2011年6月23日木曜日

羽田空港から



                                                      Ajisai (Fukuoka)





羽田空港の展望デッキにて、久しぶりの東京の夜景を眺めている。
大きな街、そして大きな夜景。

ここから見る東京の街は、本当に美しく、なんだか果敢なくも見える。
街が、九州のそれに比べて、あまりにも大きすぎるからだろうか。

そして、この大きな街が、一斉にゆれたのだ。あの震災の日に。
こんなに大きな街の、ここに住む1300万以上の人の頭の中に、一斉に死が過ったなんて、誰が信じられることだろう。

人の力なんて、自然の力に比べれば、ひとたまりもないものだと思う。
そして、人の命が、本当にちっぽけであることも。


今夜の東京は風が本当に心地よくて、この新しい展望デッキで、一人コーヒーを啜りながら、仲良しの友人をここまで呼び出せばよかったな、としばし後悔する。

その昔、東京で暮らしていた時に、気分転換が必要になると、一人空港まで来て、ただひたすらに飛行機が行き交うのを眺め、そして、熱りが冷めると、”よし”と心の中で呟いて帰ったものだった。

そんなことを、ふと思い出しながら、九州では決して感じる事のなかった気持ちー”この風はいったいどこから吹いてきているんだろう。”ーに思いを馳せる。


ここに座っていると、東北がとても間近に感じられる。

地理的なものか、それとも通っていた大学に、東北出身の学生がたくさんいたからだろうか、この風が運ばれてきた先で、大勢の人が命を失い、放射能を浴び、今、この瞬間にも、彼らは不自由な生活を余儀なくさせられている。

たくさんのきらびやかなものが、街にあふれ、(久しぶりに日本にいる私の目には、少なくとも、そう映る。)男達が今日もまた仕事場へと向かい、女達が、流行に、美白に、時間とお金を費やしている、すぐその向こうで。


昨日も

今日も

明日も

私には、同じに感じられる。


時代が変わろうとも、人々は働き、消費し、そして、今日も、明日も、来年も、再来年も、それを繰り返して生きているのだ。


死に向かって毎日、静かに歩を進めている私達に取って、本当に大切なことって何だろう?


私は亡くなった母の分も共に、この命を大切にしたい。
今、この瞬間に生かされていることに、感謝して。



改めて、東日本大震災で犠牲になった人々に慎んでお悔やみを申し上げると共に、
今後の日本の真の成長を心から願いつつ、しばしの別れとさせて頂きたいと思います。

また会いましょう、私の祖国。



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4 件のコメント:

  1. 今日羽田発だったのね。
    今回は色々な思いをめぐらされた滞在だったわね。。

    気を付けて!

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  2. 羽田空港の展望デッキはきれいで眺めがいいですよね。
    トイレもビデ付だし、外国人から見たらこんな機能が公共のトイレに付いているなんて、びっくり!じゃないかなぁと。

    私は昔、住むところがなくて困ったことがありました。
    もし、きょんさんが東京or神奈川近辺にベースを移したい時は、いつでもうちを第三、第四の我が家として使って下さいね。

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  3. Claraさん:

    ありがとう!早く、メキシコに遊びにきてね。今、L.Aの友達の家にいますが、あまりにも外国様が違うので、びびりまくってます。(日本と殆ど変わらない?!)

    メルさん:

    きゃぁ、久しぶり~!元気ですか?そうですね、そのうち是非また寄らせて下さい。ってか、メルさんも、遊びにきてきて~!:)

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  4. 道中、気を付けて!

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