2014年5月15日木曜日

ほんとうに大切なことは







今年の冬、出稼ぎで行った、スキーリゾート地での日々は、惨敗だった。



一見豪華に見えはするものの、欠陥だらけのコンドミニアム。

出鱈目なビジネスに、出鱈目な人々。不正、不払い、自国で受ける、まさかの人種差別。



これが、世界に名を轟かす、日本が誇るスキーリゾート地か?と、落胆するのと同時に、

人の欲がむき出しになると、美しいはずの場所さえ、淀んで見えてくるのが物悲しかった。



空回り、そしてどこにも行かない状況に、ある時見切りを付け、途中で残念ではあるけれど、

降板するにした。


それイコール、住処もなくなるので、その地を去らなければならない、という意味なのだけど。

(土地高騰で、住居費が高い為、労働者は季節中、狭い所に何人も押込められて過ごしている。)



”たまたま立ち位置が悪くて、その印象だけで、この場所が嫌いになってしまうことが、残念なんです

よね。”と、ご縁があって、会って間もない女性に、そう漏らした。



”本当はもう少し、この場所を見てみたい気持ちもあるのだけれど。”



彼女はその時、黙って私の言葉に耳を傾けていたけれど、その翌日から、おびただしい数の情報が、

私のメールに届けられるようになった。


「この人に会ってみたらいい。」「こんな方法がある。」「こんな仕事がある。」


言葉は少なく、でも辛抱強く、彼女は、私を支えてくれた。


そして気がついた。


彼女は、私がそこで出会った、初めてのローカル(地元の人)であることを。




ゲレンデの一面に続く小さな場所では、各国各地から人が集まって、皆、我が物顔でそこに居たけれど、
果たしてそれは、
広がる大地の、ほんの一角のミクロ世界の事であり、その渦中に居た私は、自分の立ち位置さえ、分かっているようで、
実は何も見えていなかったのだということが、彼女の運転で、ローカルの人達の住む、郊外の静かな一角を訪れた時に、
初めてわかった。



いつもは、夜でも赤々と照らされるナイターの明かりが、しんと静まり返った冷たい空気の向こうに、

遠くちらちらと見え、それは、まるでおとぎ話の物語のように、美しく儚い光を放っていた。


自分の存在がちっぽけに思え、それまで苦痛に思っていた事が、どうでも良い事なのだということを、

その時、初めて身に染みて実感した。





今、振り返ってみて、脳裏に浮かぶのは、美しく、静かな思い出だけだ。


バスや電車の中から見た美しい雪景色。


一人コツコツと廃材を使って建てられた、優しいぬくもりの家。


温かい暖炉と猫。


手作りのパン。


駅の雪掻きをするおじさん達。


休みの日に通った絵本カフェと、そこのおばさんの家族の話。



あの時、苦手に思っていた人達は、もう誰も、そこには残ってはいないだろう。



残るのは、人間達のすることを、何一つ文句を言わず、黙って見守る、北海道の雄大な自然。



そして、冬も春も夏も、いつも変わらず、そこに居る、心優しきローカルの人達だけだ。






https://www.flickr.com/photos/shanti_shanti/



http://ameblo.jp/karip-niseko/entry-11850264977.html


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