2012年6月7日木曜日

海の物語 最終回





                                                                                      Wave / Clark Little






いい女とのは、性根座った逞しい女性のと、


血まみれで見るもな状況った私顔色一つ変えず並んパドルをしながら、私をまで誘導してれたさやかちゃん。


女は底抜けに明るくて、く、回転い、ムーーだった。


しゃべりで、おちゃらけてて、そして彼女のバックグランドには、水泳とい確固たる実績があった。


だからこそ、私が瀕死の状でいても、そんなこと、ってことないってい感じで、最後まで気丈振舞ってくれたし、頭に包帯いてってた後も、ってえてくれた。



日中は、アシスタト業務追われ、もなかったけれど、部屋まらった関係で、に話す内容が、とても印象的だったっちゃん。


彼女は宮崎といフィンでは有名なポイントに、ある日して、荷物をまとんだそだ。


現地修行重ねらく いいところまで行ったのだろなる修行のに、ーストラアにリでやってきて、プロ目指すべきか、それともアアとしてまるべきかんでいる様子であった。



師匠となり、当にてききと、いていた。



最後に師匠。


これは、帰るったのだが、彼女は本当は、非常だったのである。

合宿中はそんなことは知るもなかったし、言葉なく、そしてシャープで、ただただ、黙々日練習を重ねていた。


よりもき、ストッチをして、真剣そのものでる。
ってて、今度目のストレッチをし、少しんだ後は、後から私たちのレッスンをしながらばす。


その合間に、ード工場れていってくれたり、い物に連れていってくれたりと、しかったけれど、一番興味深かったのは、色んな人が、彼女を入れわりわり、れて来たことである。


それは、まだ年幅の行かないの子だったり、プロのボィボーーの女性だったり、現地に住んでいる日本人女性だったりした。


けれど、こんなにもくの人が、彼女をってやってくるのは、やはり、一つの頑張けている、彼女の人ならなかった。


訪れる人は、一様に健康的で、誰もがいいエネーをっていて、そんな彼女らの話をくのは、本当に楽しかった。


運動じて来るコミニティといのは、こんなにの深いものなのだと、私はただ目をくするばかりだった。



怪我をしたお陰で、実は思い掛けないオマケもあった。


海にはしばらく入れないことになったので、師匠に申し出て、一人思い立って、バイロンベイに出掛けたのだ。


ニコルがその昔入っていた、イルカの遊びに来るビーチ。


合宿所のあるあたりは、人も多く、どこかピンと張った空気が漂っているけれど、数時間後に降り立ったバイロンベイは、それとは真逆の、どこか気の抜けた、リラックスムードの漂う小さな町だった。


歩いて回るには、ちょうど手頃な大きさで、手作りの可愛い小物を置いた店や、古びた味のある本屋さんを冷やかしているうちに、ふと、こんなところに、しばらく住んだら楽しいだろうなぁ、といつもの放浪癖がムクムクと顔を出してきた。


しかしその後、日本人の男の子2人組と街角で出くわして、連れ立ってポイントに向かい、記録係として、彼らの波に乗る姿をカメラで追っているうちに、急に、地元の仲間のことが、頭に思い浮かんで来た。


“雨期も終わって、今頃みんな、何をしてるんだろうなぁ・・”


一旦そう考え出すと、彼らと過ごした時間が、次々と思い出されてきて、なんだか無性に恋しくなった。


波も、パワーもさして大きくはないけれど、私に取ってのホームビーチは、やっぱりマレーシアだったのである。


私のサーフィンは、それを分け合った仲間と、その特有の穏やかな波で作られていたものに他ならないと、目の前で綺麗にうねる波を前にして、はじめてそれに気付いたのだった。


なんてことはない、私は初めから、すべてを手の中に持っていたのだ。



いつだったか、あとから赴任してきた、ボディボード時代からの地人が、サーフィンに転向したと告げた私に、”それだったら、これを読むといいよ。”と言って、一の本を手渡してくれた。


そこにはサーフィンをしながら、世界を旅する人の話がせられていて、私は、吸い込まれるようにその本に魅了された。そこには、私がずっと見ていたような暮らしぶりが描かれていて、読んでいるうちに胸が高鳴り、以来それは、私のバイブルとなっている。


そのに会った時、友人には、”んとはね、ずっとサーフィンをやりたかったのよ。”と告白した。


すると、彼は一言、こう言ったのだ。
”やりたいことを、やればいいんだよ。”と。




、やりたいことを、素直にやってみればいいのだ。
大切なのは、最初の一歩で、続きはあとから付いて来る。



そして、一旦流れに乗ったらリラックスして、あとは、波が連れていってくれる方向に身を任せればいい。

巻かれたら、体の力を抜いて海面に浮き(自然にそうなる)、あははと笑ってすませればいい。




                 ※※






この物こうと思ったのは、あるイルカの真を見て、自分がその昔体験した、宝石のよに美しい光景明にってきて、それを他の人に、話してみたくなったからである。



自然はいつも私たちの友で、先生で、私たちを大きく包み込み、かに見ってくれる。


迷った時、けそな時、私は自の中に身をねる。

海のを聞き、潮風にあたり、カメが飛様子をめていると、と我にに帰り、そして思


心が信じる方にんで行こ、と。



分かれ道を目の前にして、躊躇したり、足踏みしている人を見ると、私は近寄っていって、そっときたくなる。


”大丈。私だってやってみれたんだもの。取りあえず、行ってみればいいじゃない。”と。



この先のことは、誰にもわからない。


わかっているのは、道は、いつも後から付いてくる、といことだけ。



それはまるで、草むらの中をき分けて進んだあとに残った、小さな道のよに。


自分にしかわからない道。けれど、細く長く伸びる道。








わり


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