2011年11月6日日曜日
さぼってちゃいけません Vol.3
さて、ハンモックナイトで気分を一心した翌日は、この町に住む、日本語学校の元生徒と久しぶりに再会した。
取り立てて彼女と個人的に親しかったわけではないのだが、何しろ頑張り屋で、将来は日本の企業で働きたいといって、休み時間も惜しんで勉強するような子だった。
引っ越しが決まって、”せっかく覚えた日本語を忘れてしまう。”と悔しがっていたことも引っ掛かっていた。その後、新しい先生は見つけただろうか?
余談になるが、彼女は韓国系メキシコ人である。
最初に彼女と会った時、私は彼女はてっきり日系だと勘違いしたくらいに、親しみ深い顔立ちをしている。日本人の移民がメキシコに渡って来たよりずっと以前、彼らの祖先である韓国人は、ロープ産業で沸いていたこの町にやって来た。
今ではテキーラで有名なこの国だが、その昔は、テキーラの原料であるサボテンから、麻ひもを作って輸出していたのだ。
今でこそ、石油製品が横行しているが、その昔の航海時代、ロープの誕生は、世界各国から大きな注目を集め、巨大プランテーションには、アラブ人を始め、色んな人が介在していたらしい。シリア系やユダヤ系がこの土地に多いのも、その時の名残なのだろうと私は勝手に解釈している。
実際、ここメキシコには、実に様々な人種が入り混じっている。
まずはメキシコ全土に広がる先住民。
私の住むこの地区ではマヤ系がその殆どだが、一歩州をまたげば、そこには、また別の様々な先住民が住んでいるという具合。
それから、移民。
スペイン人に始まり、ドイツ系、先にものべたシリア系、韓国系、日系、ユダヤ系、そして最近では、アメリカ、カナダ、フランス、イタリアなどのニューコミュニティが、存在する。
メキシコと言えども、その大きさたるや、実は日本の5倍もあったりするので、他の地方に関しては詳しい事はわからないが、私の住む東海岸を一つとっても、彼らニューコミュニティは、至る所に点在し、その地区ごとに趣を変える。
同じビーチといえども、アメリカ人村、カナダ村、ヨーロピアンコミュニティでは、雰囲気も全く異なるし、国民性に合わせて、作られたレストランも、お店も全く異なってくるから面白いと言えば面白い。
例えば、美味しいパンが食べたくなった時や、一人、静かに過ごしたい時、 私はヨーロピアンコミュニティまで足を伸ばす。一人で静かになれたり、舌打ちしてしまうような(量は少なくとも)美味しいお店などというのは、なかなか採算が合いにくく、都市部には殆ど見当たらない。
かといって、仕事の場を郊外に移す勇気はないのが自分のじれったいところでもある。
あれこれいえども、都市部は物が手に入りやすく、仕事にも便利なのだ。
自分がもうちょっと、ヒッピー色が強くて、不便を楽しめるタイプであれば、郊外の生活はプリミティブで自然との一体感も強く、面白い人にもたくさん出会えると思う。
けれど悲しいかな、所詮私は、先進国で生まれた都会っ子なのだ。
自分はアウトドア派で、ワイルドなアドベンチャー好きだと信じていたことは、ここに住み始めて、いとも簡単に打ち崩されてしまった。
アウトドアをして楽しいのは、高原の涼しいところか、気候もマイルドな温暖気候の土地に限られていることを、私はそれまで気付かなかった。
マングローブが生い茂り、毒性の強い蚊や、咬まれると息が止まりそうになるほど痛いアリ、いったん咬まれると血が出るまで掻きむしってしまうサンドフライや、体の先端部を好んで差し、その毒性がリンパ腺までをも腫らせてしまうタバノが多く生息するこの地域では、キャンプなんて金を積まれてもやりたくない、と思うようになったのは、ここにきて、撮影という名の下に、色んな所に出掛けては、散々な目に遭ったからだ。
マングローブの湿地帯を通り抜ける際、体中が真っ黒になるくらい大量の蚊に襲われ、それを振り払いながら、必死でモーターボートに乗り換え、全速力で失踪するボートから振り落とされないように必死で捕まった体験も、二度と忘れられない出来事の一つだと思う。
それに比べると日本は、何と奇跡的な島だろう。
周りを海に囲まれ、敵に攻め入られる心配もなく、俳句や短歌が自然と浮かんでくるようなのどかで穏やかな気候。そしてその心地よさのもとに、ぬくぬくと独自の文化を育み続けた大和民族・・。
前からきた見知らぬ人物に、自分の潔癖を証明するために、”ハロー”とにっこり笑って挨拶をする必要もなければ、 自分の思っている事を、一から十まで説明する必要もなし。
”あれだよ。”とか、”よろしく。”とか”まぁそういうわけで。”というような曖昧な表現で、一事が万事片付いてしまうこの文化さは、諸外国から見れば不思議以外の何者でもあるまい。
以心伝心と良く言うけれど、ある時、この英訳を探していたら、”テレパシー”と書いてあるサイトがあって、なるほど、と妙に感心したことがある。
そう・・改めて言うけれど、日本って本当に類い稀にみる、恵まれた素晴らしい国なんですよ、皆さん!
これ以上、日本の良き姿が崩れないように、しようじゃないですか。
・・と話しがずれちゃったけど、そう、もし仮にも自分が日本人を代表する一人だとすれば、我々の守備範囲なんて、本当に狭い。条件付きだらけしか暮らせない、本当にヤワで打たれ弱い生き物だとつくづく思い知った訳です。
その点、ここに住むマヤ人の何と強いことか。
ちょっと田舎の集落に池場、学(がく)はなくとも、未だにゴム鉄砲で鳥を落として食べてる人だっているくらいなんですから、もう、生活が全然違います。
パラパと呼ばれる簡素な木造の家に、床は土間。ハンモックで寝起きし、 未だに自作の釜に薪をくべて料理する生活。
人や場所が変われば、別の暮らしがそこにはあり、それは、違い以外の何者でもなく、自分はそこには属さないし、また属せもしないということを、身を以て実感できるまでに、私はどれだけの時間を今まで費やしたことだろう。
そして、自分と似たような条件や価値観、常識の元で育ち、共感して貰える人が存在するということが、どれだけありがたいことか。これも、放浪中に学んだ、最も重要な発見の一つ。
目の前の生徒と、楽しく日本語で会話しながら、癒してもらっているのは、実は自分の側であることを、私は深く噛み締めていた。
( 続く)
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