2012年9月8日土曜日

200ペソの重み・続

                                              La Empleada del Hotel




南国を旅した人なら、わかると思うけど、彼らの仕事ぶりは、往々にして遅い。


計算も、電話の対応も、ビニール袋に商品を詰める手も、郵便局の対応も、どこに行けども、延々と待たされる。


それから手際も悪い。
日本人の我々がやれば10秒で済むようなことでも、彼らの手に掛かれば、どうやったら、そんな風に出来るのか、というくらいに、要領を得なかったりする。


前のホテルで働いていた時に、絶世の美女がいて、その美貌、その魅惑的な笑顔に、スタッフ、お客ともども、魅了されていた。

性格も良い子で、それは充分にわかっているのだが、彼女に仕事を頼むと、そのあまりにも”出来ないぶり”に、ちょっとしたショックを受ける。

入った当時は、他のスタッフが超スピードで働いている時も、彼女だけは、ただニコニコと座っているだけで、一体どういうことなのだろうと不思議に思ってはいたが、最終的には、悟らずを得なくなった。


頼めば後々、こちらの仕事が増えるだけなので、それなら最初から、何も頼まずに、機嫌良く、お客さんとの窓口でいてもらった方が、お互いの為に良いのである。


そう。誰がなんと言おうと、彼女には、美貌と笑顔という「武器」がある。


そこに座って微笑んでいるだけで、通りかかる人々は癒され、また気分を良くし、彼女に笑い掛けられただけで、お客は何か特別なサービスを受けた気になるのである。


泥臭い作業や、細かい裏方の仕事は、我々、「ガテン系」がこなした方が、早くてスムーズだ。


お互いにないものを、求め合ったところで、それは時間の無駄というものであり、それぞれが、持っているものを、十二分に発揮さえすれば、それで良しとするのが、一番の解決策だと思うようになったのも、ここにたどり着くまでに、色んな葛藤があったからだ。




それはさておき、日本から来られるお客さんから、”スタッフの皆さんの笑顔が素敵で、本当に癒されました。”というコメントを頂くことがある。

それはうれしい限りではあるけれど、同時に思う。


彼らの笑顔の対価に対して、その方々は、何かを返したかのだろうか、と。


彼らは、我々がそれをどう評価しようとも、持っているありったけの資産を、日々、皆さんの前に惜しみなく差し出しているのであり、それは、善意とかそういうこととは、全く異なる種のもの--日々、生き延びるための、サバイバル・ウェポン--なのだ。


彼らには、往々にして、長期的なビジョンがない。

というか、長期的なビジョンを立てるのに、十分な収入が、約束されていない。

それから寿命も、先進国のそれに比べて短い。

人が簡単に殺されたり、死んだりするのが、貧民国の現実である。

職場で誰かが病気になると、その為の募金が回ってくるのも、いざという時に、頼れるだけの蓄えが、彼らにはないからである。

そんなの、日頃貯めておけばいいじゃない、と言ったって無理である。

なぜなら、これこそが、「文化の差」であり、子だくさんで、子煩悩、親孝行な彼らが、家族に日々食べさせて、学校に行かせてたあとに、残るお金なんて、たかが知れているのは歴然の事実だからだ。


そういう訳で、彼らは、厳しい条件の元、本当に良く働く。

文句なんて言っている暇などない。仕事があるだけ、ラッキーなのだ。


だから、例え給料がどんなに薄給であっても、割が合わなくても、ご褒美のチップを頼りに、今日も、明日もひたすら頑張り続けるのである。


彼らの笑顔を見て、幸せそうですね、とコメントされる方もいる。


そう、彼らはある意味幸せだと思う。


身の丈以上の欲望を頭から持たない、という、シンプルさの部分では。

彼らは、私たちより、よっぽど現実的な世界に根ざして生きている。



だから、汚れたお皿を下げ、シーツを洗い、バスタブを掃除し、窓をピカピカにし、重い荷物を運び、床に落とされたコップを瞬く間に拾い、救急箱を持って走る。
言われれば、薬だって、花束だって買いに走る。


もちろん、皆さんはお客さんとしていらっしゃるのであるから、パンフレットのイメージ通り、”ロマンティックジャーニー”や、”カリブの宝石”の世界を多いに堪能して頂きたい。


けれど、その表面的な部分だけを見て、”チップって要らないんですよね?”と、真顔で質問されると、間に立つ私は、困ってしまう。


なぜなら、チップが要らないと書かれてあるのは、ホテルの経営者(富裕層)が、便宜上謳っていることであり、実際、植民地を長い間支配する立場であった白人国の人たちが、事情をわきまえていた上で、彼らにチップを渡し、有り難がられていることを知っているからだ。


我々日本人は、ほぼ単一民族の国で、人を支配することにも慣れてなければ、ごく自然に、チップを渡す、という行為には慣れていない。すべてが横並びで階級さえない。

だから、あげたくないということではなく、良くわからなくて、面倒くさいというのが、正直なところだろうと思う。


しかし、別に不自然でも、タイミングが悪くても、そんなこと、どうだって良いのだ。

それが、感謝の気持ちを表わす行為であり続ける限り。

暑い中、ご苦労さま、というねぎらいの心の現れである限り。




楽園での休暇は楽しい。

けれど、その楽園は、その後ろで汗水垂らして働き、私たちが楽しく過ごせるよう、いつも気を配って、見てくれている人がいるからだ。


そんな彼らも、私たちと同じ人間で、プールサイドで我々が憩う姿を見ながら、一生行く事もない日本に、淡い思いを馳せているのだ。

きっと、素敵なところなんだろうなぁ、と夢に描きつつ。



自分の持っているものの中から、ほんの少しだけ、何かを人に差し出す勇気を出すことが出来た時、私たちの旅、そして人生は、より深い味わいを伴って、甘くてほろ苦い、思い出となるのかもしれない。

そしてそれは、いつまでも、あなたの胸に輝き続けるだろう。

この、青く広がるカリブの海の瞬きように。

果てしなく、そして永遠に。




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