2011年8月3日水曜日

ロシア人、やってくる Vol.3




さて翌朝、指定の時間ぴったりに到着すると、果たしてご一行様は、すでに朝食を済ませ、さっそく準備に取りかかろうとしているところであった。

予想に反し、時間に正確なグループらしい。

が、肝心の相棒の姿が見当たらない。
昨日は作業があるためスタジオに泊まり、今朝は、そこから直行するはずだったのに、途中で忘れ物でもして、一度帰ったに違いない。

仕方がないので、自ら出向いて行って、彼らと挨拶を交わし、相棒が少し遅れることを告げ(たつもり)、そうこうするうちに、彼らはてきぱきと準備を始め、そこに滑り込んだ相棒共々、現場は瞬く間に、カオス状態となった。




”◯△☆×□凸凹♂♀?”

”あぁ〜、あるある!これのこと?”

”◯☆!”

”△$¥□?”

”え?いくつ?2つ?”

”Niet!×♩⁑◉♨!!”

”あ、オッケー、今、持って行く。”


通じないながらにも、なぜかスムーズに進行する現場。

最初の5分で、取り急ぎ、イエスがDa、ノーがNietであることは学習した。

これで、基本的なやり取りは万全だ。


・・と、違った!感心している場合ではない。

支払いだよ、支払い!!


仕方なく、機材を持って、右に左に入り走るメンバーを、一人ずつ捕まえては聞いて回り、やっとプロデューサーらしき人物を特定し、すっかり職人モードに突入した相棒を引っ張って、ロビーにてご清算タイム。



さぁ、そこでプロデューサーが、袋の中から取り出したのは・・・


なんと、すべて新札のドル束だ〜っ!!!


一瞬にして怯む私。しかし、普段はあれ程人騒がせな相棒が、こういう時には、全く表情を換えないのが、不思議である。

さっと、新札を手にしたかと思うと、”ちょっと実験ね〜!”などといいながら、手際良く、何枚かを抜き取って検証する。


”いや〜、ここではね、普通の町では起こらないことが、色々と起きるんだよ。君たちも、気をつけてね〜。”と微笑む相棒。


ところが、相手もなかなかの強者だ。

”おぉ、このお金は、銀行で受け取ったものだ。心配するな、我が友よ。我らは、罪なき学生なんだ。”と笑ってさえいるではないか。

そのユーモアのセンスがツボにはまったらしく、相棒は両手を挙げて降参し、彼らにペンを渡す。

”おぉ、そうか!じゃ、これは君へプレゼントしたほうがいいな。念のために持っといてくれ。わっはっは!”

”わっはっは〜!”


こうして座は一挙に和み、現場に戻って、いよいよ仕事に打ち込む彼ら。

その姿は、実に生き生きと楽しそうである。


一見こわもてそうに見えた彼らも、一旦打ち解けてみれば、実は、なかなか素朴で茶目っ気のある、典型的な撮影畑の人間であることも判明した。

要は、どこの何人でも同じ。この業界に関わる人間は、子供がそのまま大きくなったような、やんちゃな輩ばかりなのである。

ちなみにこれは、ある日ある時、気付いたのだが、想像に関わる仕事に就く人−−それが、画家であれ、脚本家であれ、映像作家であれ、デザイナーや音楽家であれ−−は、普通の大人が遠い昔にどこかに置いてきてしまった、とてもピュアな一面を、今でも大切に持っている。

それは往々にして、子供っぽさともダブる。

どこまでも飽くなき想像の世界。

そこには、”ま、いいか。”とか”こんなものかな”という諦めもなければ、冷ややかさもない。偏に、情熱と探究心と夢と希望に満ちあふれた世界なのである。

その住人である彼らは、こちらがドキッとしてしまうような、危なかしい部分も持っている。

けれど、そんな人達だからこそ叶えられる世界であり、いつの時代にも芸術があるのは、彼らあってのことなのだ。

彼らは、時に、社会性に欠けることもある。

私の相棒のように、何度言っても、物を失い、言った事を忘れ、あきらかにどこかが大きく欠落した人もいる。

けれどその彼らが、一旦自分の世界に入れば、食事を取る事も、寝る事も忘れ、ひたすら目の前のことに集中する。



果たして、私は彼らのようにはとてもなれない。

私はいつでも傍観者だ。


時間が来ればお腹がすくし、ここの仕切りはどうなってるんだ、と裏方の仕事が気になってしまう。

撮影をしていても、他のクルーがモニターを見て目を輝かせている時でさえ、私は、そこに張り巡らせたケーブルに、一般のお客さんが、足を引っかけないか、そんなことばかりが気になってしまう。

その他にも、それぞれの持ち場はうまくいっているのか、作る事に熱中して、赤字が出ていないか、新人の機材の扱い方は大丈夫か、時間は押してないか、他のことばかりに注意が行ってしまうので、お世辞にも心から楽しんでいるとは言えない。

細かい事だけど、誰かが目を光らせていないと、信じられないことが起きたりするのも、この商売だ。

だから、気付けば自分がその役を買って出て、一人、違う目線で、目を光らせていることも度々である。


それに反して、相棒は、根っからの映像人間である。
もちろん、ご飯も寝る事も二の次になって、走る走る!


最初は、”ちょっと顔を出すだけ”と言いつつも、ついつい気になるものだから手を出して、人員派遣だけのはずが、昼になり、夜になり、結局その場に張り付いたまま、一日が過ぎるなんてしょっちゅうだ。

それにも関わらず、彼は失敗を学ばない。

”今週末は、現場にちょこっと顔を出して、それから◯◯に行こう!”と、自ら墓穴を掘ってしまうのは、毎度お決まりのことだ。

だから最近ではこちらも諦めて、そんな時は、現場をくまなく観察することにしている。

その方が、精神衛生上良いし、気も楽というものだ。

人間、開き直りが大切なのである。



(続く)

2 件のコメント:

  1. 相変わらずエキサイティングな日々を送っていますね!楽しそう!日本では少ししか一緒に時間を過ごす事ができなかったので、ブログでそちらの様子を知りながら楽しませてもらってます。
    しかし、ものを作る側(小規模ですが)としてはなんとも耳に痛い今回の話。さすが鋭い洞察力。でもまさにそのとおりです、、、はい。

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  2. mama taponeさん:

    あぁ、ごめんね!男の人ばかりを洞察してるので、意見が偏ってしまいました。
    女の人は、もともと現実的な生き物だから、そういう意味では、もっとしっかりしてるように感じますが、如何でしょう?
    でも、mama taponeさんが、アーティスタであることには間違いないですね!

    我が家の一等地にて、分身が今日も私を見守ってくれてます。:)

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