Un campo de Campodia |
ずっと昔、まだ私が中学生だった頃のこと。
夏場の部活を終えて家路に急ぐと、いつもは遠くから見える家の明かりが全て消され、あたりは田んぼで
外套も殆どないものだから、一体どうしたのだろうか?と不審に思ったことがある。
真っ暗闇の中、自転車を降りて、オズオズと玄関に近づくと、地面から、
”おかえり”
と突然母の声がする。
仰天して、
”どうしたの?真っ暗じゃない?”
と声のする方に向かって話すと、寝袋に入り、玄関近くに寝転がっていていた彼女は、そこから顔だけ出して、
”今日はね、星が綺麗に見える日なのよ。あなたもちょっと見てごらんよ。”と言う。
山登りが好きだったせいか、彼女は時折、こういう突拍子もないことをする。
仕方がないので、彼女の脇に、セーラー服のまま、しゃがみこんだのだが、当時は周りを田んぼで囲まれて、
家らしき建物も殆どなかったせいか、明かりの消された星空には、私が想像した以上に美しい夜空が広がっていて、
チカチカと瞬くその星達に、私は、母と2人並んで、しばし、夢の世界の住人となった。
遠い昔の、今は亡き母との美しい思い出の一コマである。
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もう一つの思い出は、初めて行った、沖縄での出来事だ。
彼これ、20年数年前のことになる。
北米を放浪した後、東京に戻ってはみたものの、なかなか感覚を戻すことが出来ずにいた私を待っていたかのように、
沖縄の友人が私を誘ってくれ、夏を待たずして、2人して、久米島を訪れた。
何もない、長閑な島だった。
彼女がダイビングを楽しんでいる間、私は一人、自転車を借り、行き先も決めずに、その辺りを見て回った。
山の中を走り、下り道を降り、サトウキビ畑が一面に広がる畑の間の急勾配を疾走していたら、ふと、
”そういえば、ここらでは蛍は見えないのかしら?”という疑問が沸いて来た。
夕食時、早速テーブルについてくれた、私達よりも少し若めのウェイトレスの女の子に、
”このへんで、蛍が見えるところがあったら教えてもらえませんか?” と尋ねると、彼女は、
”ここらは看板もなくて、口で説明するのも難しいから、仕事が終わったら車で見にいって、もしいたら、
お知らせします。”
と言ってくれたので、御礼を言い、部屋で待つことにした。
その後しばらく待ったが、終ぞ連絡はこない。
友人は昼間の疲れからか、先に静かな寝息を上げだした。
仕方ないな、と、ベッドに寝転んで、見るともなく天井を眺めていたら、”コンコン”と、ドアを小さくノックする
音がする。
開けると、果たしてそこには例の女の子と、その子の彼氏らしき男の子が2人して立っていて、手には梅酒を
漬けるような、葉っぱの入った大きなビンを携えている。
上気した顔で、彼女は”すみません、遅くなってしまって。”と切り出した。
”行ってはみたものの、思った以上に足元が悪くて、とてもお二人が来れるようなところではなかったので、
少しだけですが 、取ってきました。”
そういって、彼女はビンを差し出した。
何の気なしに、場所を聞いただけなのに、まさか、こんなに遅くまで掛かって、取ってくれているなど、
こちらは想像もしていなかったので、びっくりして、
”どうぞ、中に入って。”
と再三誘ったが、彼女達はあくまでも遠慮がちに、
”また、明日早いので。”と、会釈をしながら帰っていった。
一連のやりとりに、一旦は起きた友人に、”蛍が届いたよ。”と言ってはみたが、半分寝ぼけたままの彼女は
相槌を打って、また寝入ってしまったので、窓を開け、明かりを消し、しばらくビンに入った蛍をそっと眺めた後、
蓋を取ると、そこから、上空に向かって飛んだ蛍たちは、チラチラと光を放ちながら、あるものは天井に止まり、
あるものは飛びながら、光を放ち続けるのだった。
その微かな光は、あの若いカップルのように、透明で美しく、そしてどこか儚げだった。
明かりを消した部屋の外では、月光が優しく大地を照らし、緑の香りが、内地よりも一歩早く訪れた初夏を思わせ、
風が微かに吹いて木々を揺らし、私という、一人きりの観客を前に、いつまでもその光で楽しませてくれた。
初めての、そして忘れられない沖縄の思い出である。
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今年も6月21日(木)夜8時より、キャンドルナイトが実施されるようです。
詳細はこちら。
http://www.candle-night.org/jp/2012/
明かりを消すことで、見えてくるものもあると思います。
どうぞ皆様、ご参加ください。
子供たちの未来が、どうか、明るいものとなりますように!
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