2013年11月27日水曜日

NIKKEI



                                                                                                                                                                     Big Island, Oct, 2013




ハワイ島に来ています。



この島を訪れたのには、いくつかの理由があるけれど、その一つが、自分と同年代の日系に会って、話を聞きたかった、ということ。


2006年にシンガポールから帰国した年、縁があって就いた仕事で、隣に座っていた女性が、以前に日系移民の担当をしていたことから、彼らについて、改めて知ることになった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/日系人



日系という言葉こそ知れど、聞けば聞く程に驚くことばかりで、その前後にたまたま読んだ、ワイルドソウルという小説で、彼らの存在が、より一層深く胸に刻まれたことも、要因だったように思う。



私が住んでいたメキシコには、かなりの数の日系人がいて、話を伺う機会もあったし、顔かたちが似ている、韓国系ロシア人の子と仲良くなり、その話を聞いた時も衝撃だった。



彼ら韓国系ロシア人(血筋は韓国だが国籍はロシア)は、第二大戦中、当時統治していた日本軍により、労働力として連れて行かれ、終戦後、日本兵が引き上げる中、そこに置き去りにされた人々なのだという。



「ロシアでは韓国系なんて、ステータスがないに等しいの。私の親なんて、読み書きさえ出来ないわ。必死で働いて、そして未だに惨めな暮らしを強いられている。

私はそんな生活は耐えられない。けれど、この国ではチャンスがない。

だから、インターネットで彼と出会って、はるばるここまでやってきたのよ。」と彼女。


同じ年代の、美しい黒髪に切れ長の目を持ち、ビーチフロントの豪邸に住む彼女に、そんな過去があろうとは、日本、そして戦争が、そんな傷跡を残していたなんて、一体誰が知っているだろう?



いつの日からか、私の頭の中には、一つの言葉が反芻していた。

それは、自分のルーツ(血筋)について。


これは、旅を続け、また、自分が親を失って一人になった時、改めて浮上してきた言葉だった。



自分が、日本という場所に生まれた、紛れもない日本人であることは、自覚してきた。

しかし一体、その自分は先祖から、どんな血筋を受け継いたのだろう?


日本という国は、かつてはどんなところで、この先、どこに向かっているのだろう?


それから、他国に移住した日系人。


彼らの苦労は言うまでもないが、その子孫である、我々と同世代の4世5世は、自分自身のアイデンティティを、どのように捉えているのだろう?




全くの興味心だった。


けれどそれを、どうしても自分の目でと耳で確かめたかった。


偶然といってしまえばそれまでだけど、行く先行く先で、衝撃的な話を聞く度に、それを、そのままにしておけない何かを感じた。




どうして、彼らに興味を持ったのか、自分でもよくわからない。


ただ単に、同じ顔かたちの彼らに、興味を持ったのか。

それとも、彼らから「日系で良かった」という言葉を聞いて、愛国心を分かち合いたかったのか。

あるいは、同じ血筋でも、国を隔てることにより、どこがどう異なってきたのか、体感しかったのか。




***




目の前に、突然広がった光景を見た時、私は言葉を失った。



サーフポイントに行く道すがら、青い海を見下ろす丘の上に広がっていたのは、大きな日本の霊園だった。


太陽の明るい日差しを浴びて、そこに佇む、亡き先人の墓石の数々。


そのお墓の多くには、色彩鮮やかな南国の花が、ふんだんに供えられて、その場所を明るいものにしている。


遠く離れた異国の地で亡くなった、同胞者の方々----なんとなく寂しげなイメージとして植え付けられていた彼らの姿は、自分の勝手な先入観と共に、見事に叩き付けられた。


こんな綺麗な場所に、こうして今でも大切に守られているお墓の数々。

早朝にも拘らず、車で花を供えに来る老人の姿は、跡を絶たなかった。



ここに眠る人たちは、ひょっとすると、母国にいた時より幸せかも知れない。



一礼して、私はその場を静かに立ち去った。




























.





































.

0 件のコメント:

コメントを投稿