2012年5月30日水曜日

海の物語 Vol.5




                                         Ankor Wat, Cambodia 2004





誰に取っても、忘れられない光景はあると思う。



私の場合は、イルカと遭遇したこの出来事がそうであり、帰国後に一夏を過ごした、富士山で見た光景‐‐‐仕事が終わった後に、トレーニングを兼ねて、山頂まで昇り、日没後の暗闇の中、ヘッドライトだけを頼りに、砂の舞う急勾配の砂利道を、8号目の山小屋まで戻った体験。周りは完全な無音・無光で、それは孤独や恐怖というよりはむしろ、宇宙と一体化したような、不思議な体験だった‐‐‐や、レースが始まる直前の緊張感‐‐‐オーストラリア凱旋にて、自分の無力さを思い知った後、それを克服すべく、オフシーズンに筋肉の強化の為、ボート競技を始めたのだが、ふたを開けてみれば、それはサーフィンよりも過酷なもので、わずか3分のレースのために、長い地道なトレーニングを重ね、またその短い競技時間に全身全霊を掛けねばらならかった。



そう、脳裏に焼き付けられた光景は、いつも秒単位の出来事なのである。
それは、瞬間、そして瞬間の細切れで、けれど、それがそこだけを大切に切り抜いた写真のように、自分の頭の片隅に、いつまでも鮮やかさを失わずに、蓄積されているのだ。




誰しにも、そういう体験は少なからず、あると思う。



それは、学生時代の、部活動の大会の一瞬であるかも知れないし、運命の引き合わせに寄って、誰かと出会った瞬間かもしれない。


あるいは、自分の子供となる生命体が、産道を通って、この世に生をあげた瞬間かも知れないし、 長い夜を過ごした後に見た、朝焼けの光景かもしれない。


今、私たちが生かされているこの人生は、そんな一瞬一瞬の繰り返しであり、ドラマであり、それを、御座なりに過ごしてはいけないと思う。


人が、本気で何かに取り組んだ時、宇宙はとてつもない力を貸してくれるのだということを、私は、自分の体験から学び知った。



へなちょこなりに、当時自分が、片っ端のサーファーになれたのも、私の通ったビーチの人々が、人間味に溢れ、暖かで、”よし、行け!”と波を分けてくれ、また、ぶっ通しで海に入って上がって来ると、長老がちゃんとそれを見ていて、拍手で迎えてくれたからである。



皆、私が私の名前を呼んでくれて、私も彼らの名前を呼んだ。



週末が近づくと、誰彼となくメッセージが入って来ては、その時集まったメンバーで一緒にフェリーに乗り、現地でドライバーを捕まえては(これはなぜか、マレー語もろくに出来ない私の毎回の仕事だった)、車にぎゅうぎゅう詰めになりながら、今日の波は一体どうだろう?と期待と不安を胸に、ポイントに向かった。


ボート競技では、遊びとはいえ、それまで毎週海に入っていたことが功をなして、大会のメンバーに入れて貰えた。


そして、そこで受けた体験は、私のそれまでの人生観を大きく覆すものだった。


コーチ陣は、ひたすら我々を励まし、褒め讃え、そして信じてくれたのだ。


それまで、非難されることこそあれ、人に褒められたことのなかった自分には、そのような方法がなんとも居心地悪く、時として苦痛ですらあった。



けれど、トレーニングが進むにつれ、それに没頭するようになり、徐々に彼らの言葉を受け入れられるようになった頃、何かが降りてきたかのように、それまで、自分には絶対無理だと思っていたことが、次々と出来るようになっていったのである。



実はイルカの群れに出会ったのと同日、私はロングボーダーに当てられた。



ボードが頭に当たった瞬間、”あ、やられた。”とすぐに分かったのだが、ぶつけた本人は、”君がそんなところにいるから悪いんだろう。血も出てないから大丈夫。”と言い残して、さっさとどこかへ消えていった。


その直後に、頭から血が滴って海面を染め、他の、多数いたサーファーの間をくぐり抜けながら、私は岸へ戻るため、急いでパドルした。



血に濡れた私を見て、地元のサーファーは目を丸くしたり、揶揄するように笑ったりといった具合であったが、そのうちに段々気分が悪くなって来て、やばいなと思っていると、こちらに向けられたたくさんの視線の中に同じ塾の生徒がいたかと思うと、彼女は悲鳴を上げ、こちらを指差して、パニックに陥りだした。



と、その時、どこで私を見つけたのだろう。どこからともなく、さやかちゃんが寄ってきたかと思うと、”あ〜らら、やっちゃったね〜!”と明るい声をあげ、と私にぴったりと寄り添い、隣でパドルをするのである。


少しほっとして、彼女と一緒に、えっちらおっちらパドルをした。


岸までの距離は、正直、とても遠くに感じられた。



が、パドルの手を止めると、さやかちゃんが、”Kyokoちゃん、もう少しだよ、頑張れ!”と励ましとも叱咤とも言えない声をあげる。

それで岸まで、何とか自力で辿り着く事ができたのである。



岸に上がってから先は、あっと言う間だった。


どこかから、よっちゃんが私の話を聞きつけて駆け寄ってきて、すぐタオルを差し出してくれ、その後、師匠が来て、どんな男に当てられたか覚えてないかと私に尋ねた。


コンドミニアムに帰った後は、縫う事になるだろうからと、簡単にシャワーを浴び、鏡に写った顔を見ると、案の定、かなり血の気を失った顔をしている。


実はサーフィンで怪我をしたのは、これが初めてではなく、当たった瞬間に怪我の程度は察しがついていたので、病院に着いた際、師匠には、”外で待ってて下さい。多分時間が掛かりますから。”と告げた。


それにも拘らず、師匠もよっちゃんも、診察室に留まったまま、先生の到着を待ち、
やがて、インド人の医者が入ってくると、師匠は、”良かったね、この先生上手だから。”と太鼓判を押してくれる。


さすがに合宿を開催するだけあって、これまでも色んな人をここに運んだのだろう。


更には、ドクターが傷口を縫っている間、それを眺めながら、師匠はよっちゃんに、何かを小声で解説している。そして同時に私にも、“今は傷の中側を塗っているところ”とか、”今、外側に取りかかった”とか、中継してくれるのであった。


何の道でもそうだけど、やはりプロというのは、性根が座っている。


治療は、それまでの怪我の中では一番長かったけれど、傷口が塞がった後は、ほっと一安心し、気分も晴れた。

それから合宿所に戻って、待っていてくれた他の塾生とさやかちゃんにお礼を延べたあとは、いつも通りに皆でワイワイと夕飯を食べ、その日は、ベッドの中で、深い眠りについた。



(続く)







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