2011年6月25日土曜日

願えば叶うっていうけれど、みんな、既に叶えてるよ~!


                                             Naked Woman (L.A)



時差ぼけで眠れないままに、布団の中で寝返りを打っている最中、ふと、ある重大な事実に気が付いたので、早速起き出してパソコンに向かってます。

あのね、私思うんですけど、みんな、なんのかんの言いながら、自分の欲しかったもの、手に入れてません?って話。



例えば、私の地元の友達。



結婚して、優しい旦那がいて、可愛い子宝に恵まれている。
この子は、ずっとこのまま独身かなぁ~と思って(期待して)た友人さえ、念願のパートナーを見つけ、最後のダッシュとばかりに、それは滅茶苦茶可愛い一児の母となった。

うーん、やれば人間できるものだ。(そして、今ではその当時の悩みなどすっかり忘れて、高齢の母であることを嘆く彼女。嗚呼!)

例えば、このブログを読んでくれている私の友人。

彼女も、同じ。

ずーっとこのまま独身かなぁ、いや、いい女なんだけどなぁと思っていたら、とある男性と運命の出会いをして、あっと言う間に結婚に至った。
ま、これは良く聞く話だけど。

でも、私が驚いたのは、彼女が独身時代に、”私は自分が、将来ハワイに住んで、その家のバルコニーに座って、寛いでいるのが見えるんだよね~。”

と言っていたら、結婚後、山岳地帯に住んでいた彼をどうやって説き伏せたのか、気が付いた時には、ハワイに移り住んでいたのだから、これには本当におったまげた。

なぜなら、そのハワイ発言をした時は、私も彼女も、相手を見つけるどころか、ハワイのハの字も関係のない日々を送っていたからだ。



更に。


今回の帰国時に、私はそれぞれの夢を実現させた、色々な友人との再会(あるいは出会い)を果たした。




ヨガの道を邁進する、まさにヨガをする為に生まれてきたような友人。

賢い妻、そして母へとなり、3人の美しい子供達に囲まれて幸せな人生を送る友人。(私の中で、彼女は霧島洋子である。)

洋服とハワイが大好きで、最初は細々と、そして遂にはお店を造って、人々に素敵な空間とセンス溢れるモノを提供するお友達。

子供が大好きで、その道をもっと極めたい、とうれしそうに話してくれる、優しさと笑顔に満ちた友人。

海外でのビジネスに興味があり、ほかのことはさておき、その道で独り立ちしたわが兄弟。

頑として誰の手も借りず、最後の最後まで母を看取った親父。

日本の経済立て直しのために、持てる力を捧げたいと願い、日々寝る間も惜しみ、身を粉にして働く頑張り屋の彼女。

環境問題に強い関心を抱き、今日も、その優しい語り口で私たちに、色々なことをシェアし、語りかけてくれる、そこのあなた。

病気の体験を惜しみ隠さず話してくれ、さらには、その体験をバネに、一回りも二回りも魂の成長を遂げた(私にはちょっと眩しい)妹分。

”私は、こんな田舎に住むのは嫌。絶対に将来は東京に行って、可愛い年下の男の子と結婚するの。”と言って、その夢をそのまま実現させた同級生。

ダンスが好きで好きで、気が付いたら、自らがインストラクターとなり、その生徒達が、輝かしい功績を出すまでになった友人。


そして、日本の優に2倍はありそうな、高い天井に光の差し込む、ロフトと暖炉付きのゴージャスなマンションに住み、ビバリーヒルズでヘアメイクとして活躍する、L.Aの友人。(彼女は20数年前、私と一緒に訪れた時、この土地に恋して、それ以来、ここの住人となった。)

真っ赤な新車を乗りこなす彼女は、以前にも増して女に磨きがかかり、この、L.Aという土地がぴったりなクールビューティである。




そう、みんな、かつて願っていたことを実現しているってこと。

これってマジですごい。

願えば叶うっていうけれど、実は、みんなとっくに自分の夢を叶えているのだ。





・・と、ここまでかいて、はて、と思ったことがある。

自分はどうだろう?

私は、夢に思い描いた通りの人生に、なっているんだろうか?

だいたい、私の夢ってなんだったっけ??

すっかり目も冴えて、布団の中で思いを巡らすことしばし。

あっ、そういえば・・



あれは、5年前。

まだ、私が人生に迷い、今にもまして、その辺を徘徊していた頃のことである。

バリで宿を営む、仲良しの(とこっちは勝手に思っている)友達のところを訪ね、彼を相手に、私はあーでもない、こーでもない話しをした。
ちなみに、その彼は、非常に頭が良くて、洞察力にすぐれた人物である。

”やりたいことも定まらず、悩み多き人生なんだよね~。”とため息をつく私に彼は、こう、ボソッと言ってのけたのだ。

”あっちでもない~、こっちでもない~と旅しながら、ずーっと彷徨い続けている人生だったりして。はは。”




こ、これだ~っ!!!

まさに、これではないか、私の人生のテーマ。

「ザ・優柔不断:あっちいきこっち彷徨い、色んな人と話しながら、その場所大いに満喫人生」


今回もそうだったが、地元に戻れば、”あ~、いいなぁ、地元にずっといる子は。私も普通に結婚して子供生んでってのも良かったなぁ”と思い、東京に行ったら行ったで、”うーん、やはり、都会のこの風もなかなか。”と一人浸り、飛行機が離陸した後になって、”うわ~、やっぱり日本に戻ったついでに、バリ、行っとけば良かったかなぁ・・”としばし後悔し、”いやまてよ、やはりここは、メキシコに一度戻って稼ぎ直して、経済的に自立を果たしてからにしよう。”と考え直す。

L.Aに着いたら着いたで、この、素晴らしいまでに爽やかな気候と、環境の良さと美しい町並みに心を躍らせ、”やっぱ、メキシコなんてやめて、どこかでナニーの仕事でもした方が、効率がいいんじゃない?”と地元の情報誌を手に取り、その端では、”いやいや、早くインドのヨガアシュラムへ””いやいや、NYのカード行商がまず先だ。”と、私の妄想は留まるところを知らない。



実際、これまでも私は、けっこうな場所を、けっこうな時間を掛けて彷徨ってきた訳で、要は、少しずつ、色んな場所へ移動を繰り返しながら、その場で出来る事--出会いや再会をその時目いっぱい謳歌--できれば(人はどう思おうと)結構幸せなのかも。そして、最もラッキーなことには、私には、行く先行く先で、馬鹿話に相槌を打ってくれる人が必ず居る。

これ以上、何を望もうと言おう?

この際、迷いは捨て、このままこのウロウロ街道を進んで行こうではないか!



知り合いの、熟練サーファーが、その昔言っていた。


”分かれ道に差し掛かった時、どっちが正しくてどっちが間違いというのはない。どちらでもいいから自分が信じる方を選んで、それを、わき目も振らずに一心に突き進んでいく。突き進んで突き進んで、突き進み切った後で、うしろを振り返ってみると、そこには道が出来ている。正しいのは道じゃない。自分がその道を作るんだよ。”



Travel.Trouble<旅にトラブルは付き物編>

                                                                                Gon-chan (L.A)


いやぁ、またまたやってしまいました!

羽田から無事飛んだまでは良かったんだけど、予定より1日早くL.Aに着いてしまって、友達に泡を食わせることになってしまった。わはは。

何が起こったかっていうと、まず、私の今回のフライトは、24日の00:45でした。

一瞬迷いません?え、00:45で、夜だっけ、昼だっけって。

そうそう、良い子の私もご多忙に漏れず、この時間表示を見たときに、眼球が上に上がりました。

えーっと、00時だから、夜中ってことだよね、23日の夜中の続きの・・うんうん。



そこまでは良かったのです。私は間違っていませんでした。
ところが、L.Aの友達に確認された時、私はいとも簡単に、こう答えたのです。

”うん、24日ね!19時に到着だから、えーっと20時頃に、デルタの出口で待っててね~!”

律儀な友達は、私に念押しをした後、”20数年ぶりの再会だね。今から楽しみにしているからね!”と言って電話を切ったのです。


・・・が!


いつもの通り、決して一筋縄ではいかないのが、私の旅のカルマ。

飛行機に乗りこみ、や~れやれ、と腰を下ろした瞬間に流れたアナウンスに、思わず叫び声をあげてしまいました。

”この飛行機は、当空港を予定通り00:45に出発し、ロスアンジェルス空港に、23日の午後19時15分に到着の予定でございます。”


え? え? え~???

24日に乗って、なんで23日に着いちゃうわけっ??!

時差があるから、時間が逆行するのは理解できるけど、なぜ、一日さかのぼる??

えーっと、24日の夜中ってことは、むこう時間の23日の午前中で、それから10時間のフライトだから、9時プラス10時間で、19時。

うぎゃ~!23日の19時すぎに到着だったぁ~!!

・・と、一人ムンク状態に陥るも、時既に遅し。

羽田であれほど時間を持て余して、プラプラとしている暇があったら、彼女にメールの一つでも入れられていたのにっ!

元来、小心者の私は、こういう時、ひたすらこうしたハプニングに心を奪われてしまう。

別に地球の果てまで行く訳ではなし、大きく構えて、いざとなったら、一晩だけ、どこかのホテルにでも。泊まってゆっくり旅の疲れを癒せば良いだけのことだ。・・と考えようとする。

が、しか~し!

私には、大きなハンディキャップがある。

荷物・・そう、荷物がいつもながらに異常に多いのだ。

今回も合計で約60キロを抱え、勝手のわからぬ場所で、安ホテルを求めて右往左往するのは、正直厄介なことである。


が、ここは最近本で齧った知恵でも適用させようではないか。

”いやいや。今、この瞬間に困っている訳ではないのだ。今は、ゆっくりと休んで、向こうに着いてからまた考えよう。ま、なんとかなるさ!”

かくして、私は爆睡モードに入り、機内食が来たのも分からず、やっと目覚めた頃には、飛行機は既にL.Aに着陸するところであった。

着陸後さっさと外に出れるように、なるべく前の席を取っている関係で、いち早くターミナルに躍り出た私は、長い廊下を歩いて、荷物受け渡し所にて大きな2つのバゲージを受け取った後、税関を抜け、颯爽と出口に向かう。

”居ないかな~、居ないかな~?急にテレパシーが閃いて、迎えに来てくれたりしないかな~?”



もちろん、居るわけがない。はは。


仕方がないので、まずは彼女に電話をすることにする。

えーっと、公衆電話、公衆電話・・

夜8時すぎの空港は、たくさんの人で大賑わいである。

今回の旅では、何がどうなるかわからなかったので、私は身の回りにある、ありったけの全財産
(メキシコペソ、米ドル、シンガポールドル、マレーシアリンギ、少々のインドネシアルピア)を携帯していたのだが、あいにく、電話を掛ける為のクオーターは持ち合せていなかった。
しかし、人で賑わうターミナルのどこを見渡しても、両替所が見当たらないどころか、肝心の公衆電話さえないのである。

彷徨う事約5分。

あちこちで係員に換金(もとい、クオーターねだり)を断られ、致し方なく、そばにあったオフィスに駆け込む。

”すみませ~ん、間違って、予定より1日早く着いちゃって。友達に電話しないといけないんだけど、お金買えて頂けませんか?”

そこにいたブラックの兄ちゃんは、そんなことならお任せよ、とばかりに、オフィスの電話から彼女の番号に繋いでくれた。


”あ、Eちゃん?私私!あのさ~、私、間違ってもう着いちゃった~!”

”えっ?!何それ?まじでっ!?オーマイガー!!わかった。今速攻で家を出るから、外を出たところで待っててくれる?じゃ、今出るから!”



持つべきものは友とは、まさにこのことである。

かくして、私は安宿を求めて彷徨うこともなく、それからちょっきり20分後、無事、彼女との再会を果たしたのであった。

ここで教訓。

<飛行機に乗る前は、必ず到着日と時間を確かめましょう!時差があるからといって、すべてのフライトが同日に着く訳ではありません。>

しかし、Eちゃんが家にいてよかった~。




続く




2011年6月23日木曜日

羽田空港から



                                                      Ajisai (Fukuoka)





羽田空港の展望デッキにて、久しぶりの東京の夜景を眺めている。
大きな街、そして大きな夜景。

ここから見る東京の街は、本当に美しく、なんだか果敢なくも見える。
街が、九州のそれに比べて、あまりにも大きすぎるからだろうか。

そして、この大きな街が、一斉にゆれたのだ。あの震災の日に。
こんなに大きな街の、ここに住む1300万以上の人の頭の中に、一斉に死が過ったなんて、誰が信じられることだろう。

人の力なんて、自然の力に比べれば、ひとたまりもないものだと思う。
そして、人の命が、本当にちっぽけであることも。


今夜の東京は風が本当に心地よくて、この新しい展望デッキで、一人コーヒーを啜りながら、仲良しの友人をここまで呼び出せばよかったな、としばし後悔する。

その昔、東京で暮らしていた時に、気分転換が必要になると、一人空港まで来て、ただひたすらに飛行機が行き交うのを眺め、そして、熱りが冷めると、”よし”と心の中で呟いて帰ったものだった。

そんなことを、ふと思い出しながら、九州では決して感じる事のなかった気持ちー”この風はいったいどこから吹いてきているんだろう。”ーに思いを馳せる。


ここに座っていると、東北がとても間近に感じられる。

地理的なものか、それとも通っていた大学に、東北出身の学生がたくさんいたからだろうか、この風が運ばれてきた先で、大勢の人が命を失い、放射能を浴び、今、この瞬間にも、彼らは不自由な生活を余儀なくさせられている。

たくさんのきらびやかなものが、街にあふれ、(久しぶりに日本にいる私の目には、少なくとも、そう映る。)男達が今日もまた仕事場へと向かい、女達が、流行に、美白に、時間とお金を費やしている、すぐその向こうで。


昨日も

今日も

明日も

私には、同じに感じられる。


時代が変わろうとも、人々は働き、消費し、そして、今日も、明日も、来年も、再来年も、それを繰り返して生きているのだ。


死に向かって毎日、静かに歩を進めている私達に取って、本当に大切なことって何だろう?


私は亡くなった母の分も共に、この命を大切にしたい。
今、この瞬間に生かされていることに、感謝して。



改めて、東日本大震災で犠牲になった人々に慎んでお悔やみを申し上げると共に、
今後の日本の真の成長を心から願いつつ、しばしの別れとさせて頂きたいと思います。

また会いましょう、私の祖国。



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2011年6月22日水曜日

動物に血液型はあるのか?




今朝方、表題のような夢を見て、ふと目が覚めました。

ふむ、どうなんだろう。これは調べてみなきゃ、と思いはしたものの、ちょっとゆっくり探している時間がありません。(といいながら、ブログは書いてるんだけど。)
という訳で、もし知っていらっしゃる方がいたら、こっそり耳打ちして下さい。

ところで、今日、福岡から東京を経由して、L.Aに経ちます。

L.Aでは、久しぶりに会う友達と再会を果たして、ほとぼりの冷めた頃に、ぼちぼちメキシコに戻る予定。

日本でお世話になった皆さん、本当にありがとう!

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

また落ち着いたらアップしますね。

それではまた会える日を楽しみに〜!



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2011年6月17日金曜日

神様の視点





日本での滞在もあと僅か。

今回は、めずらしく地元ばかりで、東京をはじめ、関西や福岡さえもあまりいく機会がなかったけれど、でもおかげさまで、地元密着型で、ゆっくりと過ごすことができました。

地元の皆さん、そして新しくお友達になってくれた皆さん、本当に色々とありがとう!

ところで昨日、ふと思ったことがあります。

私は今回、母のことがあって一時帰省していた訳なのですが、地元に住んでいる友人達にとっては、ここが地元であり、日々の生活がある訳で、毎日とっても忙しそう。

それぞれに家族がいるので、家事に加えて、子供の習い事の送り迎えに、PTAに、ヨガに、バレーボール同好会に、と毎日盛りだくさん。

日々、図書館に行ったり、友達のところに入り浸ってのんびりしている私とは随分な違いです。

距離的にはすぐ近くにいる仲間達だけど、私がひとしきり、予定を済ませ、帰国に向けて荷造りに励む一方で、彼女たちはというと、今週末に行われる子供のダンスの大会のことでてんやわんや!

子供を持つ母親の気持ちってこんななんだなぁ~、と横から感心して眺めていた時、ふと頭に思い浮かんだことがありました。


人は日々、それぞれに、何らかのテーマを持って生きていて、それがある人にとっては、”早く飛行機の手配しなくちゃ~!”ということであり、また別の人にとっては、”今週末の、子供達のステージがつつがなくに終わりますように。”ということであり、はたまたある人にとっては、それは、”あ~、もうすぐ旦那が帰ってくる・・今日の夕ご飯のおかず、どうしよう!”ということであるかもしれないし、”早く仕事が見つかりますように。”と願うことだったりするのかもしれない。



要は、人間と言われる限り、誰一人として思考を持たない人は居ないわけで、私達は、それぞれに様々な思いを抱き、日々、右往左往している訳です。

そして、その光景を上から眺めた時、神様にとって、私達ってどんな風に映るんだろう。

・・そう考えた時に、なんだか微笑ましい気持ちになったのです。



人はそれぞれに悩みを持ち、そして、今日も明日も、思考を重ねながら生きている。

一進一退を重ね、時には喜びを胸に、時には悲しみに暮れ、けれども、私達の誰もが家族の、友人の、世界の幸せを願い、心に小さな灯火を持っている。


それを、上からそっと覘いてみたならば、それは、まるで大地に広がる、キャンドルの花畑のように、見えるのではないかしら?


そして、頬杖を付きながら、私達のことを眺めている神様は、今、一体どんなことを考えているんでしょう。

あたふたと荷造りをしながら、ふとそんなことが頭に浮かんできた昼下がりの出来事でした。




2011年6月4日土曜日

余裕


Lake Bacalar, Chetumal, Mexico




日本に帰ってからというもの、怒られっぱなしでいる。

叔母に叱られた話はすでに書いたが、先日は、朝からバタバタしていて、朝ごはんを食べる間がなかった。

なので、最初の用事を済ませてから、次の用事に移る前に、スーパーでパンを買い、入り口のところの柵に腰掛けて、待ち合わせの人物を待ちながら、ムシャムシャとやっていた。

と、向こう側から自転車に乗ってやってきたおじさんが、私の目の前を通り過ぎながら、”美味しいか?!”と聞くので、”うん、美味しい!”と素直に答えると、”子供だったら、どやすところだがな。”と言い残して去って行った。

一瞬何のことだかわからなくて、次に、やっと彼の言いたい事がわかった。

「公共の場で、食べたり飲んだりするのは、みっともないことなんだ!」

これは、私には結構な衝撃であった。

なぜなら、私の住むメキシコでは、いつでも誰かが何かを食べていて、それが職務中の警察だったり、仕分けをしている郵便局員だったり、タコススタンドのビジネスマンだったりするからだ。

下手すりゃ、スーパーで買い物途中、レジで清算を済ませるのが待ちきれず、一旦カゴにいれた、パンやらスナック菓子やらをバリバリ開けて、食べ終わった袋だけを見せて清算するなんてことも、海外では決して珍しいことではない。

そういえば、お祭りの縁日は除いて、歩いたり立ったまま、ものを食べるのは、見栄えが宜しくないんだっけ?!あ、そういえば、買い食い禁止、なんてあったりしたっけな~?!

私は、自分の感覚が多少なりともずれている事を認識し、改めて背筋を伸ばしてみる。

さて翌日は、里帰り中の凄腕ヘアスタイリスト(ニューヨーカー)に髪を切ってもらい、気分も上々で自転車に跨り、家路への道を走っていた。

彼の実家の理髪店は、田んぼに囲まれたのどかな場所にあり、「けやき通り」と、都会風の名前が付けられた通りをはじめ、あたり一体は、午後の昼下がりでしんと静まり帰っている。

連日続いた雨も止んで、お日柄もよく、髪の毛もすっきりして、気分がいいなぁ!

とその時、前からゆっくりと向かってきた車から突然、声が発せられた。


「ちょっと、お姉さん。信号赤なんだけど。」



は?と思って顔を上げると、それはまぎれもないパトカーであった。

え~!でも、赤ったって、車はおろか、犬一匹いないじゃないの!

こんなところに信号付けるって方に、無理があるんじゃない~!?!?!


ついこの間は、別府というところに用事があって、女4人で車を飛ばした。

同年代の気さくな人ばかりということもあり、話は弾む一方。
笑いの絶えないまま、ドライバーのTさんは、高速を出て、と同時に前を走っていた車が急激にスピードを落としたので、瞬間的にその車を抜いた直後、歩道に座っていた2人が身を乗り出して立ち上がり、その50メートル先には、道の左右に数名の警察官が待機して、仁王立ちになり私たちを止めた。

やられた~!スピード違反で捕まってしまったぁ~!!!

災難とは全くこのことだ。
とりあえず、財布財布・・とばかりにバックを開けようとして、私は見た。

一人の若い警察官が目を、ものすごく三角に引きつらせ、我々に向かって何か発しているのを。

「はい、もう少し前に・・。あ、もう少し寄せて・・。あ、もう少しだけ後ろに・・・。はい、よし。」

な、な、なんだこりゃっ~!?

まるで、重大な凶悪事件犯にでもなったかのような緊迫感である。


仮にここで、車の窓から顔を出して、彼の手に1000円札を握らせ、

「お兄さん、悪いけどさぁ~、今日はお願いだから、これで勘弁してよ~!」とメキシコ流にやったとしよう。

間違いなく、私はその場で打ち首になっていたことであろう。


というか、緊迫した雰囲気の中、そんなことを切り出せる人がいたら、私は、是非そんな勇敢な人に会ってみたい。

そういう訳で、取調べは、その後約15分に掛けて行われ、その場にいた他5名の間にも、同様に緊迫したムードが漂っていた。
当然、待っていた私達の間にも、連鎖的に、ドヨ~ンとした空気が浸透していった。




言い訳になるが、私は、一部の職業に就いている人をここで非難している訳ではない。

国際免許証について聞きに行った先のお巡りさんは、と~っても親切に、本部に問い合わせの上、逐一教えてくれたし、私が今回ハプニングで乗りそこないそうになった日系航空会社のスチュワーデスさんも、地上係員のお姉さんも、先日途中解約してしまったインターネット会社のサービスセンターのお兄さんも、皆、こちらが恐縮してしまうほどに親切であった。

それと同時に、例えばお店などで、愛想良くしている店員さんに、手のひらの上に乗せてお金を渡しているのにも拘わらず、硬貨を入れるトレーが、代わりにすーっと出てきて、淋しく感じることもあった。

そして思った。

もしかして、みんなあまりにも真面目になりすぎて、なんだか余裕ない感じ?!?!



**



先日、子供英会話を教える時に、何を教えられるかなぁって考えていて、Have a nice dayっていい言葉だな、って思い付いた。

子供って言ったって、ハローとかグッバイくらいは知っているだろうし、でも、Have a nice dayだったら、言う方も言われた方にも笑顔が浮かぶ。

私は説明を考えた。

「皆さん、英語を話す国の人たちに取って、毎日を楽しく過ごしているかは、とっても大事なことです。なので、朝出掛ける前に、お父さんやお母さんは、子供に、楽しい一日をね!と言って送り出すし、子供たちも、同じように返します。良いですね~!」

そして、ふと我に帰る。

日本人が、一番大切にしていることってなんだろう??

次の瞬間、私の頭の中に浮かんできた事は、次の一文字だった。



「決まりを守る。」





ガ~ン!!!

悲しいけど、これが現状かもしれない。

先生の言いつけを守る。
前へならう。
遅刻をしない。
歩きながら物を食べない。
赤信号は止まる。
マンションの廊下は走らない。
代金は、お客さんから直に受け取らない。
仕事は、言われた通りに。

うぎゃ~っ!!!!





**


かくいう私も、ついこの間までは、こういう人間でした。

けれど、そういう価値観が、別の場所に移動すれば、何の効力も持たないと知って以来、どっかに吹き飛んでしまったのも事実です。

あ、もちろん、規則を守る=回りに気を使うっていうのは、日本人の美徳だとも思います。

地震の時の冷静さとか、分別ある行動は、日本の外から見たら、驚き以外の何者でもなかったので、それは大きな報道となり、また他民族へのお手本にもなった。

でもその一方で、それが裏目に出てしまえば、国単位で、融通が利かない、かちかちの真面目一本やりになって、なんだか息苦しい社会になってしまうんだろうな~。

もっと肩の力を抜いて。

もっと我がままでもいいのよ。

もう十分出来てるんだから。


日本に、同じ数だけの外国移民が来たら、相当面白いだろうなぁといつも思う。

皆どれだけ優秀で、どれだけ優れた民族であるか再認識して、なーんだって笑っちゃうよ、きっと。

そして、そんなこと想像するだけの余裕、欲しいよね!





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2011年6月2日木曜日

腹を括るということ

Hamaca, Cozmel, Mexico



先日、叔母に激しく渇を飛ばされて以来、ここしばらくシュンとしていた。

彼女曰く、老いた時にどうするのか、蓄えもなしに、どうやって生き延びるのか、結婚もせずに、もし相方が先に死んだら、その後、どこでどうやって過ごすつもりなのか、いったいどういうつもりで、何を考えていることがさっぱりわからない、と言う。

こういう時、私は本当に困ってしまう。

なぜならば、私はいつも”なんとなく”過ごしていて、色んなことを現実的に考えるべきだ、と相棒に言う割には、心のどこかでは、”まぁ、何とかなるでしょう。”と思っている節があるからだ。

いつもそうやって生きてきた。

若い頃は、とにかく楽しく過ごしたいことが優先で、貯蓄には目もくれず、独身生活を満喫してきた。バブル時代の申し子といわれても仕方がない。

そして、そんな自分が30半ばを過ぎて、シンガポールに移った時は、さすがに圧倒された。

初めての海外単身生活に、緊張していたこともあったし、また、華僑の多い国柄、彼らの現実的な考え方に痛く影響を受けて、ある日ある時、”これはいかん”とばかりに、猛烈に貯金を始めたのだ。

そして、毎月、給料から家賃と食費を抜き、あとはすべて貯金に回し、およそ20数年後に迫った老後に備えるべく、何度も計算機を叩いた。


”えーっと、1ヶ月の貯金が○○ドル。1年間で○○ドル。これを貯蓄型保険に預けて、20年後に戻ってくるのが、この額。うーん、これだけ切り詰めても、たったのこれだけか~。”

そして、その満額で、実際に自分が何を買えるかを、ある日、徹底的に調べてみることにした。
まずは隣国、マレーシアの家を検索した。

サーフィンの出来る小さな街の小さな集合住宅。
隣と壁がくっついているタウンハウスがその予算で買えるマイホーム。

次にオーストラリアの家を見た。
オーストラリアは、旅行で訪れたことがある、青い空に美しい自然が魅力的な国。
なかでも、都市機能を持ったシドニーには少なからず、心を動かされていたので、いくつかの不動産サイトを見たが、最早、都市部で手の出る物件は皆無であった。

最後にハワイ。

不動産サイトの家は、どれも夢のように素敵で、でももちろんゼロの数が少なくとも2つくらい違っていた。しばらく、それらの家に見入り、ため息をつき、そして最後に、奇跡的に予算内に収まる家を探し当てた。

その住所はハワイとなってはいたけど、背景の風景はというと、火山の麓らしき、砂利の風景だった。家は斜めに傾いた掘っ立て小屋で、外にドラム缶風呂が付いていた。

現実を、見つめるということは、なんと無味乾燥としたことだろう。

こんなに切り詰めて、好きなものも我慢して、友達付き合いもせずに20年頑張り続けても、私を待っているのは、隣と壁のくっついた、田舎町の小さなタウンハウスだけなのだ。

私は目の前のPCを消して、翌日、サーフィンに出掛けた。


**


確かに今でも、日本から遠く離れたところで暮らしていれば、信じられるものはお金だけ、という気持ちになるのはわからないでもない。

だから私も、日ごろはせっせとヘソクリに励んでいるし、無駄使いは極力控えている。
けれど、どんなに電卓を弾こうが、現実的になって、これからどうやって財を増やしていこうかと考え抜いたたところで、何かが劇的に変わるとは到底思えない。

私は、現実を見つめることだけに躍起になり、その目標達成の為だけに、自分の魂に嘘をついてまで、やりたくもない仕事をやったり、楽しみを20年先まで据え置くということが、想像できない。

だったら、ささやかでもいいから、今この瞬間を楽しみたい。

結局私はどこまでも、南国人体質の怠け者なのだ。

そして、これが私の弱みであることは紛れもない事実だと自覚しているからこそ、”将来どうするのよ!?”と突っ込まれた時には、目を白黒させて、口ごもるしかないのだ。




さて、そんなことで、しばらくしょんぼりしていた私のところに、最近知り合いになったばかりの友達が遊びに来た。

そして私の話をひとしきり聞いた後で、その、独特の間合いと飄々とした風情を崩さずに、彼女はこういう。

”落ち着くべき場所は、自分の心の中にあるもので、場所ではないんだと思うけどな。”

唖然としている私に、彼女は更にこう言う。

”友達が、ここあそこと点在しているからこそ、それが原動力となる。今あるあなたは、過去から日々積み重ねて出来た集大成であり、結果であり、だから、それこそがあなたの今あるべき姿であって、それを今さら、昔風に変えようとしたところで、それは無理な話でしょう。”と。

目からうろことはまさにこのことだと思う。

彼女は続ける。

”もし仮にすべてに失敗してしまったといっても、私たちはありがたくも日本人として生まれ、いざとなれば生活保護を貰って、なんとか食べていける。たとえ、一人ぼっちで年老いたとしても、死ねば、市役所の人が来て、火葬してくれるでしょう。そう考えれば、心配することなんて、何もない。”


これだ。この腹の括り具合だ。
これが私には、欠けていた。

神様ありがとう!!!

というわけで、モヤモヤの晴れた私は、めでたくいつもの能天気なハッピーヒッピーに戻り、今日もご機嫌で、地元を隅々までチャリンコで疾走するのでした。

笑う角には福来る。
さ~て、今日もこれから出掛けるとしますか。


(追伸)私自身は、仮にすべてを失ったとしても、日本に戻って生活保護を受けるつもりも、ここで死ぬつもりもありません。念の為。
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