2012年4月15日日曜日

Live this moment



                                                   Belize City, Belize
  

一時的に訪れていたメキシコで交通事故に遭い、絶対に乗らねばいけなかった飛行機に乗り損ね、頭が真っ白になりながらも、同時にそれが自分に対する何かのメッセージのようにに感じられ、帰国後、意を決してこの縁もゆかりもない土地にしばらく身を置いてみることに決めたのは丁度一年前の今頃だった。 


来てからは予想通り、大変なことの連続で、日本からの実質的な距離に加え、言葉の問題、文化の問題など苦難続きの上に、精神的にも肉体的にもつらい仕事をする羽目となり、非常に苦しかった反面、 そんな自分の状況をどこか面白がる悪癖は抜けず、更には次のサイン(私は内なる声、というようなことをなぜか信じていて、これまでもその声を頼りに色々と決めてきたので)に耳を凝らせど、なんら合図は送られてこず、半分開き直って踏ん張りつつも、漠然と感じる空虚感は募り、そんな寂しさを紛らわす為に、時間を見つけては、ネットの世界に逃げ込んだ。そして、自分が求めることが何かわからないままに、片っ端からネット検索をするうち、隣の国でJICAから派遣され、養護学校の先生をやっている、という人のウェブサイトに行き当たった。 

興味を持って読んでみると、それは乾いていた心にすっと水が染み渡るような、真摯かつ透明な文章だった。一気に魅了されて、早速持ち主にメールを打ってみた。 


”隣の国に住んで、映像関係の仕事をしてます。Sさんのやってらっしゃること、すごく興味があります。お目に掛かれる機会があればいいなと願ってます。” 


しばらくして返事がきた。 


”いつでも、遊びに来て下さい。子供達にも是非会ってあげて下さい。” 


陸続きのお隣の国に、同胞者で、こんな立派な活動をやっている人がいる。心が仄かに暖かくなった。いつか本当に彼女を尋ねてみたい。貧しい国でハンディキャップを負いながらも、頑張っている子供達と会ったら、きっと元気が漲ってくるだろうな。 


それから間もなく、急な依頼があって、この国に撮影に行く事になった。 
初めて行く国でどんな場所か事情も全くわからないままに、またSさんにメールを書いた。 


”突然ですが、撮影の仕事で急遽ベリーズにお邪魔することになりました。撮影の詳細は下記の通りです。現地の地理が全くわかりませんが、見学できそうな場所と時間のご都合があえば、是非見学にいらして下さい。” 


その後は、バタバタと用意をまとめ、撮影現場にかけつけた。 
現地の事情がわからないから、ありとああらゆる事態を想定して、大荷物を抱えて到着すると、そこはまさに戦場と化していた。 


ハリケーンで遭難する原住民を救うイギリス兵(ベリーズは元イギリス領)、という設定で作られたセットは、予想以上の大掛かりなものだった。 

7カ国から集められた総勢100名のスタッフに200名以上の現地のエキストラが加わって、小さな村は、突如大きな映画村と仕立て上げられていた。 


そして一旦撮影が始まると、灼熱の太陽と泥にまみれ、長時間労働からくる脱水症状と戦いながら、日が沈むまでに予定したカットを撮り終わらなければならないというプレッシャー。 

そんな張りつめた現場に突如として舞い降りたのが、以前にも書いたポールという当時9歳の、体に軽い障害を持った男の子だった。 



撮影初日終了後。我々によって消費された、無容赦に捨てられた大量のペットボトルを無視して帰ることができず、重い体を引きずりながら、その、気の遠くなりそうな数のボトルを一本、また一本と拾う。 

他のスタッフが自分の仕事を終え、皆足早にホテルへと戻って行く中で、誰も頼る事はできない。心を鬼にしつつ、通り過ぎる車を避けながら、一人ごみを拾っていると、ふいに、Tシャツの袂をひっぱる手がある。 

振り返った時に出会った、彼の満面の笑顔。 
多分、私はあの時の光景を一生忘れないと思う。 

スタッフを乗せた車が、ヒステリックにその、舗装されていない凸凹の道をスピードをあげて通り過ぎていく中で、そこに私とポールだけが静止し、お互いの顔を見つめ合っていた。夕日が彼の顔に反射して、黄金色に輝いていた。
 

彼にペットボトルを差し出された時、胸を強く押される衝撃を覚えた。 
うまく説明できないけれど、でも、強い強い何か・・。 



それから2人で、黙々とボトルを拾って回った。
それを見た子供達が、一人、また一人と集まってきて、気がつけば、私の周りには、たくさんの天使がいて、そこいら中を走り回りながら、皆笑顔一杯でボトルを届けてくれるのだった。

ゴミ袋にして1日10袋くらい、集めていただろうか?
お陰で村に、余計な置き土産をせずに済んで本当に良かった。




彼は不思議な魅力の持ち主だった。 

翌朝現場に入ると、彼はもうそこにいて、両手を上げながら、仕事中のスタッフの胸にストンと入っていっては、彼らの度肝を抜いた。 
そして、驚き笑いながらも、同時に彼らはポールに愛をもらったんだと思う。 

何故なら、彼にハグされた誰もが、次々に心を奪われていったから。 
撮影の前半が終わる頃には、たくさんの現地の子供がいる中で、誰もが彼のことを良く知り、そして大好きになっていた。 

彼は時にはメガホンをかついでディレクターの後ろを歩き、時には重たい機材を持って私たちの後をついてきた。ある時には、子供らしく大人の腕にぶら下がってはしゃぎ、誰かがあげたのだろう、お菓子を片手に、私を見つけると顔をくしゃくしゃにしながらやってきて、分けてくれようとする。そのうちに、誰からともなく、彼が厳しい生活環境の中で生きているということを聞き知った。 


その後撮影は順調に進み、いよいよポールとの別れの日が近づいてきたある日、相棒に”相談があるんだけど。”と切り出された。 


察しはついていたけれど、私は素直に同意できなかった。 


確かに彼は特別な子で、助けが必要なことはわかっている。 
彼の両親は貧困で、家には窓も家具もなく、唯一あるのは、布団代わりに敷かれた段ボールのみで、食べるものさえおぼつかない生活なのだ。 


だけど、軽々しい気持ち、その場限りの感情で、人の人生に踏み入り、逆に傷つけるようなことだけはしたくなかった。ましてや相手は小さな子供なのだ。裕福とはほど遠い私たちに、一体何が出来るというのだろう?支援途中で資金が尽きて、中途半端な形で放り出してしまうことになったら? 


”でも、このままストリートチルドレンとして生き延びたとしても、将来、どうなるんだろう?たいしたことはできないけれど、せめて彼が大人になった時、独り立ちして食べていけるよう、彼が教育を受けれる手伝いをできないものだろうか?” 


突如、Sさんのことが頭に思い浮かんだ。 
まだお会いしたこともなかったけれど、頂いた連絡先に電話をしてアドバイスを求めた。彼女は熱心に話を聞いてくれ、翌日、撮影現場に来て頂き、初めてお会いした時には、すでに力になってくれそうな関係者にその場で連絡をつけてくれている最中だった。そして、そこからは、まるで物語を読み進めるかのように、次から次へと色々な人が現れては、無償で力を貸してくれた。 
本当にありがたかった。 


お国柄、状況はそう簡単には進まず、今も、まだ決して軌道に乗った訳ではないけれど、ポールには、本当に天使がついているんじゃないかって思うことがたくさんあった。人の運命の不思議を感じた。 


正直、私は人助けをするような柄じゃない。 
本音を言ってしまえば、私はいつだって、私は海に戻って波間をくぐり、ボードにまたがって広い空を一人眺めながら、宇宙と一体化する瞬間を待っている。 


今は遠くになってしまった海だけど・・。 


でもきっと今は何か訳があって、ここにいるんだと思う。 
今ここで何かを学ぶために。 
誰かと出合って、大切な何かを話す為に。 


だから今は、この瞬間を生きようと思う。 
道は明日へとつながっている・・ 



(2008.10.29記・ポールとの出会いに寄せて)








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