Baggan, Myanmar |
さて、自分の負けを認めるのは、誰しに取っても、簡単なことではないと思う。
それは私に取っても同じことであった。
小波の一つもろくに取れない自分の実力が、如何なものかは、歴然とした事実である。
砂浜から監督する師匠は、我々に向かい、”上手い!”とは決して言わなかった。
けれど、”ダメダメ!”とか、”このドヘタ!”とも決して言わなかった。
そしてその代わりに、口から発せられるのは、”行けっ!”とか、”最後まで粘って乗れ!”という激だった。
その気迫、そして真剣さには、少なからずとも心を動かされるものがあった。
この人は、私のように、弱さを隠す為、物事を茶化したりしないのだ。
真剣に、このサーフィンという競技に取り組み、同じようにサーフィンを志すものに、体当たりで、挑んでいるのだ。
彼女の気迫は、他にも色んなところから発せられていた。
まず、そのパドル。
上手い人はいくらでもいるけれど、彼女のように全身に力を込め、全速力でパドルをする人を、それまでに、私は見た事がなかった。
その凄まじさたるや、回りにいる凄腕サーファー連中も、彼女がパドルを始めると、黙って、その成り行きを見守らざるを得ないような迫力があった。
また、時間が下がると混むからという理由で、彼女は毎日4時に起床して、充分にストレッチをした後、いち早く海に入って行った。
よっちゃんや、他2名の合宿生が、それに加わって降りていくにも拘らず、私とさやかちゃんと言えば、いつも寝坊組で、それでもしばらく経って目が覚めて、慌てて降りて行くと、まだ真っ暗なビーチには、人はまばらで、しんと静まり返った砂浜には、ドーンと大波が打ち付ける音だけが響いている。
実は、この波の中に入って行くのは、初心者の私にはかなりの勇気がいった。
巨大な波を目の前にして、大抵は勇気が出ずに、少し離れた外れの方まで歩いていくのだが、何日目のことだっただろう。さかやちゃんに励まされ、今日こそはと、一緒に入ったものの、彼女のパドルの早さには、あっと言う間に距離を離され、それでも負けじと必死で波を掻いていると、目の前に現れたのは、息をも飲むような、スーパーウェイブであった。
あっと息を飲みつつ、ここでうまく交わさなければ、絶対にグルグル巻きにされて海底に叩き付けられてしまう。
そこで、タイミングを絶妙に図り、自分に出来得る限り、最深のドルフィンスルーで板を沈ませる。
と同時に、私の腰全体に、ドーンと叩き付けるような衝撃が走った。
もう少し、ドルフィンが浅すぎれば、絶対に波に巻かれて、溺れかけていたことだろう。
それまでにも、大波にまかれ、”あ、もう駄目だ。”と思ったことは、何度かあった。
ジャワの波で、水深く叩き付けられて、息が続かずに溺れかけたことも、波のパワーでリーシュが外れ、海流に流されながらも自力で泳いで戻ってきたこともあった。
けれど、この波は、そのどの波よりも早く、激しく、そして美しかった。
頭の中が真っ白になりながら、とにかく前へ前へ、と必死でアウトを目指す。
そして、何番目の波を乗り切った後だったのだろう?すぐ目の前を、何かが通り過ぎるのが見えた。
一瞬目を疑いつつ、それでもパドルする手は休めずに、最後の波を乗り超えたところで見たものの姿を、私は一生忘れないだろう。
僅かに赤みの差した地平線に、黒、群青色、オレンジとグラジュエーションを描きながら静かに明けて行く空を背景に、目の前を美しく跳ねて行ったのは、イルカの一群だった。
それは、私から、その時持っていたすべてを、持ち去っていった。
恐怖に駆られ、ただ、固くなっていた私に、”そんなに怖がらなくても平気だよ!”と、彼らは、笑顔で祝福しているかのように見えた。
そう、イルカが、私達のところに、遊びに来てくれたのだ。
(続く)
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