に出歩くのが好きな猫へと成長した。
心配だからと、網を張っても、どこから出るのか、スルリと抜けて遊びにいってしまう。

所詮、野良猫上がりの猫なのだ。
そして、知人の言葉を借りれば、猫は自由な生き物なのである。

私は、過剰に心配すぎる自分を戒め、彼が自由を謳歌するのを黙認することにした。
私だって、そうやって育てられてきたじゃないか。


無論、メギと原っぱで運命の出会いをしてから今日まで、私もたくさんの愛を彼に注いで来た。

最初の1週間は、他の猫と隔離するために、作業室にヨガマットを敷き、ノミだらけの彼に薬を塗りながら、幾晩かを共に過ごした。

やせ細って、ノミにやられて目も開かなかった彼は、少しずつ、そして確実に育っていった。私が背中を曲げてしゃがむと、よじ上って肩に座り、私の顔をぺろぺろと舐めてくれた。

撮影続きで相棒がいない日に、寂しさを紛らわせるため、テレビをつけると、動く画面に向かって、二本足で立ち、右に、左にと参戦して、私を笑わせてくれた。

ほんとに可愛い猫だった。そんな彼と巡り会って、私は彼が独り立ちして、巣立っていくのを見届ける事ができた。


あの日の母の気持ちを、私は今、はじめて知ったのだ。

生きとし生けるものを愛することが、どんなに大切かということを。

そして、その対象を、あくまでも一つの個であると見据え、潔ぎ良く手放し、自らも、また一つの個に帰っていく、ということが、どんなに尊いかということも。

だから私は、彼らに言いたい。

ありがとう、そしてまた会おうね、と。


母も、メギも、姿こそないだけで、確実に私の中で生き続けている。




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※この文章を、先日2匹の愛猫を失った、L.AのEちゃんに捧げます。
ジュピちゃん、ゴンちゃん、たくさんの愛を、私たちにありがとう。
天国で二人、仲良くね。:)


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2 件のコメント:

  1. 私にとって最も身近な伯母が先日亡くなりました。
    彼女の死に際に会えなかったこと、
    お葬式にも参列できなかった事が残念です。
    でも2ヶ月前里帰りした際に、
    病院にお見舞いに行けて良かったと思ってます。

    そしてKyokoちゃんのこのブログを読んで、
    改めて、誰かとの出会いと
    共に生きた時間の大切さを感じています。

    別れ方の違いはあれ、いずれどんな近い人でも、
    大切なペットであっても、自分の元を去っていくのですよね。
    お互いが向き合える時に誠心誠意を尽くして向き合うことが
    きっと、大切なんだろうと思います。

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  2. そうだったの。残念でしたね。
    でも、おばさんが生きているうちに会えて、よかったね。
    ところで、私は今日、久しぶりにのんびりしてます。
    あ〜、こうして、自分だけの時間も大切ね〜。:)

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