相棒のところに訪れていた、ヒッピーのカップルと話しをする機会があった。
いわく、元々はメキシコシティに住んでいたけれど、現在はトレーラーでメキシコ国内を回りながら、行った先々で、壁画や石釜オーブン、コンポストトイレなどを作って販売し、収入としながら旅しているんだそうである。
驚くなかれ、メキシコにはこういうヒッピーが結構居る。
この間の日本語の授業で生徒にも言ったけど、日本人の、メキシコ人に対するイメージは、まだまだ、”サボテン、テキーラ、タコス”くらいで、だから、外国人が日本人に対するイメージを、”フジヤマ、ゲイシャ、サムライ”と言ったとしても、決して文句は言えないと、個人的には思う。
さて、そのヒッピーの彼女が、コンポストトイレの写真を見せてくれるといって、古いアンティーク調のカバンから、あるファイルを取り出した時、私は思わず、”あ!”と声を上げてしまった。
なぜなら、メキシカンヒッピーとは、何のつながりもなさそうなものが出てきたから。
それから、私も同じ柄のものをもっていたからというのがあと一つ。
という訳で、彼女を待たせて、急いで奥から出してきたのが、彼女と同じこの柄のノート。
いわずもがな、葛飾北斎の富嶽三十六景のひとつである。
ネットで見て初めて知ったのだが、「神奈川沖浪裏」っていうんだって。
おぉっと目を見張る彼女。
そして、よっぽど気に入ってるのか、ノートを手にして、しばらくその絵に浸っているのでこういった。
”ここに住んでいると、チーナチーナって言われることが多いし、あと、中国人と日本人の違いがよくわからない人がたくさんいるから、それを証明するために、去年日本に帰った時に買ってきたんだ。”と、私。
と、おもむろに顔を上げ、”え?中国人と日本人って全く違うじゃない!”と一緒に反論してくれる彼女。
この無法地帯にあって、トレーラーでわざわざヒッピー生活をしているだけあって、(見かけとは逆に、お金や教養がある人が、わざわざこういう暮らしをしていることが多いのもこの国ならではか?)この人、なかなかの博学らしい。
”私ね・・”と今度は彼女。
”これを書いた人ってすごいと思うのよ。見てよ、この波しぶき!”
”ふんふん。”
”あのね、今この風景を、高速シャッターで撮るでしょう?そしたら、本当に波しぶきが、こういう風に飛んだりしているのが見えると思うわけ。”
”うん。”
”でもさ、この絵、いつ書かれたと思う?大昔に書かれたんだよね?それこそカメラなんてまだなかった時代にさ。”
”うん。”
”だからよ・・だから、これを書いた人、すごいって私は思うわけ。ねぇ、どうやって、そんな昔に、こういう波しぶきの一つ一つが見えたと思う?!”
”うっ、そ、それは・・”
”ね、そう思うと、すごいでしょう!?”
”確かに。すごいねっ!!”
という訳で、外国人の彼女に、私はすっかり母国の有名画家の凄さについて教えられてしまった。
しかし、北斎もすごいけど、何と言っても私が驚いたのは、彼女(名前をディアナという)がその詳細に渡る事実に着眼したということである。
さすが自分も壁画を描くだけあって、気付くポイントが違うなぁ〜。
去年だったか、写真を専門に勉強した人と話す機会があって、わからないことがたくさんだから、是非教えて欲しい。と頼んだのだけれど、今はやっていないから、という理由で丁重にお断りされてしまった。
がっかりし、”うまく撮りたいけれど、全然うまくならないから、ストレスなんだよね。”とぼやく私に、彼女が優しく言った言葉に、私はその時、軽い衝撃を覚えたのを今でも覚えている。
彼女はこういった。
”でもね、撮り続けていれば、自然と巧くなるし、しかも写真を撮るって、ものごとをよく見よう、ということだから、とってもいいことなんだよ。”と。
私もディアナ同様、もう少し肩の力を抜いて、ものごとを見据える力を養うことができたなら、その時は、もう少し世の中が違って見えるのかもしれない。
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確かにそうだね。写真を撮るって事はよく見ることだよね。
返信削除それから人が見逃したり目にも留めない事でも、自分の心には引っかかる事や大切な事に目を向ける事でもあるよね。
さーすが、アーティスタ、mama taponeさん。
返信削除読みも深いわね〜。
私はまだまだ集中力が足りないんだなぁ。もっときらっといかなきゃ、きらっと。;D