La sombra |
ここ一ヶ月ほど、ドタバタが続く中、同時並行して、頭に引っかかることが一つあった。
それは、来たる親父の誕生日をどうしようかということ。
お金のなる木がうちにあったなら、迷わず2泊3日、いや、大名のお花見帰国と称して3週間ほどゆっくり滞在したいところだが、生憎こちらは貧民国に住む平民の分際。
仕方なく、何か送りものでもしようかと考えるのだが、思うだけで、一向に先に進まない。
第一に、貧民国に住む私から、先進国に住む彼に贈れるものなんて、たかが知れている。
しかも、何を贈っても日本のものに比べれば、必ず見劣りがするのだから、正直参ってしまう。
そして、散々あれこれと考えた挙げ句に思いついたこと。
それは、普段食べれないようなお弁当を贈ったらどうかということだった。
戦後派の親父は、もうとっくの昔に退職し、昨年亡くなるまで、家に蘢ったままの母の面倒を見続けた。
心配で、もう帰省しようかと何度となく試みる度に、親父は、”誰も帰って来いとは頼んでない。”と憎まれ口をきき、帰ったら帰ったで、”もう来なくてもいい。”と、どこまでも口悪く私のことをあしらったが、結局、長年に渡って母の面倒を見きったのは、娘ながらに圧巻だったと思う。
そんな大役を終え、今は悠々自適で一人、勝手気ままに、我が儘老後生活を満喫しているのだが、そんな本人の気持ちとは裏腹に、こちらは距離が離れている分、日頃蓄積された、親不孝の罪滅ぼしをしようと躍起になる。
だいたい、どこにも行かず、何か使うものもないのだから、もう少し、普段からいいものでも食べれば良いのに、たまに帰って見てみると、米は2級品、おかずも粗食。塩分は健康の為に減らしているとやらで、味もなんとなく私には物足りない。
そして私には、”堅実に生きろ”とか、”人生、じっと絶えることも必要だ。”とか”女三界に家なし”とか、およそ、私の生き方とは180度かけ離れた、痛いところを突いてくる。
そして、しみじみと思う。
どうして同じ親子の、それもたった一世代の間に、これだけの考え方の差が出来てしまったのか、と。
もちろん、親父の言っていることを否定している訳ではない。
どれも生きる事の厳しさ、そして真髄を突いた言葉で、親でないと言えない言葉だろう。
だから、苦笑いし、感謝しつつも同時に、こう思う。
よし、私は日本人の美徳を忘れず、でも最後まで楽しんで生きよう、と。
今回選んだお弁当は、私も頂いた事のあるこの御膳。
http://www1.bbiq.jp/syuka/10ryouri/10ryouri.html
代金は、たまたま、遊びにきてくれていた友達晴ちゃんに、持ち帰って振り子んでもらい、どんな弁当にするかは、地震で回線が繋がらなかった私に代わり、地元の親友H子にこれまた代行してもらった。
そして何よりも、本来ならば定休日であったところを、こっちの勝手な都合により、お昼時に、届けて下さると言って下さったオーナー。
本当に毎度のことながら、皆さんに助けて頂いて、感謝感激です。
親父殿、どうぞこの日ばかりは、配達に来て下さった方に、くれぐれも失礼のなきように。
好意は謹んで受け取り、是非、皆様の真心をありがたく受け取って下さいよ。
春風とともに、幸せが舞い降りるよう、遠く離れた南国から祈ってます。
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