Wave / Clark Little |
いい女というのは、性根の座った、逞しい女性のことだと、私は思う。
血まみれで、見るともない状況であった私を見ても顔色一つ変えず、並んでパドルをしながら、私を岸まで誘導してくれたさやかちゃん。
彼女は底抜けに明るくて、賢く、頭の回転が早い、ムードメーカーだった。
おしゃべりで、おちゃらけてて、そして彼女のバックグラウンドには、水泳という確固たる実績があった。
だからこそ、私が瀕死の状態でいても、そんなこと、どうってことないっていう感じで、最後まで気丈に振舞ってくれたし、頭に包帯を巻いて帰ってきた後も、笑って迎えてくれた。
日中は、アシスタント業務に追われ、話をする間もなかったけれど、同じ部屋に泊まらせて貰った関係で、寝る前に話す内容が、とても印象的だったよっちゃん。
彼女は宮崎という、サーフィンでは有名なポイントに、ある日意を決して、車に荷物をまとめて移り住んだそうだ。
現地で修行を重ね、恐らく いいところまで行ったのだろう。更なる修行の為に、オーストラリアにワーホリでやってきて、プロを目指すべきか、それともアマチュアとして留まるべきか悩んでいる様子であった。
師匠の二の腕となり、本当にてきぱきと、良く働いていた。
最後に師匠。
これは、帰る時に知ったのだが、彼女は本当は、非常に情の深い人だったのである。
合宿中はそんなことは知る由もなかったし、言葉も少なく、そしてシャープで、ただただ、黙々と毎日練習を重ねていた。
誰よりも先に起き、ストレッチをして、海に入れば、真剣そのもので波を取る。
戻って来て、今度は長目のストレッチをし、少し休んだ後は、午後から私たちのレッスンをしながら激を飛ばす。
その合間に、ボード工場に連れていってくれたり、買い物に連れていってくれたりと、楽しかったけれど、一番興味深かったのは、色んな人が、彼女を入れ替わり立ち代わり、 訪れて来たことである。
それは、まだ年幅の行かない男の子だったり、プロのボディボーダーの女性だったり、現地に住んでいる日本人女性だったりした。
けれど、こんなにも多くの人が、彼女を慕ってやってくるのは、やはり、一つの道で頑張り続けている、彼女の人徳に他ならなかった。
訪れる客人は皆、一様に健康的で、誰もがいいエネルギーを持っていて、そんな彼女らの話を聴くのは、本当に楽しかった。
運動を通じて出来るコミュニティというのは、こんなに絆の深いものなのだと、私はただ目を丸くするばかりだった。
怪我をしたお陰で、実は思い掛けないオマケもあった。
海にはしばらく入れないことになったので、師匠に申し出て、一人思い立って、バイロンベイに出掛けたのだ。
ニコルがその昔入っていた、イルカの遊びに来るビーチ。
合宿所のあるあたりは、人も多く、どこかピンと張った空気が漂っているけれど、数時間後に降り立ったバイロンベイは、それとは真逆の、どこか気の抜けた、リラックスムードの漂う小さな町だった。
歩いて回るには、ちょうど手頃な大きさで、手作りの可愛い小物を置いた店や、古びた味のある本屋さんを冷やかしているうちに、ふと、こんなところに、しばらく住んだら楽しいだろうなぁ、といつもの放浪癖がムクムクと顔を出してきた。
しかしその後、日本人の男の子2人組と街角で出くわして、連れ立ってポイントに向かい、記録係として、彼らの波に乗る姿をカメラで追っているうちに、急に、地元の仲間のことが、頭に思い浮かんで来た。
“雨期も終わって、今頃みんな、何をしてるんだろうなぁ・・”
一旦そう考え出すと、彼らと過ごした時間が、次々と思い出されてきて、なんだか無性に恋しくなった。
波も、パワーもさして大きくはないけれど、私に取ってのホームビーチは、やっぱりマレーシアだったのである。
私のサーフィンは、それを分け合った仲間と、その特有の穏やかな波で作られていたものに他ならないと、目の前で綺麗にうねる波を前にして、はじめてそれに気付いたのだった。
なんてことはない、私は初めから、すべてを手の中に持っていたのだ。
いつだったか、あとから赴任してきた、ボディボード時代からの地元の友人が、サーフィンに転向したと告げた私に、”それだったら、これを読むといいよ。”と言って、一冊の本を手渡してくれた。
そこにはサーフィンをしながら、世界を旅する人の話が載せられていて、私は、吸い込まれるようにその本に魅了された。そこには、私がずっと夢見ていたような暮らしぶりが描かれていて、読んでいるうちに胸が高鳴り、以来それは、私のバイブルとなっている。
その次に会った時、友人には、”ほんとはね、ずっとサーフィンをやりたかったのよ。”と告白した。
すると、彼は一言、こう言ったのだ。
”やりたいことを、やればいいんだよ。”と。
そう、やりたいことを、素直にやってみればいいのだ。
大切なのは、最初の一歩で、続きはあとから付いて来る。
そして、一旦流れに乗ったらリラックスして、あとは、波が連れていってくれる方向に身を任せればいい。
巻かれたら、体の力を抜いて海面に浮き(自然にそうなる)、あははと笑ってすませればいい。
この物語を書こうと思ったのは、あるイルカの写真を見て、自分がその昔体験した、宝石のように美しい光景が鮮明に甦ってきて、それを他の人に、話してみたくなったからである。
自然はいつも私たちの友達で、先生で、私たちを大きく包み込み、静かに見守ってくれる。
迷った時、挫けそうな時、私は自然の中に身を委ねる。
海の声を聞き、潮風にあたり、カモメが飛ぶ様子を眺めていると、ふと我にに帰り、そして思う。
心が信じる方に進んで行こう、と。
分かれ道を目の前にして、躊躇したり、足踏みしている人を見ると、私は近寄っていって、そっと囁きたくなる。
”大丈夫。私だってやってみれたんだもの。取りあえず、行ってみればいいじゃない。”と。
この先のことは、誰にもわからない。
わかっているのは、道は、いつも後から付いてくる、ということだけ。
それはまるで、草むらの中を掻き分けて進んだあとに残った、小さな道筋のように。
自分にしかわからない道。けれど、細く長く伸びる道。
(終わり)
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