2011年6月17日金曜日

神様の視点





日本での滞在もあと僅か。

今回は、めずらしく地元ばかりで、東京をはじめ、関西や福岡さえもあまりいく機会がなかったけれど、でもおかげさまで、地元密着型で、ゆっくりと過ごすことができました。

地元の皆さん、そして新しくお友達になってくれた皆さん、本当に色々とありがとう!

ところで昨日、ふと思ったことがあります。

私は今回、母のことがあって一時帰省していた訳なのですが、地元に住んでいる友人達にとっては、ここが地元であり、日々の生活がある訳で、毎日とっても忙しそう。

それぞれに家族がいるので、家事に加えて、子供の習い事の送り迎えに、PTAに、ヨガに、バレーボール同好会に、と毎日盛りだくさん。

日々、図書館に行ったり、友達のところに入り浸ってのんびりしている私とは随分な違いです。

距離的にはすぐ近くにいる仲間達だけど、私がひとしきり、予定を済ませ、帰国に向けて荷造りに励む一方で、彼女たちはというと、今週末に行われる子供のダンスの大会のことでてんやわんや!

子供を持つ母親の気持ちってこんななんだなぁ~、と横から感心して眺めていた時、ふと頭に思い浮かんだことがありました。


人は日々、それぞれに、何らかのテーマを持って生きていて、それがある人にとっては、”早く飛行機の手配しなくちゃ~!”ということであり、また別の人にとっては、”今週末の、子供達のステージがつつがなくに終わりますように。”ということであり、はたまたある人にとっては、それは、”あ~、もうすぐ旦那が帰ってくる・・今日の夕ご飯のおかず、どうしよう!”ということであるかもしれないし、”早く仕事が見つかりますように。”と願うことだったりするのかもしれない。



要は、人間と言われる限り、誰一人として思考を持たない人は居ないわけで、私達は、それぞれに様々な思いを抱き、日々、右往左往している訳です。

そして、その光景を上から眺めた時、神様にとって、私達ってどんな風に映るんだろう。

・・そう考えた時に、なんだか微笑ましい気持ちになったのです。



人はそれぞれに悩みを持ち、そして、今日も明日も、思考を重ねながら生きている。

一進一退を重ね、時には喜びを胸に、時には悲しみに暮れ、けれども、私達の誰もが家族の、友人の、世界の幸せを願い、心に小さな灯火を持っている。


それを、上からそっと覘いてみたならば、それは、まるで大地に広がる、キャンドルの花畑のように、見えるのではないかしら?


そして、頬杖を付きながら、私達のことを眺めている神様は、今、一体どんなことを考えているんでしょう。

あたふたと荷造りをしながら、ふとそんなことが頭に浮かんできた昼下がりの出来事でした。




2011年6月4日土曜日

余裕


Lake Bacalar, Chetumal, Mexico




日本に帰ってからというもの、怒られっぱなしでいる。

叔母に叱られた話はすでに書いたが、先日は、朝からバタバタしていて、朝ごはんを食べる間がなかった。

なので、最初の用事を済ませてから、次の用事に移る前に、スーパーでパンを買い、入り口のところの柵に腰掛けて、待ち合わせの人物を待ちながら、ムシャムシャとやっていた。

と、向こう側から自転車に乗ってやってきたおじさんが、私の目の前を通り過ぎながら、”美味しいか?!”と聞くので、”うん、美味しい!”と素直に答えると、”子供だったら、どやすところだがな。”と言い残して去って行った。

一瞬何のことだかわからなくて、次に、やっと彼の言いたい事がわかった。

「公共の場で、食べたり飲んだりするのは、みっともないことなんだ!」

これは、私には結構な衝撃であった。

なぜなら、私の住むメキシコでは、いつでも誰かが何かを食べていて、それが職務中の警察だったり、仕分けをしている郵便局員だったり、タコススタンドのビジネスマンだったりするからだ。

下手すりゃ、スーパーで買い物途中、レジで清算を済ませるのが待ちきれず、一旦カゴにいれた、パンやらスナック菓子やらをバリバリ開けて、食べ終わった袋だけを見せて清算するなんてことも、海外では決して珍しいことではない。

そういえば、お祭りの縁日は除いて、歩いたり立ったまま、ものを食べるのは、見栄えが宜しくないんだっけ?!あ、そういえば、買い食い禁止、なんてあったりしたっけな~?!

私は、自分の感覚が多少なりともずれている事を認識し、改めて背筋を伸ばしてみる。

さて翌日は、里帰り中の凄腕ヘアスタイリスト(ニューヨーカー)に髪を切ってもらい、気分も上々で自転車に跨り、家路への道を走っていた。

彼の実家の理髪店は、田んぼに囲まれたのどかな場所にあり、「けやき通り」と、都会風の名前が付けられた通りをはじめ、あたり一体は、午後の昼下がりでしんと静まり帰っている。

連日続いた雨も止んで、お日柄もよく、髪の毛もすっきりして、気分がいいなぁ!

とその時、前からゆっくりと向かってきた車から突然、声が発せられた。


「ちょっと、お姉さん。信号赤なんだけど。」



は?と思って顔を上げると、それはまぎれもないパトカーであった。

え~!でも、赤ったって、車はおろか、犬一匹いないじゃないの!

こんなところに信号付けるって方に、無理があるんじゃない~!?!?!


ついこの間は、別府というところに用事があって、女4人で車を飛ばした。

同年代の気さくな人ばかりということもあり、話は弾む一方。
笑いの絶えないまま、ドライバーのTさんは、高速を出て、と同時に前を走っていた車が急激にスピードを落としたので、瞬間的にその車を抜いた直後、歩道に座っていた2人が身を乗り出して立ち上がり、その50メートル先には、道の左右に数名の警察官が待機して、仁王立ちになり私たちを止めた。

やられた~!スピード違反で捕まってしまったぁ~!!!

災難とは全くこのことだ。
とりあえず、財布財布・・とばかりにバックを開けようとして、私は見た。

一人の若い警察官が目を、ものすごく三角に引きつらせ、我々に向かって何か発しているのを。

「はい、もう少し前に・・。あ、もう少し寄せて・・。あ、もう少しだけ後ろに・・・。はい、よし。」

な、な、なんだこりゃっ~!?

まるで、重大な凶悪事件犯にでもなったかのような緊迫感である。


仮にここで、車の窓から顔を出して、彼の手に1000円札を握らせ、

「お兄さん、悪いけどさぁ~、今日はお願いだから、これで勘弁してよ~!」とメキシコ流にやったとしよう。

間違いなく、私はその場で打ち首になっていたことであろう。


というか、緊迫した雰囲気の中、そんなことを切り出せる人がいたら、私は、是非そんな勇敢な人に会ってみたい。

そういう訳で、取調べは、その後約15分に掛けて行われ、その場にいた他5名の間にも、同様に緊迫したムードが漂っていた。
当然、待っていた私達の間にも、連鎖的に、ドヨ~ンとした空気が浸透していった。




言い訳になるが、私は、一部の職業に就いている人をここで非難している訳ではない。

国際免許証について聞きに行った先のお巡りさんは、と~っても親切に、本部に問い合わせの上、逐一教えてくれたし、私が今回ハプニングで乗りそこないそうになった日系航空会社のスチュワーデスさんも、地上係員のお姉さんも、先日途中解約してしまったインターネット会社のサービスセンターのお兄さんも、皆、こちらが恐縮してしまうほどに親切であった。

それと同時に、例えばお店などで、愛想良くしている店員さんに、手のひらの上に乗せてお金を渡しているのにも拘わらず、硬貨を入れるトレーが、代わりにすーっと出てきて、淋しく感じることもあった。

そして思った。

もしかして、みんなあまりにも真面目になりすぎて、なんだか余裕ない感じ?!?!



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先日、子供英会話を教える時に、何を教えられるかなぁって考えていて、Have a nice dayっていい言葉だな、って思い付いた。

子供って言ったって、ハローとかグッバイくらいは知っているだろうし、でも、Have a nice dayだったら、言う方も言われた方にも笑顔が浮かぶ。

私は説明を考えた。

「皆さん、英語を話す国の人たちに取って、毎日を楽しく過ごしているかは、とっても大事なことです。なので、朝出掛ける前に、お父さんやお母さんは、子供に、楽しい一日をね!と言って送り出すし、子供たちも、同じように返します。良いですね~!」

そして、ふと我に帰る。

日本人が、一番大切にしていることってなんだろう??

次の瞬間、私の頭の中に浮かんできた事は、次の一文字だった。



「決まりを守る。」





ガ~ン!!!

悲しいけど、これが現状かもしれない。

先生の言いつけを守る。
前へならう。
遅刻をしない。
歩きながら物を食べない。
赤信号は止まる。
マンションの廊下は走らない。
代金は、お客さんから直に受け取らない。
仕事は、言われた通りに。

うぎゃ~っ!!!!





**


かくいう私も、ついこの間までは、こういう人間でした。

けれど、そういう価値観が、別の場所に移動すれば、何の効力も持たないと知って以来、どっかに吹き飛んでしまったのも事実です。

あ、もちろん、規則を守る=回りに気を使うっていうのは、日本人の美徳だとも思います。

地震の時の冷静さとか、分別ある行動は、日本の外から見たら、驚き以外の何者でもなかったので、それは大きな報道となり、また他民族へのお手本にもなった。

でもその一方で、それが裏目に出てしまえば、国単位で、融通が利かない、かちかちの真面目一本やりになって、なんだか息苦しい社会になってしまうんだろうな~。

もっと肩の力を抜いて。

もっと我がままでもいいのよ。

もう十分出来てるんだから。


日本に、同じ数だけの外国移民が来たら、相当面白いだろうなぁといつも思う。

皆どれだけ優秀で、どれだけ優れた民族であるか再認識して、なーんだって笑っちゃうよ、きっと。

そして、そんなこと想像するだけの余裕、欲しいよね!





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2011年6月2日木曜日

腹を括るということ

Hamaca, Cozmel, Mexico



先日、叔母に激しく渇を飛ばされて以来、ここしばらくシュンとしていた。

彼女曰く、老いた時にどうするのか、蓄えもなしに、どうやって生き延びるのか、結婚もせずに、もし相方が先に死んだら、その後、どこでどうやって過ごすつもりなのか、いったいどういうつもりで、何を考えていることがさっぱりわからない、と言う。

こういう時、私は本当に困ってしまう。

なぜならば、私はいつも”なんとなく”過ごしていて、色んなことを現実的に考えるべきだ、と相棒に言う割には、心のどこかでは、”まぁ、何とかなるでしょう。”と思っている節があるからだ。

いつもそうやって生きてきた。

若い頃は、とにかく楽しく過ごしたいことが優先で、貯蓄には目もくれず、独身生活を満喫してきた。バブル時代の申し子といわれても仕方がない。

そして、そんな自分が30半ばを過ぎて、シンガポールに移った時は、さすがに圧倒された。

初めての海外単身生活に、緊張していたこともあったし、また、華僑の多い国柄、彼らの現実的な考え方に痛く影響を受けて、ある日ある時、”これはいかん”とばかりに、猛烈に貯金を始めたのだ。

そして、毎月、給料から家賃と食費を抜き、あとはすべて貯金に回し、およそ20数年後に迫った老後に備えるべく、何度も計算機を叩いた。


”えーっと、1ヶ月の貯金が○○ドル。1年間で○○ドル。これを貯蓄型保険に預けて、20年後に戻ってくるのが、この額。うーん、これだけ切り詰めても、たったのこれだけか~。”

そして、その満額で、実際に自分が何を買えるかを、ある日、徹底的に調べてみることにした。
まずは隣国、マレーシアの家を検索した。

サーフィンの出来る小さな街の小さな集合住宅。
隣と壁がくっついているタウンハウスがその予算で買えるマイホーム。

次にオーストラリアの家を見た。
オーストラリアは、旅行で訪れたことがある、青い空に美しい自然が魅力的な国。
なかでも、都市機能を持ったシドニーには少なからず、心を動かされていたので、いくつかの不動産サイトを見たが、最早、都市部で手の出る物件は皆無であった。

最後にハワイ。

不動産サイトの家は、どれも夢のように素敵で、でももちろんゼロの数が少なくとも2つくらい違っていた。しばらく、それらの家に見入り、ため息をつき、そして最後に、奇跡的に予算内に収まる家を探し当てた。

その住所はハワイとなってはいたけど、背景の風景はというと、火山の麓らしき、砂利の風景だった。家は斜めに傾いた掘っ立て小屋で、外にドラム缶風呂が付いていた。

現実を、見つめるということは、なんと無味乾燥としたことだろう。

こんなに切り詰めて、好きなものも我慢して、友達付き合いもせずに20年頑張り続けても、私を待っているのは、隣と壁のくっついた、田舎町の小さなタウンハウスだけなのだ。

私は目の前のPCを消して、翌日、サーフィンに出掛けた。


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確かに今でも、日本から遠く離れたところで暮らしていれば、信じられるものはお金だけ、という気持ちになるのはわからないでもない。

だから私も、日ごろはせっせとヘソクリに励んでいるし、無駄使いは極力控えている。
けれど、どんなに電卓を弾こうが、現実的になって、これからどうやって財を増やしていこうかと考え抜いたたところで、何かが劇的に変わるとは到底思えない。

私は、現実を見つめることだけに躍起になり、その目標達成の為だけに、自分の魂に嘘をついてまで、やりたくもない仕事をやったり、楽しみを20年先まで据え置くということが、想像できない。

だったら、ささやかでもいいから、今この瞬間を楽しみたい。

結局私はどこまでも、南国人体質の怠け者なのだ。

そして、これが私の弱みであることは紛れもない事実だと自覚しているからこそ、”将来どうするのよ!?”と突っ込まれた時には、目を白黒させて、口ごもるしかないのだ。




さて、そんなことで、しばらくしょんぼりしていた私のところに、最近知り合いになったばかりの友達が遊びに来た。

そして私の話をひとしきり聞いた後で、その、独特の間合いと飄々とした風情を崩さずに、彼女はこういう。

”落ち着くべき場所は、自分の心の中にあるもので、場所ではないんだと思うけどな。”

唖然としている私に、彼女は更にこう言う。

”友達が、ここあそこと点在しているからこそ、それが原動力となる。今あるあなたは、過去から日々積み重ねて出来た集大成であり、結果であり、だから、それこそがあなたの今あるべき姿であって、それを今さら、昔風に変えようとしたところで、それは無理な話でしょう。”と。

目からうろことはまさにこのことだと思う。

彼女は続ける。

”もし仮にすべてに失敗してしまったといっても、私たちはありがたくも日本人として生まれ、いざとなれば生活保護を貰って、なんとか食べていける。たとえ、一人ぼっちで年老いたとしても、死ねば、市役所の人が来て、火葬してくれるでしょう。そう考えれば、心配することなんて、何もない。”


これだ。この腹の括り具合だ。
これが私には、欠けていた。

神様ありがとう!!!

というわけで、モヤモヤの晴れた私は、めでたくいつもの能天気なハッピーヒッピーに戻り、今日もご機嫌で、地元を隅々までチャリンコで疾走するのでした。

笑う角には福来る。
さ~て、今日もこれから出掛けるとしますか。


(追伸)私自身は、仮にすべてを失ったとしても、日本に戻って生活保護を受けるつもりも、ここで死ぬつもりもありません。念の為。
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2011年5月31日火曜日

運動会



           



運動会に参加してきた。

・・といっても、友達の子供の運動会なんだけど。

独身で、子供もいない自分が、まさか運動会に行ける日が来るなんて、夢にも思わなかった。

というか、子供もいないのに運動会に行って、面白いかなと思ってた。


けれど、ビデオ係になって、あっちの子供、こっちの子供と探しながら回しているうちに、自分の顔がほころんでいるのに気がついた。

どの子供も、一生懸命、踊ったり、走ったり、飛んだり跳ねたりしてる。

どの瞳もキラキラとして、それを応援するパパやママたちの顔からも、笑顔がたくさんこぼれてる。

あぁ、皆が毎日、こんな風に過ごしたら、この世の嫌なことなんて、すべてなくなってしまうだろうに!って思った。



子供たち、今の、その一生懸命さをいつまでも忘れないでね。

そして、その子供を暖かく見守っていたパパママ、おじいちゃんおばあちゃん。

本当にお疲れ様でした!











2011年5月27日金曜日

幸せ

  
Sonrisa

Flores!



久しぶりに地元で、のんびりしてます。

こんなに毎日のんびりしてていいのかなぁ・・ってちょっと不安になるくらいです。(苦笑)

気の置ける昔の仲間達と集まっては、ワイワイがやがや。
そして、図書館に行っては母国語の本に没頭する日々。


あ~、幸せだなぁ・・・


ある本の一節によれば、幸せとは、なるものではなく、「気付く」ものなんだそうです。

更には、

幸せを手に入れるのではない。幸せを感じることの出来る心を手に入れるのだ。

だそうな。うーん、深いお言葉。


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単純な私は、こういう言葉に出会うたびに、おぉぉ!と感動してしまいます。

落ち込む時はかなーり、落ち込みますが、今回は身の回りにたくさんの幸せの元が転がっているので、しゃかりきに読んでは、書き写したりして、勝手に盛り上がってます。うはは。

自分用のメモとして、以下書き留めておきます。
もし気に入ったものがあったら、転写して下さいね!


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・人がなぜそういったのか、そうしたのかを考えていても、何の意味もありません。前進する歩みが止まるだけでなく、時間とエネルギーの無駄にもなります。誰が正しく、誰が間違っているということではありません。考え方が違うのです。あなたは冷静な観察者になり、誰とかかわりを持ち、誰をあなたの人生の一部にするかを明瞭にしてください。

他人がそのままでいる権利、他人がしたいようにする権利を愛してあげてください。そうすれば、自動的にあなたは、自分自身を好きになることができるでしょう。

・将来に何が起こるかを心配して、考えても時間とエネルギーの無駄です。その時間を、自分のために使うのです。

しがみつきはいけません。しがみつきは、あなたにも彼らにも何もいいものがありません。

人に感情移入をし、人の痛み、問題、苦しみ、ネガティブさを感じ、それと同じエネルギーを体験すると、宇宙のバランスに貢献できません。

心配はネガティブなエネルギーであり、相手の問題にネガティブなエネルギーを与えていることにまず気付いてください。

感情移入を思いやりと勘違いする人もいますが、それは、他人が経験しているエネルギーを経験することです。
感情移入する人は、エネルギーを漏らし、自分の人生にフォーカスすることができなくなります。

本当の思いやりは、その人の恐怖や痛み、苦しみなどの感情を受け取る事ではなく、励ましたり、適切な行動がもたらされますようにという祈りを送ってあげることです。

あなたは誰かを変えたり、誰かの問題を解決してあげたり、責任を負ってあげるために生きているのではないのです。

祝福してあげましょう。

彼らを愛し、それぞれのやり方を尊重するのです。

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今日はこの辺で!

皆様、健やかな一日を!!




2011年5月23日月曜日

身の振り方

今後の身の振り方を考えています。

このまま、地元に残って片親と一緒に過ごすのがいいのか。
それともメキシコに戻って、私は自分の人生を生きるのがいいのか。
はたまたその真ん中を取って、出来る限り行き来するのがいいのか。

理想どおりに行けば問題ないのでしょうが、そうもいかないのがつらいところです。

世の中の先輩たちは、大変だったなぁ、と今更ながらに実感する今日この頃。

けれど、当の本人(親父)にしてみたらどうなんでしょうね?

彼自身は、私とは一緒に住みたくないと言っていて、それは強ち嘘ではないと睨んでます。

が、遠くに子供が住んでいるっていうのも、なんとなく心細いでしょうねぇ。

ダブル生活が送れたら、どんなにか良いだろうに!

母の49日まで、色々と考えてみようと思ってます。



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2011年5月20日金曜日

すっかりご無沙汰してました




4月29日に母が急に亡くなってから、今日まであっという間に過ぎました。

皆様方におかれましてはお元気でしょうか?

人の死って、本当にあっけなく来るもので、未だに、起こったことが実感としてわきません。

母の死もそうでしたが、残された父の事が気がかりで、今日まで様子を伺ってますが、意外に元気そうで、しょんぼりと落ち込むこともなく、仏前の前に座って色々と話しかけています。

肉体は離れても、心はいつまでも一緒なのでしょうね。

私自身は49日までここ、地元に滞在し、その後は未定です。

生前、遂にどこにも連れて行ってあげることができなかったので、これからは、たくさん旅をして、色々と一緒に行けるといいなと思ってます。

人生色々とありますが、出来る間に色々とやって置きたいなというのが、今の気持ちです。

私の場合は、やっぱり旅行かな?

季節柄、皆様お体ご自愛下さい。



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