2011年7月9日土曜日

やっと一息

先日、フランス人部隊の為に、家を見に行くと書きましたが、まだ、行けず終いでいます。
その訳はというと、一つには天気。

この時期、雨が多くて、さっきまで晴れ間が見えていたと思ったら、次の瞬間には雨雲が押し寄せて土砂降り、なんてことが続き、写真撮影をする状況に恵まれず、予定が伸び伸びになってます。

二つ目には、別の撮影が進行中だからで、これも、ノータッチのはずだったのに、気付けばやっぱり手伝ってます。

三つ目には日本語クラス。

帰ってくるや否や、クラスがなぜか増えていて、朝から出掛けることが多くなった関係で、洗濯物や洗い物は溜まりっぱなし、午後からは撮影を覗きに行き、そのまま夜半まで居残るパターンが続いたので、今朝の授業が終わって、溜まりに溜まった家事も、なんとか片付け、今、やっと一息ついてます。


ところで、今日はクラスの子供達に日本のお土産を持って行きました。
持って行ったものはこれ・・




            



去年、袋菓子を買って帰って、休憩時間に皆で分けて食べた時、一人だけ、配ったカントリーマームを食べない子がいて、”どうして食べないの?”?と聞くと、”妹にあげたいから。”と。要は、きれいな包装だったから、お土産にしたかったのでしょうね。そういう訳で、今年は小さくても、一つ一つが独立してる形のものを選びました。

さて、彼女達の反応はというと・・



皆、一つ一つを手にして、しげしげと眺める子、感嘆の声をあげる子、写真撮影をする子と、とってもうれしそう。いやぁ〜、よかった!

そして予想通り、実際に彼女らが食べたのは半分で、あとの半分は、小さな弟や妹にお土産として持って帰られましたとさ。めでたしめでたし。


ものが豊富とは、決して言いがたいこの国ですが、でも、こんな単純な駄菓子が、こうして喜ばれるのですから、嬉しい限りですよね。

小さな幸せとはまさにこのこと。

皆さんも、海外に出掛けるチャンスがあったら、是非、現地の人に、小さな幸せを分けてみて下さい。

明日は久しぶりのヨガリトリートで、体を酷使してきます!



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2011年7月6日水曜日

日常

                                      Se Renta (Centro de Pt. Mo)


日本やL.Aにいたことが、まるで嘘のように、メキシコの日常に戻っています。

毎日蒸し風呂のような気候が続き、午前中、ちょこっと用を足しただけで、”あ〜、今日も良く働いた”と思ってしまう体たらく。

町は2ヶ月前と同じままで、人も超同じ。
こんな、ダラダラと汗が出る町で、よく、皆お化粧してるなぁと感心したくなるくらい、女の人は相変わらずキメキメメイクで頑張ってます。

しかし、天気の成せる技って本当に大きいですよね〜。

L.Aに居た時は、毎日、ヒンヤリとする瞬間を感じるくらいに涼しくて天気も良く、(一般の人に取っては)快適で過ごしやすかったはずでしたが、ここ、メキシコにあっては、もう、毎日茹だるくらいに暑い・・

あまりに暑くて頭もぼーっとするわ、体もどことなくだるいので、知り合いのヨガ仲間にマッサージしてもらおうと思って電話してみるも、国(イギリス)に帰っていないんだそうな。

要は、この時期のこの猛暑を避ける為に、ここを脱出したんだって。
う〜ん、羨ましい!私だって選択があればそうしたいわい。

さて、そんな私が、ここのところ毎日お世話になっているのが、庶民の味方、”スタバ”です。

もう、冷房は効いてるわ、フカフカソファはあるわ、ネットは使えるわで、この時期は、どの店も大賑わい!

私も日頃のケチケチ根性を捨てて、この”つかの間の楽園”に連日逃げ込んでますが、今日は、なんだか人が少なかったので、やった〜!と思いきや、店のエアコン壊れてるし・・・

で、ただで出るのも悔しいので、現在額に汗しながら、熱〜いコーヒーを啜り、なかば朦朧としながら、このブログを書いています。

ところで、今日はご提案。

皆さんの中で、ヨセミテ公園行ったことある人いますか〜?

私、この場所にもうずーっと行きたくて、でも機会を持てないままでいました。

で、9月くらいに是非行きたいと切望中なのですが、どなたか、ご一緒に如何ですか?
独立心旺盛で、アドベンチャー好き、キャンプを問わない方、募集中。

え?なぜ、相棒と行かないかって?

はい、自営で仕事をする彼に、休みはありません。(きっぱり)
なので、私は勝手に一人、森のターザンになろうと思ってます。

さて、今日はこのままここで粘って、5時過ぎから一つクラスを教え、帰還します。
帰国中は日本語に浸りっきりで、もしかして、もうスペイン語も英語も頭から抜けちゃったんじゃないかと、密かに心配してたのですが、一旦戻ってきてみれば、結構大丈夫で、ほっとしました。

習うより慣れろってのは、まさにこのことですね。

食生活も、すっかりこっちモードに戻って、毎日、パイナップルやらマンゴやらモリモリ食べてます。

明日は、8月からくる撮影隊ご一行様の為に、家探しに行ってきます。
この撮影隊、名前を言えば誰でも知っているような媒体なんだけど、なぜか、クルー用のドミトリーのバジェットが、ひと月500ドル。

フランス人が質素倹約ってのは、知ってたけど、5人分で500ドルって一体どういうことですかね?

気になりついでに計算してみれば、それって、一人分のバジェットがひと月100ドルで、更にそれを30で割ってみると一日3ドル30セント!

一泊300円の宿が、この一大観光都市で、果たして見つかるのでしょうか!?乞うご期待!!

ってか、なぜにこんな面倒くさい仕事ばかりが、私のところ回ってくるのか非常に疑問ですが、ここはぐっと堪え、ヨセミテの夢実現に向けて、頑張ります。

日本は雨続きのようですが、皆様方にはお変わりなく?
暑い折、お体ご自愛下さいね〜。



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2011年7月2日土曜日

ご無沙汰してます

                                               Laguna (Q.Roo Mexico)

メキシコに帰ってきてからというもの、早や5日目。

書きたいことはたくさんあるのですが、なんせ、日本→L.Aという究極の文明地から戻ってきた為、今更ながらのカルチャーショックと、体を慣らすことに忙しくて、未だ落ち着きません。

あ、インフラもいつも通りにて、お風呂の湯は昨日無事復活。ネットの方は、悪天候の為、まだきちんと繋がってませんが、それにも増して、帰るや否や、相棒の抱える撮影に振り回されて、ネット屋に連絡するのは、一段落ついてからになりそうです。


ところで、日本もそうですが、L.Aって、本当に何でもある街ですね〜。皆さん、行った事ありますか?

日系のスーパーは、日本と全く変わらない状態で何でも品が揃い、日本の本屋あり、日本のケーキ屋あり(味が現地のとは全く違います。これは、メキシコも同じかな。)、大物の来るコンサート会場あり、ビーチあり、山あり、イケメンどころも盛りだくさん(あ、ゲイストリートだけど)で、本当に楽しめました。

過去3年の間に行けた外国と言えば、ベリーズとか、グアテマラとかホンジュラスとか、メキシコと、国のレベルが似たり寄ったりの土地ばかりだったので、私の住むこの街とは色んな意味で、真反対のL.Aでの滞在は、非常に刺激的、かつ、驚きの連続。

山から下りてきたサルというのは、もしかして、自分のことかってくらいに、キョロキョロは止まらないし、通りすぎる人は、みんな綺麗どころで、いやはや、なぜL.Aが人気の都市なのか、今更ながら頷ける気がします。

そういう訳で、メキシコの空港に降り立った否や、まず気候からして、全く違う訳です。

むこうが”爽やか〜”だとしたら、こっちは、”まるっきりの蒸し風呂状態”。
むこうの人が皆、”クール”としたら、こっちは、皆、”人間くさい”(アニマルチック、という噂もある。)
むこうの景色が、”整って綺麗”だとしたら、こっちは、”無法地帯”

今までは全く気がつかなかったけど、どうして、ここの街路樹は、何の秩序もなく、多種類のものが、好き勝手に伸び放題なのか、というようなことが突然目に入るようになり、そういう目で”改めて”見てみると、先進国のそれとは違うことばかりです。

今日は、相棒にくっついて、病院に行って来たのですが、病院一つにしても、国によって、あり方が全く違います。

例えばこちらでは、カップルで行った場合、診察室にも2人で気軽に入ったりします。これは、日本やアメリカでも、あるのでしょうか?

まずは、ドクターと握手を交わして、世間話を少々。
それからいよいよ診察に入るのですが、先生は親密に、そして丁寧に見てくれるし、こちらも、聞きたいことは遠慮なく何でも聞きます。

まぁ、一言で言えば、お互い余裕があるってことなんでしょうけれど、まぁ、何しろ(特に私の相棒は)よく喋ります。

そして、最初はかしこまって側で話を聞いていた私も、会話が長引くに連れて、だんだん手持ち無沙汰になり、完璧に話が脱線した頃には、勝手に診察室にある体重計で自分の目方を計ったり、診察用に使われた打腱器(ハンマーみたいなやつ)で、膝の真下を叩いてみたり。

恐らく、こんな行為、日本や他の先進国では許されないと思うけど、私の住む場所は、メキシコでも、田舎の方なので、かなり緩い感じで、色んな意味で、緊迫感とは、ほど遠いところにあるように感じられます。

そしてその反対に、日本では絶対に起こらないようなことが起こるのも、ここならではでしょうね〜。
今日は、久しぶりに学校に顔を出してきたのですが、戻ってきてご飯を食べようかと思いきや、なんと、自分の家の鍵が開かないではありませんか。

ここ2週間ほど降り続いた雨の為に、湿気を含んだドア(どんなドアだ?)に付いた鍵穴の部分が変になってしまったらしく、ガチャガチャとしばらくはやって見たものの、てこでも動かない様子。

仕方なく仕事中の相棒に電話を掛け、当たり障りのないように、聞いてみます。

”なんか、ドアの調子が悪いみたいなんだけど、もしかして、この鍵、私がいない間にテクニックがいるようになったりした?”

”あ〜っ!あのね、下の鍵は壊れてるんだよ。”


”あ、そうだったの〜。(内心の声:お主、なぜそれを出掛ける前に言わぬ・・)いや、開かなかったから、どうしたのかなぁと思って電話して見たのよ〜。”

”あ、あのね、ペドロに頼んで、鍵屋を呼んで貰ったら、すぐ来て開けてくれるはずだから。”

”はい、わかりました。そうします。”

う〜む、我ながら素晴らしい出来映え。

これが3年前だったら、まず、1.開くはずの自宅の鍵が開かない事に切れ、2.お腹を空かせていることに切れ、3.鍵が壊れていると知りながら、うっかりと忘れて出掛けてしまう相棒に爆切れし、要は、いくつ腸(はらわた)が煮えくり返っても足りなかったことでしょう。

また相棒に関しても同様で、帰国前は確実に私のものだったヘアブラシが、帰ってきたら、見るも無惨な形に成り果てて、居間の床に転がっていて、その変わり様を呆然と眺めていたら、そこに現れた彼が、”これで猫をブラッシングしてあげると、とっても喜ぶんだよ〜。”と、にこやかに教えてくれるなど、少なくとも2ヶ月前と、何ら進歩の形跡はありません。

とまぁ、こんな具合で、例を挙げればそれこそ切りがありませんが、今誰かに、「日本の裏側までやって来て、手に入れた最大のものは何ですか?」と質問されたら、いちばん最初に答えるのは、”開き直る術を手に入れたこと”と答えると思います。

要は、うまくいってない時に、それにいちいち腹を立てていては、切りがない訳で、ハプニングが起こった時に、それを楽しむくらいの余裕がないと、ここではやられっぱなしになって終わってしまうということ。だったら、開き直って、楽しむしかない!(?)

L.Aに寄った時、その何でも揃うこと、すべてが綺麗で、快適なことを心の底から享受しつつ、どこか自分には不似合いだと感じたのは、”ないこと”に慣れきった生活をしていたせいで、あまりにも”ありすぎる”ことに、落ち着かなかったのだと思います。

ちなみに、”クール”という言葉は、ここ、L.Aで生まれたものに違いない、と殆ど確信に近いものを私は感じました。

人の性格は、住む場所の気候に学ぶ、と何かの本で読んだことがあるけれど、砂漠のように寒暖の激しい場所に住む人々は、白黒はっきりさせる価値観を持ちやすく(例えば:目には目を、と言ったようなこと)、死んだら一切が終わってしまうことを解く絶対神を信仰し、逆に、日本のような穏やかで豊かな四季のある気候を持った島国では、人々は生まれながらにその防衛本能も希薄で、性格は、気候同様、きめ細やかかつ、移ろいやすいものになるのでしょうね。

そういう訳で、L.Aでは、クール、という言葉がぴったりな人をたくさん見かけたけれど、一歩日陰に入るとひんやりして過ごしやすい彼の地に比べ、日陰に一歩入れば、湿気と熱気で余計に汗の吹き出るこの場所において、”クールな人”は、例えあと300年待っても生まれないんじゃないか、という勘は、当たらずともいえども遠からじだと思います。

あ、でもこの街、先進国には決してない味があって、野生の勘を育てたりするのにはぴったりですから、最近、どうも人間力が落ちてるんじゃないかと心配される方は、特にお薦めです。是非に遊びにきて下さいね。:)


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2011年6月25日土曜日

願えば叶うっていうけれど、みんな、既に叶えてるよ~!


                                             Naked Woman (L.A)



時差ぼけで眠れないままに、布団の中で寝返りを打っている最中、ふと、ある重大な事実に気が付いたので、早速起き出してパソコンに向かってます。

あのね、私思うんですけど、みんな、なんのかんの言いながら、自分の欲しかったもの、手に入れてません?って話。



例えば、私の地元の友達。



結婚して、優しい旦那がいて、可愛い子宝に恵まれている。
この子は、ずっとこのまま独身かなぁ~と思って(期待して)た友人さえ、念願のパートナーを見つけ、最後のダッシュとばかりに、それは滅茶苦茶可愛い一児の母となった。

うーん、やれば人間できるものだ。(そして、今ではその当時の悩みなどすっかり忘れて、高齢の母であることを嘆く彼女。嗚呼!)

例えば、このブログを読んでくれている私の友人。

彼女も、同じ。

ずーっとこのまま独身かなぁ、いや、いい女なんだけどなぁと思っていたら、とある男性と運命の出会いをして、あっと言う間に結婚に至った。
ま、これは良く聞く話だけど。

でも、私が驚いたのは、彼女が独身時代に、”私は自分が、将来ハワイに住んで、その家のバルコニーに座って、寛いでいるのが見えるんだよね~。”

と言っていたら、結婚後、山岳地帯に住んでいた彼をどうやって説き伏せたのか、気が付いた時には、ハワイに移り住んでいたのだから、これには本当におったまげた。

なぜなら、そのハワイ発言をした時は、私も彼女も、相手を見つけるどころか、ハワイのハの字も関係のない日々を送っていたからだ。



更に。


今回の帰国時に、私はそれぞれの夢を実現させた、色々な友人との再会(あるいは出会い)を果たした。




ヨガの道を邁進する、まさにヨガをする為に生まれてきたような友人。

賢い妻、そして母へとなり、3人の美しい子供達に囲まれて幸せな人生を送る友人。(私の中で、彼女は霧島洋子である。)

洋服とハワイが大好きで、最初は細々と、そして遂にはお店を造って、人々に素敵な空間とセンス溢れるモノを提供するお友達。

子供が大好きで、その道をもっと極めたい、とうれしそうに話してくれる、優しさと笑顔に満ちた友人。

海外でのビジネスに興味があり、ほかのことはさておき、その道で独り立ちしたわが兄弟。

頑として誰の手も借りず、最後の最後まで母を看取った親父。

日本の経済立て直しのために、持てる力を捧げたいと願い、日々寝る間も惜しみ、身を粉にして働く頑張り屋の彼女。

環境問題に強い関心を抱き、今日も、その優しい語り口で私たちに、色々なことをシェアし、語りかけてくれる、そこのあなた。

病気の体験を惜しみ隠さず話してくれ、さらには、その体験をバネに、一回りも二回りも魂の成長を遂げた(私にはちょっと眩しい)妹分。

”私は、こんな田舎に住むのは嫌。絶対に将来は東京に行って、可愛い年下の男の子と結婚するの。”と言って、その夢をそのまま実現させた同級生。

ダンスが好きで好きで、気が付いたら、自らがインストラクターとなり、その生徒達が、輝かしい功績を出すまでになった友人。


そして、日本の優に2倍はありそうな、高い天井に光の差し込む、ロフトと暖炉付きのゴージャスなマンションに住み、ビバリーヒルズでヘアメイクとして活躍する、L.Aの友人。(彼女は20数年前、私と一緒に訪れた時、この土地に恋して、それ以来、ここの住人となった。)

真っ赤な新車を乗りこなす彼女は、以前にも増して女に磨きがかかり、この、L.Aという土地がぴったりなクールビューティである。




そう、みんな、かつて願っていたことを実現しているってこと。

これってマジですごい。

願えば叶うっていうけれど、実は、みんなとっくに自分の夢を叶えているのだ。





・・と、ここまでかいて、はて、と思ったことがある。

自分はどうだろう?

私は、夢に思い描いた通りの人生に、なっているんだろうか?

だいたい、私の夢ってなんだったっけ??

すっかり目も冴えて、布団の中で思いを巡らすことしばし。

あっ、そういえば・・



あれは、5年前。

まだ、私が人生に迷い、今にもまして、その辺を徘徊していた頃のことである。

バリで宿を営む、仲良しの(とこっちは勝手に思っている)友達のところを訪ね、彼を相手に、私はあーでもない、こーでもない話しをした。
ちなみに、その彼は、非常に頭が良くて、洞察力にすぐれた人物である。

”やりたいことも定まらず、悩み多き人生なんだよね~。”とため息をつく私に彼は、こう、ボソッと言ってのけたのだ。

”あっちでもない~、こっちでもない~と旅しながら、ずーっと彷徨い続けている人生だったりして。はは。”




こ、これだ~っ!!!

まさに、これではないか、私の人生のテーマ。

「ザ・優柔不断:あっちいきこっち彷徨い、色んな人と話しながら、その場所大いに満喫人生」


今回もそうだったが、地元に戻れば、”あ~、いいなぁ、地元にずっといる子は。私も普通に結婚して子供生んでってのも良かったなぁ”と思い、東京に行ったら行ったで、”うーん、やはり、都会のこの風もなかなか。”と一人浸り、飛行機が離陸した後になって、”うわ~、やっぱり日本に戻ったついでに、バリ、行っとけば良かったかなぁ・・”としばし後悔し、”いやまてよ、やはりここは、メキシコに一度戻って稼ぎ直して、経済的に自立を果たしてからにしよう。”と考え直す。

L.Aに着いたら着いたで、この、素晴らしいまでに爽やかな気候と、環境の良さと美しい町並みに心を躍らせ、”やっぱ、メキシコなんてやめて、どこかでナニーの仕事でもした方が、効率がいいんじゃない?”と地元の情報誌を手に取り、その端では、”いやいや、早くインドのヨガアシュラムへ””いやいや、NYのカード行商がまず先だ。”と、私の妄想は留まるところを知らない。



実際、これまでも私は、けっこうな場所を、けっこうな時間を掛けて彷徨ってきた訳で、要は、少しずつ、色んな場所へ移動を繰り返しながら、その場で出来る事--出会いや再会をその時目いっぱい謳歌--できれば(人はどう思おうと)結構幸せなのかも。そして、最もラッキーなことには、私には、行く先行く先で、馬鹿話に相槌を打ってくれる人が必ず居る。

これ以上、何を望もうと言おう?

この際、迷いは捨て、このままこのウロウロ街道を進んで行こうではないか!



知り合いの、熟練サーファーが、その昔言っていた。


”分かれ道に差し掛かった時、どっちが正しくてどっちが間違いというのはない。どちらでもいいから自分が信じる方を選んで、それを、わき目も振らずに一心に突き進んでいく。突き進んで突き進んで、突き進み切った後で、うしろを振り返ってみると、そこには道が出来ている。正しいのは道じゃない。自分がその道を作るんだよ。”



Travel.Trouble<旅にトラブルは付き物編>

                                                                                Gon-chan (L.A)


いやぁ、またまたやってしまいました!

羽田から無事飛んだまでは良かったんだけど、予定より1日早くL.Aに着いてしまって、友達に泡を食わせることになってしまった。わはは。

何が起こったかっていうと、まず、私の今回のフライトは、24日の00:45でした。

一瞬迷いません?え、00:45で、夜だっけ、昼だっけって。

そうそう、良い子の私もご多忙に漏れず、この時間表示を見たときに、眼球が上に上がりました。

えーっと、00時だから、夜中ってことだよね、23日の夜中の続きの・・うんうん。



そこまでは良かったのです。私は間違っていませんでした。
ところが、L.Aの友達に確認された時、私はいとも簡単に、こう答えたのです。

”うん、24日ね!19時に到着だから、えーっと20時頃に、デルタの出口で待っててね~!”

律儀な友達は、私に念押しをした後、”20数年ぶりの再会だね。今から楽しみにしているからね!”と言って電話を切ったのです。


・・・が!


いつもの通り、決して一筋縄ではいかないのが、私の旅のカルマ。

飛行機に乗りこみ、や~れやれ、と腰を下ろした瞬間に流れたアナウンスに、思わず叫び声をあげてしまいました。

”この飛行機は、当空港を予定通り00:45に出発し、ロスアンジェルス空港に、23日の午後19時15分に到着の予定でございます。”


え? え? え~???

24日に乗って、なんで23日に着いちゃうわけっ??!

時差があるから、時間が逆行するのは理解できるけど、なぜ、一日さかのぼる??

えーっと、24日の夜中ってことは、むこう時間の23日の午前中で、それから10時間のフライトだから、9時プラス10時間で、19時。

うぎゃ~!23日の19時すぎに到着だったぁ~!!

・・と、一人ムンク状態に陥るも、時既に遅し。

羽田であれほど時間を持て余して、プラプラとしている暇があったら、彼女にメールの一つでも入れられていたのにっ!

元来、小心者の私は、こういう時、ひたすらこうしたハプニングに心を奪われてしまう。

別に地球の果てまで行く訳ではなし、大きく構えて、いざとなったら、一晩だけ、どこかのホテルにでも。泊まってゆっくり旅の疲れを癒せば良いだけのことだ。・・と考えようとする。

が、しか~し!

私には、大きなハンディキャップがある。

荷物・・そう、荷物がいつもながらに異常に多いのだ。

今回も合計で約60キロを抱え、勝手のわからぬ場所で、安ホテルを求めて右往左往するのは、正直厄介なことである。


が、ここは最近本で齧った知恵でも適用させようではないか。

”いやいや。今、この瞬間に困っている訳ではないのだ。今は、ゆっくりと休んで、向こうに着いてからまた考えよう。ま、なんとかなるさ!”

かくして、私は爆睡モードに入り、機内食が来たのも分からず、やっと目覚めた頃には、飛行機は既にL.Aに着陸するところであった。

着陸後さっさと外に出れるように、なるべく前の席を取っている関係で、いち早くターミナルに躍り出た私は、長い廊下を歩いて、荷物受け渡し所にて大きな2つのバゲージを受け取った後、税関を抜け、颯爽と出口に向かう。

”居ないかな~、居ないかな~?急にテレパシーが閃いて、迎えに来てくれたりしないかな~?”



もちろん、居るわけがない。はは。


仕方がないので、まずは彼女に電話をすることにする。

えーっと、公衆電話、公衆電話・・

夜8時すぎの空港は、たくさんの人で大賑わいである。

今回の旅では、何がどうなるかわからなかったので、私は身の回りにある、ありったけの全財産
(メキシコペソ、米ドル、シンガポールドル、マレーシアリンギ、少々のインドネシアルピア)を携帯していたのだが、あいにく、電話を掛ける為のクオーターは持ち合せていなかった。
しかし、人で賑わうターミナルのどこを見渡しても、両替所が見当たらないどころか、肝心の公衆電話さえないのである。

彷徨う事約5分。

あちこちで係員に換金(もとい、クオーターねだり)を断られ、致し方なく、そばにあったオフィスに駆け込む。

”すみませ~ん、間違って、予定より1日早く着いちゃって。友達に電話しないといけないんだけど、お金買えて頂けませんか?”

そこにいたブラックの兄ちゃんは、そんなことならお任せよ、とばかりに、オフィスの電話から彼女の番号に繋いでくれた。


”あ、Eちゃん?私私!あのさ~、私、間違ってもう着いちゃった~!”

”えっ?!何それ?まじでっ!?オーマイガー!!わかった。今速攻で家を出るから、外を出たところで待っててくれる?じゃ、今出るから!”



持つべきものは友とは、まさにこのことである。

かくして、私は安宿を求めて彷徨うこともなく、それからちょっきり20分後、無事、彼女との再会を果たしたのであった。

ここで教訓。

<飛行機に乗る前は、必ず到着日と時間を確かめましょう!時差があるからといって、すべてのフライトが同日に着く訳ではありません。>

しかし、Eちゃんが家にいてよかった~。




続く




2011年6月23日木曜日

羽田空港から



                                                      Ajisai (Fukuoka)





羽田空港の展望デッキにて、久しぶりの東京の夜景を眺めている。
大きな街、そして大きな夜景。

ここから見る東京の街は、本当に美しく、なんだか果敢なくも見える。
街が、九州のそれに比べて、あまりにも大きすぎるからだろうか。

そして、この大きな街が、一斉にゆれたのだ。あの震災の日に。
こんなに大きな街の、ここに住む1300万以上の人の頭の中に、一斉に死が過ったなんて、誰が信じられることだろう。

人の力なんて、自然の力に比べれば、ひとたまりもないものだと思う。
そして、人の命が、本当にちっぽけであることも。


今夜の東京は風が本当に心地よくて、この新しい展望デッキで、一人コーヒーを啜りながら、仲良しの友人をここまで呼び出せばよかったな、としばし後悔する。

その昔、東京で暮らしていた時に、気分転換が必要になると、一人空港まで来て、ただひたすらに飛行機が行き交うのを眺め、そして、熱りが冷めると、”よし”と心の中で呟いて帰ったものだった。

そんなことを、ふと思い出しながら、九州では決して感じる事のなかった気持ちー”この風はいったいどこから吹いてきているんだろう。”ーに思いを馳せる。


ここに座っていると、東北がとても間近に感じられる。

地理的なものか、それとも通っていた大学に、東北出身の学生がたくさんいたからだろうか、この風が運ばれてきた先で、大勢の人が命を失い、放射能を浴び、今、この瞬間にも、彼らは不自由な生活を余儀なくさせられている。

たくさんのきらびやかなものが、街にあふれ、(久しぶりに日本にいる私の目には、少なくとも、そう映る。)男達が今日もまた仕事場へと向かい、女達が、流行に、美白に、時間とお金を費やしている、すぐその向こうで。


昨日も

今日も

明日も

私には、同じに感じられる。


時代が変わろうとも、人々は働き、消費し、そして、今日も、明日も、来年も、再来年も、それを繰り返して生きているのだ。


死に向かって毎日、静かに歩を進めている私達に取って、本当に大切なことって何だろう?


私は亡くなった母の分も共に、この命を大切にしたい。
今、この瞬間に生かされていることに、感謝して。



改めて、東日本大震災で犠牲になった人々に慎んでお悔やみを申し上げると共に、
今後の日本の真の成長を心から願いつつ、しばしの別れとさせて頂きたいと思います。

また会いましょう、私の祖国。



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2011年6月22日水曜日

動物に血液型はあるのか?




今朝方、表題のような夢を見て、ふと目が覚めました。

ふむ、どうなんだろう。これは調べてみなきゃ、と思いはしたものの、ちょっとゆっくり探している時間がありません。(といいながら、ブログは書いてるんだけど。)
という訳で、もし知っていらっしゃる方がいたら、こっそり耳打ちして下さい。

ところで、今日、福岡から東京を経由して、L.Aに経ちます。

L.Aでは、久しぶりに会う友達と再会を果たして、ほとぼりの冷めた頃に、ぼちぼちメキシコに戻る予定。

日本でお世話になった皆さん、本当にありがとう!

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

また落ち着いたらアップしますね。

それではまた会える日を楽しみに〜!



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