2012年4月30日月曜日

無題

                                                                     El Puerto



久しぶりに近所の波止場まで歩いた。

桟橋の端に腰をかけ、空を仰ぐと、暮れ行く空に、カモメが気持ち良さそうに飛んでいる。
その様子をぼんやりと眺めているうちに、ふと、少し前に読んだ本のフレーズが頭に浮かんできた。



「気の滅入ったイルカや、自尊心に問題のあるカエル、リラックスできないネコ、憎悪の念を抱いた鳥に出会ったことがありますか?」



一人、その下りを思い出して笑いながら、もし、そんな動物がいたら可笑しいだろうなと想像してみたが、確かに、空を飛ぶカモメを見る限り、彼らはどこまでも平和で、自由で、悩みなどとは、全く関係のないところに生きているように見える。


かように、思考を持たない動物は、そこに居るだけで”禅”なわけで、そういう姿を、我々人間が見て、心を落ち着かせるのも、考えてみたら面白い事実だと思う。



つい3週間ほど前、飼っていた猫が、急に亡くなった。

猫の出入りの多い我が家で、彼は正真正銘、この家で生まれ育ち、そして私がここ、メキシコに来た年からずっと、共に過ごした”家族”だったので、残念であるとともに、彼との思い出も尽きない。


2年ほど前、弟猫が事故で亡くなり、連日泣いていると、彼はベッドまでやってきて、涙に濡れる私の頬を、そっと撫で、心配そうに、顔を覗き込んでいる。


最初は、あまり気にも止めてなかったが、相棒と言い争いをして、一人、ふさぎ込んでいる時も、また同じようにやって来ては、こちらの様子を伺っている。


普段は、ろくに触らせてもくれず、ちょっと気取った、気まぐれ猫だったけど、なんだか、ただの猫とは思えないような人間的思慮深さがあり、うちでは別格の存在だった。


そんな彼の一面が、ある日、より鮮明に分かる出来事があった。


外出先から戻ってくると、いつものように寄ってきて泣くので、撫でようとすると、それを交わして、さっと屋上に駆け上がる。


その姿がなんだか可愛らしかったので、追いかけっこのごとく、階段を走り昇ると、彼は上がりきった地面の上に、ごろんと寝そべって、寝返りなど打ちながら羽を伸ばしているではないか。


静かに近づくと、彼は、”みゃぉ〜ん”と可愛い鳴き声をあげて、私が撫でても抵抗する様子もない。


へぇ、今日は機嫌がいいんだと、その時はそれで終わってしまったが、翌日、仕事から戻って来ると、彼はまたしても、私を誘導するかのごとく、屋上に走ってあがる。


それで、再びそれに付き合って、階段を駆け上ると、そこに見えたは、町の向こう側に沈んで行く大きな夕日であった。


普段は、日常の雑事に追われて、一息つく時間もろくにないのだが、その夕日の、あまりの美しさに、彼を撫でることも忘れ、一刻一刻と色を変える空の色、夕暮れを背に飛んで行く鳥を眺めながら、しばし時の人となった。


かくして、その日を境に、日没に、あるいは日の出にと、私達は、屋上で過ごすことが日課となった。たまに、疲れててさぼったり、今日は面倒だからいいか、と思う時でも、必ず、彼が迎えにきた。


彼、ハヤブサは、他の猫の前では触られるのを嫌りながらも、屋上では、いつもリラックスして、お互い、ちょっと離れたところに座っては、鳥が次々と町の方角に戻って行く様子や、雲が流れ、空が黄昏色に変わり、一番星が光り出す様を、無心で眺め続けるのだ。


その、大切な時間を共に過ごすバディが、突如として逝った後、しばらく経ったある日、意を決して、私は一人、屋上に上がってみた。


彼のいない屋上。そして、いつも横たわっていた物干竿の一角は、しんと静まり返っている。


その脇に腰を下ろして、地平線を眺めると、丁度、月が海の上に姿を現すところだった。


それをしばらく眺めながら、どれくらい時を過ごしたのだろう。さて、そろそろ階下に降りようかと腰をあげ掛かって、はっと気がついた。



―月が、いつの間にか、頭上に昇っているー



ただそれだけのこと。

けれどその時、それが、とても重大なことだと、改めて悟ったのだ。


月が、毎晩昇り、その場所を変えながら、夜空を輝かせ、朝日と共に沈んで行くことに。

太陽が、毎朝地平線から顔を出し、刻々と、その場所を変えながら、地上のあらゆるものを照らし、夕方には必ず西の空に沈んで行く、ということに。



毎日昇り、毎日沈む。

絶えずその姿を変えながら、彼らは一刻としてその姿を留めることをしらない。


そう。命あるものはすべて、こうして生まれ、刻々とその姿を変えながら、死んで行くのだ。誰しもが、必ず。



そのことに気がついた瞬間、この一瞬一瞬が奇跡であり、宝であること。小さなことに気を取られて、本当に大切な何かを見逃してはいけないこと。はやぶさは、そのことを伝えるために私の元に来てくれたんだ、という事実に気が付いて、胸の中が暖かくなったのである。



かもめも、猫も、そして人間も、元は同じものなのかもしれない。
もし、人間が無に帰る瞬間を、もっと持つことができたのなら。




今日もまた日が沈んでいく。

そして明日、また新しい1日という命が誕生する。

今日、この瞬間、この場にいることに感謝して。



―母の一周忌、そしてそれと合わせるように天に召された、最愛の祖母に寄せて―















4 件のコメント:

  1. はやぶさときょうこちゃんの愛する人達のご冥福を祈ります。

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  2. nagisaさま:ありがとう!

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  3. お母さんが亡くなってからもう一年が経ったんだね、、、こういう時や大切なときにうまく言葉さえかけてあげられない自分の日本語の乏しさを反省すると共に、kyokoちゃんの文章の美しさには本当に感心です。

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  4. mama taponeさん:ほんと、一年なんてあっと言う間だよね〜。祖母のお葬式に参加出来ずに、残念でしたが、お盆には帰国しようと思ってます。mama taponeさんとは、いつどこで会えるかな?

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