2011年11月25日金曜日

さぼってちゃいけません Vol.7

                                                                Cactus, Oaxaca
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さて、バス停に到着した後は、早速ホテルを探すことにした。
まだ朝の7時ではあるけれど、2回連続の長時間夜行バスの旅は、いささかこたえる。荷物を降ろして、早く熱いシャワーを浴びたい。

客引きで賑わうバスターミナルを抜け、まずはソカロまでバスで移動することにする。
そう。最初は豪勢にスタートした旅も、日にちを追うごとに心許なくなってくるのが、貧乏旅行者の悲しい性だ。

荷物はそれなりにあるけれど、タクシーなんかに払っている余裕などない。
そこで、バスターミナルの向かいのバス停からソカロまで、まずはローカルバス移動。

ガイドブックに乗っている通り、ソカロのすぐ脇のツーリストオフィスまで行くも、案の定まだ開いていない。

取りあえず、時間まで朝食でも取ろうかと、ソカロの中心に向かって歩いていると、早朝にも関わらず、何やら人だかりが。

近づいてみて見ると、メキシコの若者達が大勢そこにいて、興奮した面持ちで何かを待っている。

こういう時、何が起こるのか見ずに立ち去る事が、私にはどうしてもできない。
しばらく群衆とともに何が起こるか待ち構えていると、突然、”バルルンバルルン”と耳をつんざくような大きな音がしたかと思うと、レーシングカーが一台、また一台と、ソカロ内に入って来るではないか。

大きな歓声と共に、若者達が、持っている携帯で、一斉に写真を取り始める。レーシングカーなんて見たのは、生まれて初めてだけど、子供の時、弟が集めていたミニカーにそっくり(?)なのにはひたすら感心してしまう。

へぇ、なるほど〜。これがレーシングカーっていうものか・・。

と、その時、レーシングカーから颯爽と出て来た人物をみて、私は卒倒しそうになった。

車から出て来たのは、長身のヨーロッパ人らしき男性だった。
つなぎ姿がやけに似合っていて、なんというのか、そう、華があるのだ。

はぁ〜、もしかして、これがレーサーってやつか!

詰め寄るギャラリーに、いち早くマイクを差し出すインタビュアー。

よく見ると、パン・アメリカン・レースと書かれた看板がある。

その後、次々と到着したレ−サーの一人に声をかけてみると、メキシコ国内を横断するレースの一幕であった。

http://www.clubfc.jp/m_news/

しかし、私が心から感心したのは、その車というよりも、やはりレーサー達であった。

車のことは一切わからない私ではあるが、どの人もこの人も、本当に”決まっている”。
セナが生きていたら、こんな感じの格好良さなんだろうか?

もうメキシコ生活も4年目になるので、すっかり目が慣れ切ってしまっていたが、そう・・メキシコ人は一般的に背が低く、ずんぐりむっくりの色黒が多い。そしてそれとは対象的に、レーサー達の、なんと長身でハンサムなことか!(少なくとも私の目にはそう見えた。)どの人もこの人も、自信に漲って、優雅に見える。
あぁ、まるで、黒船が日本に来航したときに見学に行った水飲み百姓って感じだ。

ヨーロッパに住めば、日々、こういう人々に、囲まれて過ごすのか!?

そう想像した瞬間に、急にメキシコでの生活が色あせて見えてきたから、自分でも現金だと思う。

しかし、そう・・なんで未だに私がスペイン語を覚えられないのか?

要は、志気が上がらないのである。悲しいかな、この国には、話しかけたくなるようなイケメンも殆ど居なければ、無我夢中で会話をマスターしたくなるような情熱の沸く人物もいない。

もちろん、良い人はこの国にも五万といる。
でも、私に取っての決めては、誰が何といおうと、いつだってイケメンなのだ。

星の数程もある大学から、どうやって私が大学を選んだのか?
それは、好きだった先輩が、私の行った大学に行っていたから。

どうして私が音楽の仕事を選んだのか?
それは、その当時、ミュ−ジシャンがとても好きだったから。(しかし、実際にコンサートを回る過程で、たまたま隣り合わせた別ホールで、ロシア人バレエダンサーを見た日から、私の興味は、ミュージシャンからダンサーに一気に変わった。)

サーフィン命になったのも、ロッククライミングをやっていたのも、そう、私を虜にする要因・・イケメン・・がそこに居て、私のやる気を一気に掻き立てたからである。

ヨーロッパにいけば、毎日こういう長身のイケメンに囲まれて、暮らせる・・そう考えた瞬間に、私の頭は一挙、メキシコからヨーロッパに切り替わった。

そうだよ。こんなところで、ぼやぼやしている場合じゃない。

こうなったら、マジでヨーロッパに移動できるよう、考えなくっちゃ・・。

(続く)





2011年11月24日木曜日

さぼってちゃいけません Vol.6

                                                Gentes veendo. Chiapas
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さて翌日は、待ちに待ったオアハカに移動することにした。

サンクリストバルは、前に何度か訪れたことのある場所で、グアテマラ行きがなくなった今、私に残されている選択は、ひたすら北上するのみ。

同日の夜行便があることがわかり、早速チケットを購入した上で、時間を潰すために、町をプラプラと歩いていたら、かつて知ったる通りに、日本のカフェを発見。

いつの間に、こんなところに新しいカフェが?

早速中に入ってみると、アールデコ風のシックなランプに、障子をモチーフにしたインテリアで店内は、なんとも言えず落ち着いた感じになっている。

日本風に綺麗にデコレートされたデザートもあり、オーナーさんらしき人に、”素敵ですね”と声を掛けたら、”そう言って下さるのは、日本人だけ で、ローカルや欧米人にはなかなか伝わりにくいんです。”と。曰く、ディテールにこだわるのは日本人だけで、ローカルに至っては、味よりも量。何しろたく さんがっつり食べればそれで良し、だそうな。がくっ。

まぁ、わからなくもないけれど。何しろこちらの人はよく食べる。

一人では、とても食べきれないような量の料理を、私と相棒が半分ずつ分けて食べている横に、後からきた女性が、私たちよりも早く、一人でその皿をペロリと平らげる、なんてことはままあることだ。そして、料理の横には決まってコカコーラが並んでいる。

何しろ、味の濃いメキシコ料理と、コカコーラはとても相性が良いのだ。

コーラがなかった時代は、皆、何を飲んでいたんだろう?というくらいに、深く生活に浸透しているこの飲み物。そりゃ、皆が太るのも無理はないなと思う。

と、話しが脱線してしまったが、短いサンクリストバル滞在を経て、お次は、待ちに待ったオアハカへ。

このオアハカという町。手工芸品で有名な観光地ではあるが、私の住む町からは非常に行きにくくて、今まで行けず終いでいた。

例えば首都のメキシコシティに行こうとすれば、飛行機でひとっ飛びできる。
価格も安ければ片道100ドルくらいで所要時間が約2時間弱。

ところが、オアハカに行こうとする場合、まず、サンクリストバルまで夜行バスで17時間ほど掛けて行き、(実際は24時間丸々掛かる事も度々)一晩からだを休めて、また別の夜行バスにて10数時間掛けて行かなければならない。
おまけに、サンクリストバルに行くにも、オアハカに行くにも、道がくねくねと曲がっていたり、ところどころ揺れたりするので、お世辞にも快適な旅とは言いがたい。


そういう訳で、相当の覚悟を決めて、オアハカ行きのバスに乗るも、まだ前日の疲れが残っていたのか、それともサンクリの町で、寒さに任せて衝動買いした冬物のブーツとジャケットが功を成したのか、バスが動き出してから間もなく、私は深い眠りに着いた。

その夜、妙な夢を見た。

プライベートで教えている日本語の生徒が出て来て、”あぁ、彼女元気かなぁ。”と思っていると、そこは、彼女の働いているホテルで、ユニフォームを着た彼女とその同僚、ならびに上司の男性が一所に集まって、笑顔でゲストに挨拶をしている。

そうだよな、ホテルというところは、こうやって顔を作らなければならない大変な職場なんだよなと思っていると、ふと気付けば、なぜか私までもが、そこに座っているではないか。状況がよく飲み込めないまま、取りあえず、場を乱さない為に、私も必死で作り笑いを浮かべる。

ところがその後、私は奥の部屋で何かを検索しなければならなくなった。が、どうやって情報を取り出すかなど、新人の私にわかるはずもない。
スタッフに尋ねようとするのだが、彼らは楽しそうに離れた場所で雑談しているだけで、こちらの焦りなど、一向にかまってはくれない。焦りはやがて究極に達し、私は胸の中でこう叫んだ。

”なぜ、私ばかりがこんなに忙しいの?!誰か助けて〜っ!!!!”


と、次の瞬間目が覚めた。

冬物のジャケットが重すぎたのか、暑すぎたのか、妙な夢を見てしまった・・
カーテンを開けると、バスがオアハカのバス停にちょうど入るところであった。

あぁ、朝から疲れた。
今日はどこかホテルのベッドでゆっくり寝よう・・・



(続く) .

2011年11月13日日曜日

さぼってちゃいけません Vol.5

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しかしスタンスが変わるだけで、感じ方がこんなにも変わってくるのは、どうしてだろう?

住む国としてのメキシコは、厄介事が多い。
前にも何度か書いた通り、インフラが整ってないので、生活の基本部分が揺らぎやすく、ハプニングが実によく起きるので、落ち着いて暮らしにくいのだ。

けれど、住む事を辞めて、取りあえず旅して回ろう、と決めた途端に、身も心も軽くなって、この地が突然素敵な場所に写るののだから人の感覚なんてあてにならない。

町を歩けば、人々はにっこりと微笑みかけてくれる。
温かい眼差しに心がほぐれる。

道に迷って通りがかりの人に尋ねれば、人々は(例えそれが間違った答えであれ)親切に対応してくれる。

 人々は大らかで、子供が底抜けに可愛い。



つい数日前までは、あんなにも孤独で、ローカルの顔を見ることすら嫌になっていたというのに、立場が変わるだけでこんなにも印象が違って来るのだから、人の感性なんてあてにならない。

そうなのだ。旅をしている間は、ある意味、どこにいったって楽しいのだ。
なんたって旅人は、そこに住む人々にとってお客様。どこに行っても、生活を成り立たせる為に、ツーリズムを生業にしている人は五万といる。

それに旅人には責任というものがない。
その土地に対する責任、社会的責任、家族に対する責任(ここが観光客と旅人の大きな違いかも)、その一切合切から解放された、実に自由気ままな存在なのだ。


私のように、息抜きに加え、どこかにあるはずの終の住処を探して歩いたり、旅しつつ、文章を書く、写真を撮る、情報を収集する、ものの買い付けをするなど、ダブル目的の旅も、最近では少なからずあるように思う。

そして、目的が加わるごとに、意味合いは少しずつ異なって来るように思う。

私の場合、行く場所ごとに、その町の気候は、人々は、物価は、治安は、などという、生活の目線で見る癖があって、他のツーリスタがピラミッドや遺跡を訪れている間、町中を歩き回り、Se Renta(貸家)の看板など見つけては、この家の間取りは?光は充分に入るのか?ネット環境は?近くにヨガスタジオは?などと、あれこれ想像しては、一人悦に入ってしまう。

家を見て回るのは昔っから好きだし、人の暮らしも、見ていて本当に飽きない。

ここ、サンクリストバルもご多忙に漏れず、訪れると楽しい町だ。

オーガニックレストラン、市場、パン工房、 アート工房、お洒落なカフェなどがコンパクトに詰められている。

物価も安く、色んな先住民が住んでいるので、彼らの村を一つ一つ訪れたり、彼らの手織りの衣装を見て回るなど、観光地として人気が高いだけでなく、外国人やアーティストがこの地にたくさん住み着いていることも頷ける。


ちなみに私がこの晩泊まったホテルは、前回のリサーチの中でも最も気に入った一件で、お椀の底の形をした町中の、小高い丘の上にある。

メキシコの建物の、そのほとんどが、灼熱の太陽を遮断するために、厚い壁に覆われた、薄暗いものが多い中で、このホテルは、部屋の正面に面した大きな窓から、眼下の町並みが見渡せ、ご丁寧に、リビングとベッドルームが分かれ、台所に冷蔵庫まで付いていてご機嫌だ。

また、建物の屋上に続く階段を登れば、そこはテラスとなっていて、椅子に座りながら、のんびりとくつろぐことができるという設計。

こんなすてきなホテルが、一泊400ペソ(約2400円)だから悪くない。
 

一人では退屈してしまうかも知れないけれど、さっそく友達も出来たところで、清香ちゃんを招待し、日が暮れるまで、おしゃべりに花を咲かせ、楽しいひとときを過ごすことができた。

こういう時、話し相手がいるって、本当にありがたい。

日が暮れたあとは、気温がぐっと下がったので、本を片手に早々にベッドに潜り込み、翌日はオアハカに移動することにする。

そう。何のかんのいいつつ、寒さにはどこまでも弱いのだ。

(続く)

2011年11月8日火曜日

さぼってちゃいけません Vol.4

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さて、彼女との楽しいひとときを過ごした後、さて、これからどうしたものかと私は思案した。

昨日、バスに飛び乗った時の衝動は、”湯船につかりたい”ということで、昨日の段階で、本当は大枚を叩いてバスタブのついた、4つ星ホテルに泊まるつもりでいたのだ。しかし、実際、行動を目の前にすると、怖じ気づいて躊躇してしまう自分がいる。

そう、4つ星ホテルといえば、うちの家賃の半月分以上に相当する大金なのだ。

ただでなくても出費が嵩む今日この頃、どうしてそんな散財を一気に出来るだろう。

だから間を取って、バスタブはないけれど、ハンモック付きのホテルにて、私は心からくつろいだ。

そうなのだ。たったわずかな贅沢でも、自分にご褒美というのは、何かと気分一新に繋がるのだ。

よ〜し、じゃ、この調子で、ほんとに温泉に行くぞ!

人間、開き直ると怖いものである。

あんなに普段はセコセコしているくせに、今では温泉気分満載で、早速ネット屋に飛び込んで、情報収集とかかる。

”ほぉ〜、グアテマラにはたくさん温泉があるんだな。”
”お、メキシコシティから近いところにこんな温泉も・・”
”いや、待てよ〜。せっかく家を出てきたんだから、前から行きたかったオアハカにも行ってみたいし・・”

散々考えた挙げ句、取りあえず、グアテマラとの国境、チアパスまで行って、上るか下るか決めることにする。

夕食は、映画のロケ地になりそうなこのレストランで。



レバノン系のお店で、メニューは豊富だったけれど、長時間のバス旅になるのと、最近、ベジタリアンがマイブームだったりするので、軽く済ませ、夜7時過ぎのバスに乗り込み、間もなく深い眠りについた。


**


さて、次に目を開けた時、目の前に広がっていた風景は、海辺の平坦な景色から一転して、山岳地帯の長閑な光景だった。


簡素な先住民の住む家々を通り過ぎ、目につくものは、大きなバナナの木、放し飼いの鶏の親子、ヤギ、牛、子供たちとどこまでも素朴である。


どこに行ってもそうだけど、田舎の風景というのは、本当に心が和む。
そして、澄んだ空気に広がる木々が、青々と枝を広げる姿を見ていると、酸素が体中に浸透して、波打っていた心が、フラットな状態になっていくのを感じるのだ。


そんな風景をしばし楽しみ、果たして、チアパスまで到着する頃には、太陽は真上に上がっていた。メリダを出て、合計17時間。
予定より、大幅に時間を超えての到着だが、文句をいうものは誰もいない。

やれやれ、や〜っと着いた・・

と、バスから出て、大きな伸びをしようとして、固まってしまう。

え?!バスの中より寒いんだけど!


そう、南国にはよくありがちですが、この国の一等バスもご多忙に漏れず、車内に冷房が効きすぎていて、相当寒いのです。
貧乏旅行に慣れた私は、当然毛布持参にてこの旅にも望んだのだけれど、高地に位置するこの町の気温は、極寒の車中よりももっと寒かった。

あ、ってか今10月じゃん!ということに気が付くも、時既に遅し。

太陽の日差しはかなり暖かいけれど、日陰はかなり寒い。

そして、足元も・・。

そう、私は短パンにビーチサンダルという格好のまま出てきてしまったのだ。

常夏の場所に住んでいると、こういう基本的なことが、時々すっかり抜け落ちてしまうのが我ながら情けない。

これじゃ、メキシコシティより北の温泉なんてとんでもないな。

あちら側も、標高が高くて、昼夜の温度差がかなり激しいのだ。暖房設備のないこの国の安ホテルなんかに泊まった日には、震え上がってしまうこと請け合いだ。


快適とはほど遠いかも知れないけれど、それよりも、やっぱりここは旅人らしく、グアテマラに南下して、貧乏旅を楽しもうではありませんか。


そう決めたあとは、さっさと決めていたホテルにチェックインし、情報収集のために、以前何度か訪れたことのあるこの町のメインストリートを歩いて見る。

いやはや、何も変わってないなぁ〜。

あの時は、農業実習でこの町を訪れたんだっけ。
途中で飼っていた猫の訃報を受けて、残念ながら途中で帰ってしまったのだけど、あれから早や2年の月日が経ったとは。

お世話になったオーガニックレストランを訪れてみると、いたいた、あの頃と変わりのない顔ぶれが。

毎朝早起きして見せてもらったパン係の男の子は、表に出て働いていて、聞けば学校の方が忙しくて今では週2回しかパンは作ってないらしい。

残念ながらオーナーは不在にて挨拶も出来ないままだったけど、旅先で、自分を知ってくれている人に再会するのって、本当にありがたいことだ。

パン作り少年に至っては、私の名前までちゃんと覚えてくれていた。
ありがとう、デルフィノ!

そしてかつて自分がウーファーした、オーガニックレストランで、サラダをこんもり食べ、すっかりご機嫌になったところで、レストランを後にするやいなや、店から出てすぐのところで、日本人らしき女性発見。

一度は通り過ぎたものの、また戻って、声を掛けてみた。

”日本人の方ですか?”

”あ、はい。”

”あの〜、お会いしたばっかりで恐縮なんですが、地球の歩き方の中米編なんて持ってませんか?グアテマラに行きたいんですが、急いで出て来たので、もし良かったら、コピーさせて頂けないかと・・”

”あ〜、ごめんなさい・・私、ガイドブックって持ってないんですよ。”

聞けばその彼女、ガイドブックを持たずに、すでに1年近く旅を続けているらしい。

しかも、最初は中国から始まり、東南アジア、中近東、ヨーロッパを周り、南アメリカから北上して来て、つい数日前にグアテマラから、チアパス入りしたらしい。

”グアテマラ、雨が多くて、土砂崩れや通行止めも多いからどうでしょうね。私は、メキシコにきて、ホッとしてるんですよ。”

”え?むこうも雨が降ってるの?”

”いやぁ、この辺一帯、皆同じ周期でしょう。雨ばかりでどこにもいけなくて、つまらなかったですよ。それにむこうは物価も高いし。”

”え?グアテマラの物価が高い?”

”ええ、こっちよりも断然高いです。私も安いと思って行ったから、あてが外れちゃった。おまけに食べ物もおいしくないし、宿も種類が限られているし。メキシコの方が私はよっぽど好き。”

そう聞いて、私の胸は大きく揺れた。

散々これまで雨に降られ、道は通行止め、お湯もネットもない、ないないづくしの生活に嫌気がさして出てきたというのに、今より更に不便な思いを、わざわざお金を払ってしにいくのか?しかも、バスもどこまで通っているのかわからないというのに。

それよりも・・と私の心は動く。

行こう行こうと思いつつ、時間がなくて今まで行けずに居たオアハカに行ってみるのも、悪くないかもな。メキシコ内だったら、バスだって快適だし、いざというときには飛行機でさっと戻ることも出来る訳だし。

いったんそう決めると、なんだか身構えていた肩の力が抜け、彼女、清香ちゃんとの会話を思い切り楽しむことができた。

彼女は20代半ばくらいの笑顔の素敵な爽やか少女。

私が20代の時には、こうやって長期にわたって海外を渡り歩くなんて発想は、誰にもなかったし、海外にただ単に住むなんてことも奇抜な発想だった。

21の時に、初めてメキシコに来て数ヶ月を過ごした後、日本に戻って人に話したら、相当珍しがられたけれど、 20年以上経った今、日本人の若い子が、学校を出てすぐに国を飛び出て、まずは世界一周なんてもう、珍しくともなんともない時代になったのだ。

たったの20年で世の中の価値観がこんなにも変わろうなんて、あの時、誰が想像しただろう?

 彼女の話しは眠っていた私の旅心を強く揺さぶった。

そうだよ、この感覚。
私は旅が好きだった。
そして、旅をしている間は、本当にたくさんのことを感じ、たくさんの写真を取り(旅をしている時というのは、どうして力量よりも良い写真が撮れるのだろう?)、たくさんの人との出会い、別れがあり、そして何より抜群に楽しかった。

あ〜、また旅を再会したい!

しかし同時に私にはわかっている。

自分には、もう過酷な旅が出来ない事も。

 私には、安宿のマットレスで蚤やダニに咬まれ、固い枕で首を寝違え、安い予算で毎回サンドイッチを食べて過ごすしたり、夜になるとどこからともなく集まってくる様々な旅人達と共に、夜更けまで酒盛りをするような旅は、もう出来ない。

夜は早々に明かりを消して、ロウソクを点し、部屋で静かに本を読んだり、ワインを飲んだりして過ごしたいし、ベッドだって、うすっぺらい毛布1枚では寒くてやりきれない。

食べ物は、節約型かつヘルシー志向が基本だけど、たまには、素敵なレストランで、優雅にその土地の産物に舌鼓を打ちたい。

やっぱり、旅をするには資金だよなぁ・・

戻ったら、真剣になんとかしなくっちゃ。


(続く)



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2011年11月6日日曜日

さぼってちゃいけません Vol.3



さて、ハンモックナイトで気分を一心した翌日は、この町に住む、日本語学校の元生徒と久しぶりに再会した。


取り立てて彼女と個人的に親しかったわけではないのだが、何しろ頑張り屋で、将来は日本の企業で働きたいといって、休み時間も惜しんで勉強するような子だった。

引っ越しが決まって、”せっかく覚えた日本語を忘れてしまう。”と悔しがっていたことも引っ掛かっていた。その後、新しい先生は見つけただろうか?

 余談になるが、彼女は韓国系メキシコ人である。

最初に彼女と会った時、私は彼女はてっきり日系だと勘違いしたくらいに、親しみ深い顔立ちをしている。日本人の移民がメキシコに渡って来たよりずっと以前、彼らの祖先である韓国人は、ロープ産業で沸いていたこの町にやって来た。
今ではテキーラで有名なこの国だが、その昔は、テキーラの原料であるサボテンから、麻ひもを作って輸出していたのだ。
今でこそ、石油製品が横行しているが、その昔の航海時代、ロープの誕生は、世界各国から大きな注目を集め、巨大プランテーションには、アラブ人を始め、色んな人が介在していたらしい。シリア系やユダヤ系がこの土地に多いのも、その時の名残なのだろうと私は勝手に解釈している。

実際、ここメキシコには、実に様々な人種が入り混じっている。

まずはメキシコ全土に広がる先住民。

私の住むこの地区ではマヤ系がその殆どだが、一歩州をまたげば、そこには、また別の様々な先住民が住んでいるという具合。

それから、移民。
スペイン人に始まり、ドイツ系、先にものべたシリア系、韓国系、日系、ユダヤ系、そして最近では、アメリカ、カナダ、フランス、イタリアなどのニューコミュニティが、存在する。

メキシコと言えども、その大きさたるや、実は日本の5倍もあったりするので、他の地方に関しては詳しい事はわからないが、私の住む東海岸を一つとっても、彼らニューコミュニティは、至る所に点在し、その地区ごとに趣を変える。

同じビーチといえども、アメリカ人村、カナダ村、ヨーロピアンコミュニティでは、雰囲気も全く異なるし、国民性に合わせて、作られたレストランも、お店も全く異なってくるから面白いと言えば面白い。

例えば、美味しいパンが食べたくなった時や、一人、静かに過ごしたい時、 私はヨーロピアンコミュニティまで足を伸ばす。一人で静かになれたり、舌打ちしてしまうような(量は少なくとも)美味しいお店などというのは、なかなか採算が合いにくく、都市部には殆ど見当たらない。

かといって、仕事の場を郊外に移す勇気はないのが自分のじれったいところでもある。
あれこれいえども、都市部は物が手に入りやすく、仕事にも便利なのだ。

自分がもうちょっと、ヒッピー色が強くて、不便を楽しめるタイプであれば、郊外の生活はプリミティブで自然との一体感も強く、面白い人にもたくさん出会えると思う。

けれど悲しいかな、所詮私は、先進国で生まれた都会っ子なのだ。

自分はアウトドア派で、ワイルドなアドベンチャー好きだと信じていたことは、ここに住み始めて、いとも簡単に打ち崩されてしまった。

アウトドアをして楽しいのは、高原の涼しいところか、気候もマイルドな温暖気候の土地に限られていることを、私はそれまで気付かなかった。

マングローブが生い茂り、毒性の強い蚊や、咬まれると息が止まりそうになるほど痛いアリ、いったん咬まれると血が出るまで掻きむしってしまうサンドフライや、体の先端部を好んで差し、その毒性がリンパ腺までをも腫らせてしまうタバノが多く生息するこの地域では、キャンプなんて金を積まれてもやりたくない、と思うようになったのは、ここにきて、撮影という名の下に、色んな所に出掛けては、散々な目に遭ったからだ。

マングローブの湿地帯を通り抜ける際、体中が真っ黒になるくらい大量の蚊に襲われ、それを振り払いながら、必死でモーターボートに乗り換え、全速力で失踪するボートから振り落とされないように必死で捕まった体験も、二度と忘れられない出来事の一つだと思う。

それに比べると日本は、何と奇跡的な島だろう。

周りを海に囲まれ、敵に攻め入られる心配もなく、俳句や短歌が自然と浮かんでくるようなのどかで穏やかな気候。そしてその心地よさのもとに、ぬくぬくと独自の文化を育み続けた大和民族・・。

前からきた見知らぬ人物に、自分の潔癖を証明するために、”ハロー”とにっこり笑って挨拶をする必要もなければ、 自分の思っている事を、一から十まで説明する必要もなし。

”あれだよ。”とか、”よろしく。”とか”まぁそういうわけで。”というような曖昧な表現で、一事が万事片付いてしまうこの文化さは、諸外国から見れば不思議以外の何者でもあるまい。

以心伝心と良く言うけれど、ある時、この英訳を探していたら、”テレパシー”と書いてあるサイトがあって、なるほど、と妙に感心したことがある。

そう・・改めて言うけれど、日本って本当に類い稀にみる、恵まれた素晴らしい国なんですよ、皆さん!

これ以上、日本の良き姿が崩れないように、しようじゃないですか。

・・と話しがずれちゃったけど、そう、もし仮にも自分が日本人を代表する一人だとすれば、我々の守備範囲なんて、本当に狭い。条件付きだらけしか暮らせない、本当にヤワで打たれ弱い生き物だとつくづく思い知った訳です。

その点、ここに住むマヤ人の何と強いことか。

ちょっと田舎の集落に池場、学(がく)はなくとも、未だにゴム鉄砲で鳥を落として食べてる人だっているくらいなんですから、もう、生活が全然違います。
パラパと呼ばれる簡素な木造の家に、床は土間。ハンモックで寝起きし、 未だに自作の釜に薪をくべて料理する生活。

人や場所が変われば、別の暮らしがそこにはあり、それは、違い以外の何者でもなく、自分はそこには属さないし、また属せもしないということを、身を以て実感できるまでに、私はどれだけの時間を今まで費やしたことだろう。

そして、自分と似たような条件や価値観、常識の元で育ち、共感して貰える人が存在するということが、どれだけありがたいことか。これも、放浪中に学んだ、最も重要な発見の一つ。

目の前の生徒と、楽しく日本語で会話しながら、癒してもらっているのは、実は自分の側であることを、私は深く噛み締めていた。


( 続く)

2011年11月4日金曜日

さぼってちゃいけません Vol.2



だいたい、自分で選んどいて何なんですが、後進国での生活って、結構疲れるものなんです。

今まで生きてきて、普通にうまくいってたことが、ここにきて、毎回うまくいかない。

元々不便の中で暮らしていた人ならいざ知らず、不便ってなに?って感じの国に育った私達に取って、後進国での暮らしは、毎日ほんの少しずつ心を蝕み、荒ませ、体調さえをもじわじわと犯す危険性を多いに孕んだものなのです。

私はここ、後進国の中でも恵まれた方の国にいながら、”お金がない”とか、”貧乏暮らしも悪くない。”なんて、簡単に言うものじゃないな、と強く思い知る事が、いくつかあって、それほどに、自分の国が、あまりにも恵まれ、特殊な国であることを、何度も確認する機会を得ました。

だから、車にぶつけられた時、”あぁ、もう、この国は終わりにしよう。”と呆気なく放棄してしまう。

だいたい、打たれ弱い自分に、この剥き出しの、秩序も容赦もないこの国は、あまりにもキツ過ぎる。

もうこんな生活終わりにして、もっと快適な暮らしがしたい。
湯船につかりたい。あぁ、何もかも忘れて、湯船につかりたい!

そう思いついたあとは、何枚かの着替えと洗面具だけをバックに詰め、相変わらず降り続く雨の中、取りあえず、この町を去る、西行きのバスに乗り込みました。

まず最初に向かった先はメリダ。

そのあと、メキシコの中部に向かうか、グアテマラに向かうかはまだ決め兼ねるとしても、メキシコの最東側から別の都市に移動しようとすると、かなりの時間が掛かるのです。

それで、その日は取りあえず、水浸しのアパートと動かなくなってしまった車のことを忘れるべく、 最初の停留所のある(といってもうちからは4時間)メリダ泊決定。

ホテルはちょっと気張って、お部屋の中にハンモックのある、コロニアル風に決定し、夜遅くまでそのハンモックにぶら下がったまま、数独に没頭。

雨漏りもない部屋で、何の憂いもなく、高い天井を見ながらハンモックに揺られる、その心地よさといったらもう!

この先のことは全く分からないけれど、でもその夜一つだけ心に誓ったこと。

それは、「今後どこにいくにしても、次に住む家には、ハンモックを吊るそう!」ってこと。

自分のやりたいことが、一つだけわかって、取りあえず良かった。

(続く)

2011年11月2日水曜日

さぼってちゃいけません





皆様ご無沙汰しています。

お友達が、自分に鞭打って、旅行のアップをしようとしているのを聞いて、痛く反省し、私も重い腰をあげたところです。

そう..もう10日前になるかな?

激しい雨が降り続き、風がびゅんびゅん吹いてると思ったら、雨漏りがどんどんと激しくなってきて、ついに家が水浸し状態になってしまいました。

マイペースの相棒は、もちろん自分のスタジオに籠って、楽しくマイワールドに浸る日々。

そう、彼は数年越しのハリケーン撮影に関わっているので、雨が降ると途端にテンションがあがり、忙しくなるのです。

その昔、とある会社で働いている時に、”嵐を呼ぶ女”というあまりうれしくないニックネームを頂いたことがありましたが、私の相方は、メキシコのソープオペラもびっくりの、超波乱万丈男。二人してそうだから、もう大変だっていうの。

まず、彼のトラックがロケ先で故障しました。だいたい貧乏だから、トラックもオンボロなんです。いつ、どこで壊れてもおかしくないんだけど、寄り に寄ってロケ中に壊れたもんだから、慌ててレッカーの手配をし、進行中のロケを救う為に自ら出向きました。(ここまではよし)ところが、例のごとく「忘れ 物」をしたといって、私にそれを届けるよう電話してきました。

もう、この忘れ物ってのが曲者で、話すと長くなるけれど、彼は忘れ物の王者なんです。今まで忘れたもの数知れず、親が橋の向こうでまってるというクリスマスイブに、イミグレで、”ホテルの部屋にパスポート忘れたみたい。”なんていうのは、この世で彼一人だと思います。

何しろ、彼の忘れ物を救う為に、私は今まで何度も急ぎました。ええ。
今回もそのつもりで最前を尽くしていたのですが、ことはそう簡単には済まなかった。

メキシコではよくあることなんですが、いきなり道路工事を初めて、そこに何も表示を出してないんです。

それで、まんまと横からぶつけられてしまいました。

その1ブロック先で、おしゃべりに花を咲かせていた警官からは、”君がよく見ていなかったから悪い。”と駄目出しを受けましたが、私曰く、1.ど うして工事中の表示を出したないのか?2.工事中の表示をしている角には集中して警官が2人いて喋ってて、3.どうして工事中の表示がないほうの、どちら かというと重要な方には誰もいないのか?4.それって単なる職務放棄じゃないの?5.だいたい私をぶつけた男は、携帯を片手に、あとの2人と笑って運転に 集中してなかったって、もう何から何まで終わってるんですけど!って感じで。

でも、これがメキシコの不思議なところなんだけど、まぁ、誰も血も流してないし、いいんじゃない〜?って和気会々ムードなんですわ。

当然私一人がテンパっている中で、保険屋は自分の仕事をざくざくと終えてあっという間に帰り、私をぶつけた3人組は、こちらに”大丈夫?”の一言 もなく、飲み物など買って来て、警官と楽しく雑談モード。私の連絡でやってきた生徒は、超腹出しセクシー衣装で、警官に罰金のディスカウントを交渉し、相 棒不在につきやってきた相棒の子分2人は、私の車を外からぐるりと眺め、”あぁ、こりゃぁ駄目だなぁ”などと言い合ってる。

自宅の脇だったので、隣のタコス屋の屋台が出てる時間だったんだけど、こちらも”大丈夫?”の一言もなし。
それどころか、身近に起きた事件(ドラマ)に好奇心を隠せない様子で、何やら興奮しながらかわるがわる状況を見に来る始末。

もう・・こんな国、耐えられ〜ん!!!!!!!!!!

と何かが私の中で弾け、後進国居住者にありがちな、「日々、蓄積されたストレス」が、一気に自分の中で爆発するのを感じるわけです。

ってか、人にぶつけておいて、なんで”大丈夫?”とか一言聞かずにいられるの?(ローカル曰く、教育の問題というが、それって教育以前の「人として」問題じゃないの?)

工事して、勝手に車線を変えたら危ないって、公安委員かなんかの取り決めで、サインは出すべきじゃないの?(ここはメキシコだから、と人は言うけれど、命に関わるのでは?!)

こっちがぶつけられた衝撃で車内で固まってるというのに、どうして隣でおやつを食べるのだ、警官?!

そして、その腐った警官に、必死に罰金をディスカウントする生徒や、まるで私など居ないかのように、勝手に調査を薦める保険屋、相棒の子分、あぁ、もう何から何まで意味がわからないんですけど!!!

というわけで、相棒が急ぎ到着したときには、私のストレス度は160%くらいまで上昇し、彼の大嫌いなメキシコの悪口など始めたものですから、その場は一気に険悪ムードに。

そしてその後、止まらない愚痴をきっかけに、逆切れの相棒。

こうして、私は翌日、ついに家出をすることに相成ったのでした。

(続く)