Cosas que no existe en México |
”あれは何ですか?”
自宅で授業を行っている時のこと、生徒がそういって、指を指した。
その指差れた方を見て、面食らったのはこちら。
なんと、彼女が指差していたのは、炊飯器だったからだ。
”え?炊飯器のことですか?見たことありませんか?”と言う私に、
”あぁ〜、あれがそうですか!”
と納得する生徒。
そうか、例え日本語を勉強していたところで、日本に行ったことがあるわけではないんだものなぁ・・
やけに感心して、それから話しは、日本の米文化に移行した。
お米が日本人に取って、どんなに貴重なものか。
それぞれの名称に違った名前がついていて、一粒の米にさえも7人の神様がいると言い、無駄にしなかったお年寄り世代。
ついこの前まで、日本人のほとんどは百姓であったが、(サムライを日本人の先祖と思っている人も多いが、これはほんの一部の話し。)その百姓に取っても、米は日々の生活の中では貴重品であり、それよりも、ヒエやアワ、戦後の食糧難の時代には、サツマイモや芋を主食としていたこと、不作の年には、その冬が超せないことを見越した一家の長老を、山に捨てにいく伝説をもとにした有名な映画さえ残っている、など話すと、彼女は突如として涙ぐみだした。
果たして、他の子供と同様、彼女も日本に対し、裕福なイメージしか持っていなかったのだろうと思う。
気候は、人の精神性に大きな影響を与える。
つまり、貯蓄という概念は、寒い気候の元に生まれた北半球の人々にのみ備わったDNAであり、毎日太陽が燦々と照り、お腹がすけば、バナナやココナツを捥いで食べる暖かい国の人には不要の産物で、切迫感も、時間の厳守もそこには育ちにくい。
当たり前のようだけど、太陽の存在はそれほどに大きく、暖かい国々では、食べ物もすぐ育つから、人はのんびりとしていられる。
メキシコ人に生まれて良かったね、というと、彼女は、神妙な顔をしたまま帰って行った。
経済的側面から見れば、日本言学習者は、今後、中国語やロシア語学習者に取って代わると思われる。現にここ、メキシコでも、最近は日本語に代わり、マンダリンが密かなブームだ。
しかし、だからといって、今後日本語愛好者が激減するとは思えない。
日本文化を愛する人はまだまだいるし、なんといっても根強いのは、昨今のアニメファンだ。
特にここ、メキシコでのコスプレ熱は、かなり高いし、定期的に各地で行われているアニメのコンベンションでは、やれポッキーだの、おもちゃの刀だの、コスプレ用衣装やアクセサリーなどが飛ぶように売れている。
けれどその光景を見ながら、私は心中複雑でもある。
たしかにアニメも、いいんだけれど、できれば、そこに終わらず、もっと違う側面も見て欲しいんだけどなぁ・・。
大量生産で出回っている、安っぽい石油製品に飛びつく前に、日本が古来持っている、誇れる美は、他にも五万とあるのだから。
話しは飛ぶけれど、先日、他動詞と自動詞の使い分けについて予習するうちに、 日本語の言葉の奥深さを代表する面白い例に行き当たった。
例)1.来年、結婚することになりました。
2.来年、結婚することにしました。
恐らく、今でも殆どの人は1番の言い方をするだろう。自分で決めたにも関わらず、人が決めたような言い方をすることで、婉曲的に謙虚に伝えることを 好む傾向があるのが日本人の精神性なのだ。
1.お借りした傘を壊してしまいました。すみません。
2.お借りした傘が壊れてしまいました。すみません。
こちらも1番の言い方をする人が多いのでは?
仮に自分が壊したのではなくても、このように表現する事で、自分が責任を感じているという誠意を表している。
海外ではというと、これは殆ど逆転するだろう。
自分が壊したなんていった日には、責任を取らないといけないから、絶対に壊したとは言わずに”壊れた”という。
ごめんなさいなんて口が裂けても言ってはいけない。植民地の、もしくは戦いの歴史の長い他国の風習。
それと比較して、周りを海に囲まれ、敵に攻められることも侵略される危険性もない恵まれた環境のもと育まれた風習が、なんとおっとりとして、性善説的思考であることか。
礼節を重んじ、遠慮がちにして、恥を知り、奥ゆかしいことを良しとするのが、日本人の良いところであり、この特殊な精神構造を持った私達が、それとは全く異なる文化価値を持った土地に交わった時、日々起こる矛盾とどう立ち向かうべきなのか。
いや、他の外国人のように振る舞えと言ったところで、所詮それは不可能であり、またそうなる必要性もないと思う。
なぜならば、それが私達の心意気であり、誇りでもあるのだから。
だから私は凝りもせず、今日も黒板にこう書く。
「負けるが勝ち」
”いいですか〜、勝つことが、必ずしも勝ちではないんです。負けて勝つこともあるんですよ〜。わかりますかぁ?”
はてさて、子供達の胸までどこまで響いたことか・・
日本の文化は、どこまでも奥が深いのである。
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