La artesania, echo en Mexico |
久しぶりに、好みの音楽を見つけたのでご紹介します。
http://www.davidberkeley.com/
こういう、ギター一本のアコースティックサウンドって凄く好き。
今までも、色んな舞台・・コンサートとか、パフォーマンス、ダンスなど見てきたけど、いつも好きなのは、地明かり一本の一人芝居とか、ろうそく一本立てただけの紙芝居、一人裸足で踊るフラメンコなど、飾り気のないシンプルなもの。
ところで昨日、例の退化か進化かってテーマで、ホテルの同僚と再び盛り上がった。
彼女曰く、”私たちの頃は、頭で暗算したけれど、今の子は必ず計算機を使うでしょう?”と。
ふむふむ、確かにそうだよな。便利だからと、それに頼る癖が付いて、遂にはそれなしでは居られなくなっちゃったというやつだ。
”そういえば・・”と続いて私。
”昔は漢字を、頭ですべて暗記していたけれど、最近は、ちょっと思い出せないとなると、すぐにパソコンで変換して調べちゃう。それが習慣になっちゃったものから、簡単な漢字すら容易に思い出せなくて、すぐにパソコンを開けちゃう。”
”ほらね〜。一事が万事そうなのよ。”
”でも、そういう便利なものを逆に発明している人も居る訳じゃん?”
”カーナビ作ったり。”
”手を汚さない容器作ったり。”
”ゲーム発明したりとかね。”
最終的に、我々を大きく分ける境界は、受け身で居るか、自ら何かを発しているかに尽きるということで、話は一旦終わったのだけど。
しかし、たえず自分の頭で考え、何かを作り出している限り退化しない、という論理であるならば、やっぱりこうやって、ない頭をふり絞り、日がな掛かって、ブログをアップすることも、脳みそ退化防止につながっているのと願いたい。
いずれしても、全般的に見れば、退化している人が(自分を含めて)多いような気がするのは、春の陽気のせいでしょうかね?
.
.
0 件のコメント:
コメントを投稿