2011年9月30日金曜日

最悪の一日

                                               Tienda de Pineda Covalin


・・・なんて書きましたが、一日のうち、”最悪〜!”なことの1つや2つが必ず織り込まれているのが、ここ、途上国での生活。



まぁ、機嫌のいい時や、余裕のある時は、もちろん涼しい顔して、さらりと交わすようにしていますが、それが時として、3つになり4つになり、5つになる頃には、だいたい、堪忍袋の尾が切れ、いきなり噴射ってのが、私の現実的生活パターンだったりします。

さて、今日も朝から色々とありました。

まずは日本語の個人クラスにて。


”はい、これは何ですか〜?”

”◯◯です。”

”え?◯◯ですか?”

”えーっと、あ、◯△です。”


”そうです!◯△です!”


この生徒、飲み込みは早いのだが、なぜか何度やっても、ひらがなとカタカナを覚えきれずに、同じところでつまずくのだ。

同じ事を何度も何度も教えるのは、忍耐がいる。

けれど、所詮は人間なわけだし、得意もあれば、不得意もあるのは当たり前のことなので、日頃は軽くスルー。

しかし、今日は違いました。

彼女の間違いを訂正したところ、こう”言い訳”したのです。

”先生の字がわかりにくいから、間違えました。”

こういう時、狡いことが超嫌いな私はプツッときてしまいます。

そして、こうつぶやきます。


”あんたねぇ〜、人のこと非難する前に、ツとシとンの違い、早く覚えんかいっ!!?”

あ、もちろん胸の中でです。

生徒は大事なお客様。

ここは軽く流して、授業は終了。

そして、お金を徴収する段階になって、彼女はこう言いました。

”あ、今持ち合わせがないからまた次回。”


これは実は、メキシコでは珍しいことではありません。

例えば1000ペソの月謝を払うのに、今日は300ペソ、来週は60ペソ、再来週は120ペソ、と勝手に分割して「その時手元に在るお金」を払うのは、結構ざらにあります。(最初それを知った時は、私も驚いたけど。)


しかし、この日はちょっとむっとしました。

なぜならば、トナーを新調して1000ペソ(6000円くらい?)という、私にとっては巨額が消えたので、考えた結果、これからは、毎月コピー代を徴収することにして、その旨、事前に連絡していたからです。


ま、とはいえども、別に払ってくれない訳ではなし、またある時に払ってくれるでしょう、ということで、用事1終了。


さて、その次には、ビザの案件で、とある担当官に連絡をする。


このビザ、更新の手続きをして早や2ヶ月。

当初は25日で出来ると言われていたけど、まぁ、メキシコだから。


しかし、何回かの打診のあと、やっとおりたからというので、速攻で支払いに行き、じゃぁ、早く受け取りにと思っていると、いや、ちょっと待ってくれ、あといくらいくら必要だ。とまた新たな追加費用の要求。



え〜、何?そんな話し、聞いてなかったんだけど、と思えど、もちろんむこうは。以前に私に話したと豪語する。絶対に怪しい。しかも、そんなにお金 が欲しいなら、小出しに言わないで、一括して言えばいいものを、あとで取って付けたように言われてもねぇ。おまけに、またまた、支払いに行かなきゃ行けな いじゃないのっ!

ところが・・悪い事は重なるものです。


その支払い関連で出掛けた先で、一旦駐車した車を、係員が、あとからのこのこと見に来たかと思うと、”そこには止めないで。”というのだ。むっとしながらも、別の場所に止め直して、車から出ると、”そこもだめ”という。

なんだか一気にムカついてきて、”じゃぁ、どこに止めれば言い訳よ?”と聞けば、”あそこ。”と指差したのは、どうみても、絶対無理な極狭スペース。

じゃ、あなた誘導してよ、と嫌な予感がしつつも車を切っている間に、見事に擦ってしまいました。

しか〜も、私の車、ご存知の通り、相当オンボロで、しょっちゅう壊れているんです。

なんと、ちょっとしたその擦りで、いきなりうんともすんとも言わなくなっちゃったじゃないの!ぎゃ〜っ!!!

さて、ここまで来れば、私の怒りはすでに炸裂しています。

あまりにも激りすぎて、車の中に鍵を掛けたままロックしてしてしまうわ、その係員は、自分の仕事ぶりは棚に上げ、”そこじゃ困るから動かして”な んて、まだ言ってるし、そうこうするうちに、もう一人の係員もどこからか現れて、100ペソくれれば、中の鍵を取ってあげる、などと、人の不幸に便乗して 言ってくる始末。

だいたい、あんたの誘導が悪くて3回も車止め直して、おまけに擦って、その上、100ペソ寄越せだと〜?!ふざけんな〜っ!!!

ところが、SOSを送った相棒の反応は超冷たかった。

”今日はトラブルばかりだな。”と彼は不機嫌に言い、私が、状況を説明しようと起こったことを話していると、”そんなことはどうでもいいから、そ この前で待ってて。”と勝手に切り、しかも現れたかと思ったら、いつものごとく、急に人格を変え、その悪徳駐車場係員に向かい、笑顔で話しかけたかと思う と、仲良くその鍵を開けようとしているのである。

ここまで来れば、私の怒りは怒濤天をつく。

敵の袖を引っ張って、”ちょっと〜、絶対この人に100ペソあげないでよ。”と念押しするも、私の不機嫌に反応した彼は、”君、この場に及んで、 何言ってるんだ。皆、君を助けようとしてくれてるんじゃないか!”と、逆切れし出す始末。おまけに、悪徳2人組がむこうの陰でほくそ笑むのにも気付かず、 それどころか自分だけが、”感じがよくて気前のいいアメリカ人”を装うとするのである。

その上、”うるさいから、あっちにいってて。”と彼らの前で言われた私は、まるで悪者状態。なんか話しはあべこべで、ってか、こんなボロな車買ったの、どこの誰よ〜っ?!って話しで、もうあとは怒りと悲しみが交互に襲ってくるのを噛み締めるばかりである。


が、私は諦めなかった!

そう、私は昨今瞑想をしているのです。

昨今、ものごとをありのままに見る訓練を、日々肉体を通じて、練習しているのです。

一瞬ぐっときかかったものの、”ま、こっちもこっちでいらいらしているのね。”
と流すことにした。

しかし、それにしてもムカつくのは、その係員。

ドアが開かなかったので、100ペソは諦めたものの、駐車場代として、20ペソを要求してきたので、何もしてくれない相棒の間に割り込んで行って、”ここ擦ったの、あなたの先導が悪かったんだから、100ドル。”

とこちらもこちらで性悪な発言。

要は、20ペソばかりの小額といえども、狡賢い彼らに払いたくなくて、チャラにしてもらおうとしたのだ。

が、それを見た相棒は、愛想笑いを浮かべたまま、2人にお礼を言い、すっかり悪者化した私を車に押し込んだ。

こうなるとあとは泥沼試合である。

レッカーされる車の中で、私は改めて状況を説明しようとした。

”あのね〜、もう一度説明するけど・・”

”もう、その話しは聞きたくない!”

”でも、あの2人は、自分の仕事もまともにしなかった上に、お金まで請求したのよ!それなのに、なんで悪くもない私が、お金まで払わないといけないのっ?”

”いや、払ったのは僕だ。”

”だから!なんで、彼らの肩を持つのよ、私の肩を持たないでさ!!”

”そんなの、彼らに言ったって無駄だろう。第一、僕は超忙しいところ、君を助けに行った。それで充分だろう?”

”でも、だからといって、なんで私が悪者にならなきゃいけないわけよ?なんでせめて仲介してくれなかったの?”

”いや、あんな連中を相手にムキになる君が悪い。”

彼によれば、教育のない人々に教育的意見を発するのも、我々の仕事らしい。

けど、私に言わせりゃ、それって、超アメリカ人っぽいおせっかいな発想じゃない?と思うんだけど。

悪いけど、私は彼らの教育係ではないし、人を助ける前に、まずは自分や、その家族を守りません、普通??

そういうわけで、あとは、お互いの主張の押し付け合いである。

おまけに、先日のつぶやきでもつぶやかせて頂いた通り、一度言い出したら絶対に引かないのが、アメリカ人と日本女子(男子)の性質。

散々言い合って喧嘩別れしたあと、すっかりいじけ切った私は、気分転換をしようと、生徒に朝借りた、大手B語学学校の教科書を手に取って開き、次の瞬間、固まってしまった。
そこには、信じられないような時代設定の文章が並んでいたからである。

「あら、岡本の奥さん!しばらくですね。」

「まぁ、しばらく。中山さんの奥さん。お元気ですか?」

「ええ、御陰さまで。」

「毎日物価が上がって、大変ですねぇ。」

「そうですねぇ。お酒やビールまで。うちの主人はよく飲むんですよ。」

「うちのもです。大変ですねぇ。」

(中略)

今時、◯◯さんの奥さんとか、うちのも、とか言うかぁ〜?

これで、信じられないくらいに高い授業料を取って、行く人もたくさんいるのだから、世の中、全くどうかしてる!
なんだか・・世の中って、なんでこんなにデタラメなことばかりなの!?

・・と、ここまでこれば、あとはお決まりの「世捨て人になって山に籠りたい病」発生。

ま、しばらくしたら、嫌がおうでもまた引っ張りだされるんですけれど。

しか〜し、それにしても、途上国での生活は、良く言えばドラマチックで悪く言えば、信じられないことだらけ。

あぁ〜、せめて、自分の信じている常識を共感してくれる人が欲しい・・・

という訳で、この場を借り、ぶちまけさせて頂きました。

自分で選んどいて何か言える立場じゃないんだけれど、たまにこうやって、月に向かって遠吠えしたくなるのよね、という途上国の暮らしレポートでした。




.

2011年9月27日火曜日

マクドナルドとI love you


面白い光景を見た。

アメリカ人の父親が、娘に向かってこういう。

”Give me a kiss. Daddy got to go now! "(さぁ、こっちにきてキスしてくれ。パパはもう行かなくちゃ。)

娘は遊びに興じていて、なかなか彼の言う事を聞かない。

そして、パパは何度も同じ台詞を繰り返し、遂に彼女は遊びの手を止めて、彼のところに行き、キスをする。

" I love you, sweety" (愛してるよ、スイーティ) パパは満足げにそう言い残し、出て行った。




***



シンプルな例だけど、これほど彼ら、アメリカ人を表してる例はない。

彼らにとっては、これがごく普通のコミュニケーション法。

毎日誰かにキスをして、毎日誰かにI love youを言う文化。

私達の、”行ってきます。”とか”いただきます。”と言うのに近いのかもしれない。

恐らくそれは、愛情表現っていうより習慣なのだ。

言わないと(そして聞かないと)落ち着かないマントラなのだ。



日本人主婦が用意した食事を、ご主人が(あるいは子供達が)”頂きます”を言わずに、食べだしたらショックを受けるであろうように、朝起きて一番 に、自分のパートナーがキスもせず、出掛ける前に、I love youも言いあわなかったら、それは大きな問題へと繋がるに間違いない。



然るにアメリカ人と、それとは全く異なる文化を持つ日本人が一緒になると、 往々にして、ちぐはぐなことになりかねない。



"Honey, Give me a kiss. I got to go!" (おっと、そろそろ、行かなくっちゃ。)

"Oh, ok! Have a nice day" (あ、そう?いってらっしゃい。)


" Sweety, how come you never say i love you!?"(ねぇ君、どうして僕にキスもしなければ、愛してるって言ってくれないの?)

"Huh? Why i need to speak out that kind of things ? It's in here (Pointing the heart) and I always express that through the life, don't I?"

(え〜っ?!そんな大切なこと、軽々しく言える訳ないじゃない!愛は口じゃない、ここに(と胸を差す。)あるものです。私は、私自身のやり方で毎日それを示しているのに、あなたはそれじゃ足りないっていうの?!”

”xxxxxxxx!!!!!"



ー以下は長くなるので省略ー






彼らに取っての、Kissと I love youは、日々の生活の中に、必ず降り混まれていなければならないもので、それは日本人の私に取っては、往々にして表面的、あるいは嘘くさく感じられる。

けれど、私個人がどう思おうと、彼らに取って、KissとI love youは、生活必需品なのだ。

それは、マックのポテトやコカコーラと同じ。


どうしてコーラなしに、ハンバーガーとポテトを食せよう?

ポテト抜きで、ハンバーガーとコーラだけ食べた日には、物足りなさが残るのは請け合いだ。


だから、彼らは今日も言うだろう。



”Honey, I love you!"

"Oh, sweety, I love you, too. Have a great day! (Kiss♡)"



年々、自分の日本人っぽさが目覚めつつある今日この頃にあって、この文化の壁は、まだまだ消えそうにない。




付録:最近の私のモットー


1.男/女は黙って

2.男/女に二言なし

3.武士は食わねど高楊枝。



どこかで高倉健みたいな人見かけたら、教えて下さい。


by 昭和の申し子
.

くせ

                                     El Arbol, Yosemite, CA


元生徒から知り合いを通じ、”日本に奨学金留学する予定だから、プライベートレッスンをして欲しい。”と連絡があった。

そんなに出来が良いとは言えなかったし、他の生徒との折り合いが悪くてすぐに辞めてしまったので、訝しく思いながら、取りあえず、状況を確認しに出掛けたつもりが、結局、話しをしている間にレッスンにと相なった。

で、帰り際、”おいくらですか?”と聞く母親に、”今日はレベルチェックのつもりで来ましたので、結構です。”と、つい、日本人的な謙遜発言をしてしまったところ、”えっ?じゃあ、次回もタダにしてくれない!?”という鋭い突っ込みが・・!

長年海外にいるくせに、毎回、日本人的な受け答え(謙遜のしあい)を前提とした発言をしてしまい、勝手に裏切られ、勝手にストレス貯めまくるこちらもこちらだが、「取れるところからはなんでも取ってやろう」的、メキシコ人根性にもかなりカチンと来た。

ってか、娘の教育費、値切るな〜っ!!

という訳で・・帰って、ひとしきり気分を害したあとで、”いかん!これじゃいつものパターンじゃない!?”と思い直し、瞑想の教え(あるがままに見る)に従い、彼らの精神構造を、しばし内観したあと、その上を行く名案を考えついた。

曰く、「所々の理由により急遽授業料アップ」という、取って付けたような超メキシコ的言い訳メール。本当は超お得価格で出してたんだけど、急にバカバカしくなって正規料金に戻す事にしたのだ。


っと、これって内観ってより、目には目を?!

しかも、こうやって、図々しい事が恥ずかしげもなく出来だした辺りから、海外在住組は、少しずつ変わっていくのかも・・

いやいや、某B校なんか行った日にゃ、2倍以上の料金を取るんだから、ここはどっしりと構えて、待ってればいいのよ、という自分と、いやいや、日本人の美徳を失ってしまったら、終わりでしょう?という2つの中で揺れ動く、優柔不断かつ小心者中年女の姿、ここにあり。

試練はまだまだ続きます・・






.

2011年9月23日金曜日

今日の一枚



ウクライナに生まれてイスラエルに育ち、旦那さんの中国転勤を経て、現在はメキシコ住まいの私の友人。愛娘のリアちゃんと愛犬と一緒にいるところをパチリ。
ちなみにこの日は、お重箱入り日本食を共に楽しみました。











結婚の知らせを受けて、その友人を囲み祝う仲間達。さて、だれが花嫁でしょう〜?












プラヤデルカルメンに最近登場したプールバーにて。隣接するホテルの壁には、メキシコ名画が上映されています。




.

2011年9月22日木曜日

無題

                                                   Yosemite, CA






http://www.youtube.com/watch?v=NiG8neU4_bs&feature=player_embedded








ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

世の中にある人と、栖とまたかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、

世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。

或は去年焼けて、今年作れり。或は大家亡びて小家となる。

住む人もこれに同じ。

所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。

また知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。

残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。

                                                                                                         (方丈記)




.

2011年9月19日月曜日

遠足

週末だというのに、家に引きこもっていたくないので、一人で遠足に出掛けることにした。

出掛ける先は、もちろん海!

7月8月は暑すぎて、とても外出する気になれないけれど、9月も下旬に入って、風が少し涼しくなってきたので、意を決して出発。 

海以外にチョイスがないのが、ちとつらいところですが。あはは。

自転車に股がって、まずは、家から5分のフェリー乗り場まで行く。

 

ここから、イスラムヘーレス行きのフェリーが出ています。



 このイスラムヘーレス、一旦フェリーに乗れば約30分で付くという手軽さ。
もう少し運賃が安ければ、毎週でも行きたいところなんだがなぁ・・


チャリンコは、船体の後ろに。



航路から見える海の景色。


そして、やってきましたノースビーチ。

 


人もあまりいないし、しめしめ、いい時にやって来たものだ。


・・という訳で、一人海にプカプカと浮かんでは、合間にビールを飲み、約2時間ほど
過ごしたあとは、友人宅へ。

楽しいひとときを過ごしてリフレッシュできたのまでは良かったのですが・・

や、焼けすぎた〜!!

たった2時間だけだったから大丈夫だと油断したのがいけなかった。

チャリンコに乗っている時間を加算していなかったので、今日は肩が赤黒く焼けて、パンパンに貼っているという・・


また明日お出かけの予定なので、今日は日陰で涼しくしてようっと。

この夏、バカンスを過ごし損ねたそこのあなた、

11月くらいまでは人も少なく、気候も過ごしやすいので、是非お越し下さい。

12月に入ると、またツーリスタでビーチは賑わい始めますので、どうぞお早めにね。:)




 .

2011年9月15日木曜日

あなたのご職業は?

若い頃、自分の職業を説明するのに困った時期があった。

”お仕事なんですか?”と聞かれて、”銀行員です。”とか”教師です。”とか”魚屋です。”いうのは、わかってもらいやすいし、なんとなく信頼がおける。

けれど、世間に認められていない、発展途上中の物書きとか、アーティストとか、作曲家とか、発明者なんてのは、世間に対してなんて言えばいいんだろう?

「小説家見習い」とか「芸術家見習い」?そして、私が是非やってみたい仕事の一つ・・風呂屋の番頭なんてのは、カテゴリー的には何??サービス業?それとも、ホスピタリティ系?

おっと、しかし、風呂屋の番頭なんてのは、あまり愛想が良すぎたり、微に入り細に入りサービスされたら困る訳で、ある程度つっけんどんで、”それよりわたしゃ、このテレビ番組見るのに忙しいんだよ”くらいの素っ気なさがある人の方が、お客としては助かるので、 やっぱりここは、石けんやシャンプーや、入浴後の飲み物などを取り扱う「販売業」くらいにしとくのがいいのでしょうか?


ところで話しが逸れましたが、先日のクイズの答えを発表します。
まずはこの写真を見て下さい。


 クレーンが近づいて来て・・
 白い物体のうち、一つ目を運びます。
 宙に浮かんだ白い箱は・・



この足と合体して・・
こうなります。(見つめるのは、お掃除のおばさん)




中はこんな感じ。窓がたくさんついているのが特徴です。(暗くてわかりにくいけど・・)





なんとこの物体、この地域を時たま襲う、ハリケーンを観測するためのハビタット(小屋)なんですね〜。


ちなみにこのプロジェクト、とあるテレビ局から、ハリケーン撮影用に依頼されたもので、相棒が設計しました。(←ここ、重要ね。/本人談)


窓は、撮影カメラ用の為に各方向に作られています。足が長いのは水かさが増した時のためで、窓ガラスのガラスは、絶対に割れない、特殊な材質で出来ているそうな。地元の溶接工に頼んで作ってもらい、写真は、それをうちのスタジオの脇に、クレーンで納品しているところのものです。



しかし、世の中にはほんとに変な仕事があったものですよね。
「ハリケーン撮影用観測小屋設計士」だって。
なんじゃそりゃ?

しかもこのハビタット、引っ越し代だけで3万円也!


一体、こんなもの、嵩張るばかりで、最終的にはどうするわけ?と超現実的な私は思ってしまうのですが、納品の際、居合わせた地元の住人からは、”この家の一ヶ月の家賃は?”、”ハンモックはどこに掛けるのか?”(地元の人は未だ、これで寝る人も多い。)など素朴な疑問も上がったらしく、本人は周囲の脚光を浴びて、一人ご満悦。

そして、そんな変わり者の相棒を横目に、しばし無言の、私とお掃除おばさんなのでした。



.

2011年9月13日火曜日

今日のクイズ


さぁ、この白い物体は、これはいったい何でしょう?

答えはまた明日!






.


2011年9月11日日曜日

9.11

                           Sequoia tree, Yosemite/CA

敢えていつもと同じ一日で、やり過ごそうと思っている私のところに、相棒からこんなメッセージが届いた。

”もし時間があったら、9・11の罪なき犠牲者の為に、黙祷を捧げて欲しい。”

なんだか、猛烈にむっとしてしまった。

今年の3月に、日本は多くの人を津波で失った。

日本の津波だけではない。

ここ最近、毎年色んな国で起きている災害は、多くの犠牲者を出し続け、その一方で、人々はいつまでたっても争う事を辞めず、無数の人々が今日も命 を失っている。そして亡くなって悲しいのは、アメリカ人や日本人だけではない訳で、チリ人でも、インドネシア人でも、イラン人でも中国人でも同じで、不慮 の事故でなくなった人の命の大きさは、同じ。誰もが人の子であり、心があるわけで、何かの犠牲で亡くなってはいけないと思う。

悲しいニュースを聞くたびに、こうした惨事がなくなればいいのに、と心の中でどんなに願っても、それは片時としてなくならない。

人々が自らの無知に気付き、それを改めない限り、こうした事故は起こり続けるだろうし、起こったことを真摯に受け止め、きちんと対峙していかないと、問題の抜本的解決にならないどころか、事象は、反対方向に走り出してしまい兼ねない。

9.11以来、アメリカを始めとする空港ならびに国境の警備が、著しく厳しくなったのは、皆さんもよくご存知のことだと思う。

私は、このことが腑に落ちないのだ。

我々が向かうべき敵は、テロリストなのか?
一般人の中に紛れて、我々を震撼させようとする、イスラム原理主義者なのだろうか?

いいや、違う。

我々が向かうべき敵は、我々自身の無知に他ならない。

本当の事実を突き止めることなく、ただ単に、他者や多人種に対して警戒心を強め、特定の宗教に対して間違った見識を持つのは、浅はかかつ、非常に危険な行為だと思う。

ここ数年、アメリカを訪れる機会が増えた訳だが、人やシステムが昔に比べて随分様変わりしてしまっている風潮を見るにつけ、なんとも言えない気持ちになってしまうのは残念なことであり、今日のこの日を、敢えて、彼ら自身に考えて欲しい気持ちで一杯になるのだ。

黙祷を捧げるのは、何も今日だけに限ったことではない。

毎日が誰かの命日であり、平和の日であっても良いはずだ。

日々、静かに目を閉じて、自分を、他者を、世界の平和を祈る時間を持つようになれば、人々はもう少し思慮深くなれるのかもしれない。


.

2011年9月10日土曜日

当たり前

                                         Tracy y sus helmanito


メキシコに住んで3年半。


それは突如としてうちにやってきた。

使い古しの白ソファ。


クッションには、ボールペンで落書きがしてある。





アメリカから戻って来て1週間。

慣れっこにはなってるけど、今回も、まぁ色々とありました。

まずは水が出ずシャワーが使えない、料理が出来ない。トイレが不自由。

ネットは繋がらなかったけど、自力で1日後に復活させた。

電子レンジは、いない間に壊れ、車に乗れば、エアコンが突如として壊れ、車内は気温40度以上の猛暑にて、首からタオルを下げ、汗を吹き吹き移動する。


ほんとに色んな不便が起きる、この国では。


けれど、普段当然のように思っていることが、当然ではないことを知り、次第に開き直って待てるように慣れれば、風はこちらに吹いて来る。

ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなり、一つ一つのモノが、意味を持った、大切なものとなって浮かび上がってくる。




まず水は、いつも通り、石灰分がパイプを詰まらせてしまっているので、今回は配管工のおじさんにお掃除してもらう。1週間掛けて、再び開通。これで、タライ湯からは無事解放!

ネットは、何日も待ってられないから、根性と気合いと念力で直す。
そう、出来ないとか、わからないとか言っているバアイではないのだ。

電子レンジは7年ものだけど、まだまだ使えそうだから、捨てずに近くのガラクタやのおじさんのところに運び、車のエアコンは、配線の不具合を、整備の人の横に立って、逐一観察する。

なんでも自分でやるのが一番!

そして出来ないことは、笑いに変えて、やり過ごすことが出来たら、もうあなたは立派な南国人。(笑)




そんな暮らしぶりだからこそ、今回の白ソファーの登場は、私達を軽く萎縮させてしまう。

たかが、ソファごときで、なんて笑わないで下さいね。

自分だって、価値観がここまで変わろうとは、思いも寄らなかったもの。


そして、なんだかこそばゆくて、それを横目に、いつもの食卓で作業をしてしまう私。


 さぁ、秋の夜長、あそこに座って何をするか。
3匹の猫達と、相談しなくちゃね。
 





.

2011年9月8日木曜日

欲張りな猿は・・



早いもので、もう9月も中旬に差し掛かろうとしている。

カリフォルニアの山から降りてきて、もう1週間も経つのに、未だ調子が戻らないので、自分で自分に喝を入れることにした。

まずは、近くの大学付属校Dにメールする。

”ハロー、こちらはKyoko!昨日、アメリカから戻ってきました。ところで、開講予定だった日本語のクラスは、結局オープンしなかったのかしら?もしそうだとしたら、申し込みをしていた生徒に、念のため、私の連絡先を教えて貰えませんか?彼らの勉強の機会を失ってはかわいそうだから。そちらのコースは、また生徒が揃った時に連絡下さい。”

9月に開講したいといって連絡してきたものの、その後何の音沙汰もないので、とっくに諦めてはいたが、それでも何人かからの申し込みはあったと聞いていたので、その子たちをプライベートで教えられないかと、連絡してみたのだ。

そんな虫の良い話はないだろう、と端から高をくくっていたにも関わらず、Dからの返答は、意に反してこのようなものだった。

”オッケー、君の連絡先は彼らに伝えておくよ。ところで、今、英語のクラスのポジションが開いているんだ。◯曜から△曜の◯時から△時まで。時給は××ペソ。うちの学校のシステムを学ぶのにもいいし、どうだろう?来週から始まるので、もし興味があったら折り返し連絡下さい。”



一瞬のことに思わず目が点となる私。



英語・・・??

私が英語を教えても・・いい訳・・?!



日本語を教える前にも、かなりの躊躇があったというのに、今度は英語ってか?!

あの時も相当の迷いがあったが、結局最終的な決め手はこうだった。


”ま、いいか!ここは日本じゃないし。誰が見張っている訳でもないし。”

いい加減でいてもいいのが、ここ、外国に住む者の特権である。

かくして、自分のスペイン語と日本語の知識と格闘しながら、ここまでくること1年半。
失敗に寛容で、いつも朗らかで居てくれる生徒たちよ、ありがとう!

やってみれば、小さな問題こそあれ、実際は思ったよりも楽しく、実は自分はこの仕事に向いているんじゃないかとさえ思ってしまいそうな今日この頃。そこに、今度は英語クラスのチャンスまでもが到来か?!

現金かつ単純な私の頭の中には、すぐに邪(よこしま)な考えが過る。


『英語、日本語、両方教えます。地元日本語学校ならびに大学付属校での経験あり。楽しいKyoko先生のクラスへようこそ!』

う〜ん、いいねぇ〜!この際、やっちゃう!?

が、問題は時間帯だ。

クラスは夜なので、もし撮影の仕事が入れば何かと足かせになる。

そこで、ここは念のため、相棒の意見も参考に聞くことにする。

”あ〜、もしもし?ちょっと相談があるんだけど。これから行くから。”

ジャングルの撮影から帰還したばかりの熊公、もとい相棒を捕まえて、話を切り出す。


”実はね、例の学校の新規コースの件なんだけど、日本語コースは結局開講しなくて、代わりに英語のコースのポジションが回ってきたんだけどさ。どう思う!?”

”は?”

”だから〜、英語のクラスを教えないかって言って来た訳よ〜。どうよっ!?週4日もあるわよ。”

”駄目でしょ。”

”は?”

”駄目でしょ。”

”は?”

”駄目だって言ったの!”

”なぁんでよぉ〜!?”


駄目だと言われるとムキになってしまうのが、私の悪い癖である。


**


相棒によると、私が英語を教えるなんて、問題外であるとのこと。
ま、もちろんそんなこと、始めからわかっていましたけどね。でも、頭からそう否定的に言われると 、反抗したくなるのが、人の心というもの。
いくら、ビギナーだから大丈夫じゃない?とか、日本では留学経験もないような人が子供に英語を教えている、と言っても、取りつく島もない。

一応ネイティブとして生まれ、書く仕事もしていた人間からしてみれば、妙な中国語なまりに、お世辞にもうまいと言えない英語で喋っている私が、彼らの言語の教鞭を取るなんて、許しがたいことに違いない。

ま、かたことの日本語の外国人が、別の外国人に日本語教えてるのと同じだもんね。それは分かるけど。



”それにね。”と彼は続く。

”さっきさぁ、君、何て言ったと思う?Greedy Monkeys fall the Foods(欲張りな猿は食べ物をも落とす)って言ったんだよ。君、どうするの?生徒が別の場所に行って、『英語の先生にこう習いました。Greedy Monkeys fall the Foods!』って言われたら。一体どういう英語習ってんのってことになるよ。マジで。”

ははは。確かに言いましたとも。

いや、あまりにも彼が強欲なことばかりいうので、『猿も木から落ちる』(Even monkeys fall from the trees)を文字ってそういったのだが、私以上に狡賢な彼は、すぐに私のインチキ諺を見破ったのであった。

自分的には、ものすごく良く出来た一句だったんだけどなあ・・。

英語教えながらも、たまーに漢字の由来なんかを織り交え、緩〜く生徒たちの興味を、日本語にスイッチできないかと、密かに考えていたのは確かですけどね。(暴)

しかし、相棒に言わせると、その学校はお金持ちのご子息が来る学校で、英語をきちんと学習して将来に役立てないといけないからして、そんなことには絶対ならないらしい。

ま、諺通り、欲張りな考えでいると、手の中にある食べ物さえ落とし兼ねないので、ここは気長に構え、現存クラスの新カリキュラムでも考えることにしましょうか!


"Sleep and wait for good luck"(果報は寝て待て)



.

2011年9月7日水曜日

山から降りてきました

                                                   Yosemite, CA


皆さん、ご無沙汰してます。お元気でしょうか?
3週間ほど、カリフォルニアの山に籠ってましたが、この度、無事戻ってきました。

行った先は、サンフランシスコとL.Aの丁度中間地点にあり、ヨセミテ公園から約1時間のところにある、North Forksという場所。

今回で2度目になりますが、ヴィパッサナ瞑想コースに参加してきました。

ヴィパッサナについてはこちら。http://www.jp.dhamma.org/index.php?id=1165&L=12

 一概に、瞑想といっても色んな種類があり、また、私の場合は、瞑想と宗教を長年混同していたというお粗末ぶり。

なので、あまり参考にはならないかもしれませんが、一つだけ言えるのは、その手段はどうであれ、”自分と向き合う時間を持つ”ことは、非常に大切なことだ実感したことです。

もちろん一度瞑想したくらいで、自分の中で何かがぐんと変わった訳ではないけれど、ものごとを客観的に見つめる訓練をすることにより、感情に振り回される機会が減ったことは、自分に取っての財産だと思ってます。


帰り際、長年の夢だったヨセミテ公園にも寄る事ができ、”Happily Broke"(幸せに破産)して帰って来た訳ですが、コースを通じて新しい友達もたくさんでき、メキシコの宣伝もちゃっかりして来ましたので、次回は、彼らが遊びにきてくれることを楽しみに待つばかりです。

健康な心と大切に思える友人が居る限り、私達は 案外どこにいても、幸せに暮らしていけるのかもしれませんね。

取り急ぎ、ご報告まで。