2011年12月31日土曜日

チャンネル



帰国の際、フライトの都合により、イブの夜、L.Aのホテルで一泊することになった。

家を出るまでバタバタのし通しだったので、その晩は食事も取らずに熟睡し、クリスマスの翌朝、再び東京行きの飛行機に乗る為に、早々にホテルをチェックアウトし、リムジン乗り場に向かったところ、すでにそこには何人かがいて、同じようにバスを待っている。

クリスマス日のリムジンは混んでいるらしく、すでに短くはない間、バスを待ち続けていることが人々の表情から伺える。

と、その中に、一際目立つ女性がいて、というのも、彼女の身につけているものが、センス溢れるもので固められていて、一体、どこでどういう暮らしをしているのだろう、と想像せずにはいられない趣だった。

しばらくその人の身に着けていたものをまじまじと眺め、一言話し掛けようかどうしようかと思っていたところで、ちょうどリムジンが入ってきて、彼女は私の方を振り返って、‘やっと来たわ!‘と言ったのだが、それは回送用らしく、私たちを乗せずに通り過ぎてしまった。

こういう状況になった時、アメリカ人は実に気軽に言葉を交わす。

‘あーぁ、行っちゃった。‘と、私が呟くと、`本当にねぇ‘と首を振る彼女。

‘そこから打ち解けて、私たちは何となく話を始める。

‘今年、母が亡くなったから、親父の顔を見に帰るところなんだ。‘と言う私に、‘あぁ、わかるわ。私も数年前に親を亡くしたから。‘と彼女。

パートナーがカンボジアに住んでいるので、これから東京経由で行き、一ヶ月を現地で過ごすと言う。

アンコールワットは、私が行った旅先の中で、今でも3本の指に入る美しさなので、‘いいなぁ、羨ましいなぁ‘と言うと、‘そうね、私も楽しみだわ。‘と彼女。

ちなみにパートナーはカメラマンで、今までも色んなところを旅して回っているらしい。

そこで、いつもそのような人に会った時にする通り、‘今まで行った中で、一番どこが好きだった?‘と質問すると、即座に、‘ヴェニス‘と回答が返ってきた。

‘言葉ではとても言い表せない素晴らしさよ‘、とため息交じりに話す彼女。

これで行きたいところがまた一つ増えた。

最初に彼女を見かけた時、そのセンスの良いいでたちに、一体この人は、どこで何をしている人なんだろう?と、興味を持たずにはいられなかった。

そしてその後、タイミングよく彼女が話を始めてくれたので、私は彼女と会話をするチャンスが持て、結局服のことは聞けなかったけれど、彼女と楽しいひと時を過ごすことが出来たのだ。

ただそれだけの話なのだけど。


得てして、人生の中でこういうことって多いような気がする。

チャンスはすぐ隣り合わせにあるのに、タイミングを逃したり、勇気を出せなくて黙っているうちに、去っていってしまう。


それから、チャンネル具合もあると思う。

私たちは一旦会話は始めたけれど、それは、「飛行機の座席が真ん中なので、早く行って、端っこの席に換えたい」という彼女の焦りにより、途中で途切れてしまった。(尤も、最後にはMerry Xmasと言い合って別れたが。)

もし、彼女の思考がその場にあって、もっとリラックスしていたならば、私たちは、もっと会話を続けたであろうし、もっと深い話、有益な情報交換が出来たかもしれない。

いずれにしても、自分のチャンネル(思考)を、常に正しく合わせておくことは、大切だし、特に来年は、このことが鍵になるように思えるは私だけでしょうか?


皆様にとって来年も素晴らしき一年になりますように。
今年も、皆様のサポート、ありがとうございました!


Kyoko

2011年12月13日火曜日

さぼってちゃいけません Vol.8

                                                          La ignasia (Oaxaca)


私の相棒は、いつも私にこういう。

"Kyoko, Enjoy your life! "

彼に取って、人生の最も重要なことは、自分が”楽しんでいるかかどうか”なのだ。
なんて短絡的なんだと思う。


”そんなに簡単にはいかないわよ。”と私は答えるが、ある意味、彼の言う事は当たっているとも思う。

自分の意志一つで、状況は、楽しくすることも、また逆に惨めにすることも出来るものだと、最近の私は考えるようになった。

不幸や不満に酔いしれるのは、簡単である。

日本に住んでいた時、今考えれば、とても恵まれた環境の中にいたけれど、私は決して幸せではなかった。いや、充分幸せではあったけど、それが当たり前すぎたが為に、有り難く思う機会もなかったのかもしれない。所謂贅沢病ってやつだ。


少なくとも、モヤモヤとした気持ちを抱えていた当時の自分は、勇気を奮い起こして一つの賭けに出た。

日本の外側を見てみようと決意し、それを実際にやってみた。
ただそれだけだ。


まさか、そこから始まって10年後、日本とは真反対のここ、メキシコで、これほどの不便かつ貧乏生活をすることになろうとは、当時は思いもだにしなかったし、全くの誤算であったと言える。
けれど、拭いきれない気持ちを抱え、行動に出さないまま、あれからずっと不幸に浸って生きてきたとしたら、どうだろう?きっと後悔していたのではないか?


実際、行動に出るのは、難しい。
私は大の臆病者かつ、石橋を叩き割ってしまうような性格なので、 ずっと出来ない言い訳を自分にし続けて、行動するのに人一倍の時間を要する羽目となった。

けれど当時、家族や社会のせいにして、出来ないと必死で自分に辻褄を合わせていたことは、単なる恐怖心の裏返し、自分自身への怠惰に過ぎなかった。要はさぼっていただけなのだ。

まぁ、そういう訳で、せっかくこんな地球の反対組んだりまでやって来たのだから、簡単に弱音を吐いていたのでは始まらない。

ある意味、相棒の提唱するところの、「幸せ主義」を選択した上で、日頃の些細な(?)アクシデントには目をつむるのも、悪くはないのかもしれない。


さて、それにしても、オアハカの空はさわやかに晴れ渡り、気温はサンクリストバルとは打って変わり、非常に穏やかで過ごしやすい。


気候の成せる技は大きい。


久しぶりに肩の力を抜いて散策を楽しみながらも、肝心の町中はというと、そこまで何かが発展した感じでもない。サンクリストバルの方が、より観光地的雰囲気で、小さい場所に色んなものが凝縮された感じ・・そう、日本で言えばカンクンが京都なのに対し、こちらは奈良という感じか?

のんびりとした空間が広々と広がり、何かが飛び抜けて垢抜けた感じはないけれど、なんとなく過ごしやすい。

結局この日は、一日町中を歩いて回って終わり、日が暮れた後は、ガイドブックで見つけた安宿にて早々と就寝した。前日のバス移動の疲れもあって、熟睡。



そして翌日、ホテルで貰った 朝食用チケットを持って、指定のカフェに入るや否や、そこに飾ってあった写真の数々に心を奪われてしまった。


それは、まぎれもなく、インドで撮られた写真であった。
象の頭を持つガネーシャ、老婆に老爺、物売りの少年、市場の人だかり、懐かしいアジアの香りが、写真を通して伝わって来る。


何とも、不思議な取り合わせであった。

私は今、メキシコの片田舎にいて、古びた建物を改装したカフェの、椅子に座って辺りを見回している。

店内は、地元のメキシコ人、バックパッカーがメキシコ風朝食を取っていて、けれど、その図に写真が、実にしっくりと当てはまっているのだ。

 私は時間を掛けてその一枚一枚を眺めてみたが、最初に目に飛び込んできた一枚・・リキショーを押す少年の鋭い視線を撮ったものから目が離せないでいた。

コーヒーを運んできたウェイターの男の子に、誰が撮ったものかと聞くと、地元に住む、外国人アーティストに寄るものだという。祖国からメキシコに移り住んだ後に、わざわざインドまで出向くなんて一体どういう人物なんだろう?

時々、夕方にこのカフェで一人、お茶を飲んでいるという。

持ち前の好奇心がムクムクと顔を出して、連絡先を聞いてみたが、知らないという。

仕方ない。また、出直すとするか。

(続く)