2012年9月7日金曜日

200ペソの重み



                                                                                   200 pesos de Mexico



200ペソと言えば、日本円で1200円のことある。


日本でいえば、あまり大きな額ではない。


けれど、こちらの貨幣価値で言えば、もちろん安い額ではない。




昨日は、車の調子がおかしかったので、近くのバス停までタクシーで乗り付けた。運賃は、初乗り分の25ペソ(150円)。

別にバスで乗り継いで行ってもいいのだが、朝の一分一秒は貴重な訳で、お金を払って、時間を買うことにする。

さて、勢いよく乗り込んだまでは良かったが、財布を覗いて、はっとする。


”ね、200ペソでお釣りある?”

”ない。”



そう。日本のサービス業とはうって変わり、こちらで大きなお金を出して、おつりがあることはまずあり得ない。


仕方がないので、先日もらったチップの1ドル札を2枚渡して清算とする。


次に、ホテル方面のバスに乗り変える。

朝のバス停は混んでいて、なんとか乗れたのは良かったが、ここでも200ドル紙幣は嫌われ者だ。


”おつりがない。”


と運転手が一言。


最初は、聞こえなかったふりをして、素知らぬ風を装っていたが、意地悪顔の運転手は、”おい、どうするんだよ、お金。”とすごんでくる。

たかだか8ペソ50セント(50円)なんだから、いいじゃない、見逃してくれたって。


だいたい、サービス業に携わりながら、おつりを用意しないとは何事よ、と文句の一つでも言いたいところだが、こういう人種には、言うだけ無駄だと分かってるので、軽めに再確認する。


”ないの、おつり?”

”ない。”


運賃箱をちらりと見ると、50セントや1ペソ、2ペソはたくさん並んでいる。
しかし、これを全部くれたところで、200ペソのおつりに及ばないことは明らかだ。


仕方がないので、バッグをごぞごそとやってみる。


こっちのポケットに3ペソ。財布からこぼれた小銭が4ペソ。


と、隣から1ペソ差し出す手がある。
そして、次に左から1ペソが出て、やっとこれで、8ペソ50セントが揃う。


助けてくれた同士の皆さん、ありがとう!


そう。この国では、貧しい者が、実によく助け合って生きているのである。




例えばバスに乗る時、乗客は、ごく普通に運転手に挨拶をする。

”おはようございます。”

”こんにちは。”

”こんばんは。”


ベビーカーを持った人や、お年寄りが乗り込んでくると、前に座っている人がさっと立ち上がって、手を差し出すし、乗り合いバスの場合は、この挨拶が、乗っている人、全員に向けられる。


更には、これが長距離バスになると、長旅を楽しむために、運転手の隣に誰かが座って、世間話を始めたり、隣同士に座っている人が、食べ物を交換するのを皮切りに、話し始める、ということも頻繁になる。


・・・と話が反れた。


1ペソ、2ペソの世界に生きている、労働者階級の彼らではあるけれど、誰かが困っている時には、惜しみなく自分の持っているものを差し出す、というのが、ここ、南国風の風習だ。


うちの近所の角屋にいく。


携帯のクレジットがなくなったので、一気に500ペソ入れようとして出向いたのだ。

500ペソ(3000円)というのは、こちらではもちろん高額だけど、これを払えば、おまけで400ドル付いてくる、というのが、電話会社の仕組みである。


しかし、この規模の小さな商店で、500ペソのカードが置いてある事は、ほぼ、皆無に等しいということは、読者の皆さんもご想像通りである。


ないと即答され、それで、仕方なく200ペソの方にする。


・・と、お店のおじさんが書き込む帳簿を見てみれば、クレジット購入額の欄には、多くて50ペソ、だいたいは30ペソ、10ペソ、という2桁の数字がほとんどで、どれだけ彼らの懐が貧しいか、ここでも計り知ることができる。


ちなみにこの国では、電話会社は独占企業であるがために、電話代は、日本のそれと同様か、それよりも高い。


生活水準に合わないじゃないか、という方がいるかもしれないが、それが道理に合おうが合うまいが、ここではそれは、「そういうこと」としてまかり通っている。


貧富の差の激しい後進国で、いくら庶民が声を大にしても、変えられないことなど、5万とある。


不公平が当たり前。
持って生まれるのは、社会的階級であり、誰それが、何かを一発当てて、一夜にして百万長者になる、なんていうのは、先進国でしか叶えられない夢である。



そういう訳で、彼らは、自分の現実と向き合って、回りと助け合いながら生きている。


目の前に困難があろうとも、拗ねず、腐らず、実に忍耐強く、本当に偉いな、と思う。




微笑みの国タイ、という言葉を皆さんは、ご存知だろう。


東南アジアの貧しい国々を訪れると、そこにいる人々が、我々に、はっとするような美しい笑顔を向けてくれる。


それはここ、メキシコでも同じ。

通りで人に微笑みかけられて、曇っていた顔が、晴れることがたくさんある。

しかし、この国に住んでしばらくして、私はある時、気がついた。

それは、彼らの笑顔が、彼らに取って、れっきとした資産だということを。






(続く)


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4 件のコメント:

  1. 初めましてyujitoと申します。
    お気持ちわかります。
    バスに乗るとお釣りがないというのが度々あります。
    そんなときは無料で乗ることになります。
    お釣りはちゃんと用意しておけと思います。

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  2. こんにちは。コメントありがとうございます。
    そうですね、こちらも、おつりがない時は、無料で乗る事もありますね。
    最も運転手によりますが・・
    おつりがないのは、国民性でしょうね。この辺は、日本と全く異なりますよね。

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  3. 私もタイ、フランスと在住したことは有りますがその様な
    事の似たような事は有りました。
    日本も稀に有ると思いますが経済が良くなると、、、、。
    仏教のタンブン、タイ語の富めるものは、、、、で日本も
    昔はあったのですがね。

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  4. 仏教用語で、タンプンというのですか?托鉢のことですよね。勉強になります。
    日本は、内と外の区分けがはっきりとしているので、他人にお金をあげる、という行為は、あまりないように思います。

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