2013年3月11日月曜日

視る





知人に、世界中を旅して回る女性がいる。


日本を離れ10数年、行く先行く先で仕事を見つけては、旅を続ける彼女。
”板の上でも熟睡できる”、と豪語するも、”どうして日本に戻らないの?”という私の質問に、応えて一言。



”なまるから。”



物が豊富で、何一つ不自由を感じる必要のない母国。
帰る故郷のある有り難さ。


アフリカだけでも、単独で3周した彼女には、その有り難みが、人一倍感じられるのだと思う。

まるで修行僧だな、とその時感じたことを、今でも覚えている。



果たしてレベルこそ異なれど、私も同じような理由で、ここに留まっている。


基本的インフラの欠如に加え、欲しいものが簡単に手に入らない。
治安に、労働条件の問題。


働き者は日本人だけじゃないんだと、国を出て、はじめて気がついた。


日本に居た頃、自分が普通に享受していた、週二日の休み、有給(もし勇気を出せば)、労災に組合や保険など、後進国の企業にはあり得ない。


仕事中に胆石の激痛に倒れた同僚は、悪評高き、公立病院に担ぎ込まれ、3回に渡り、縦横斜めにメスを入れられた。



他に選択の余地がないのだ。



私達、先進諸国民のように、”恐ろしいから、プライベートの病院に行きましょう。”とは、言えないのだ、労働階級の彼らには。


表向き華やかなホテルの裏側では、ボールペン1本与えられず、長時間労働は当たり前、強制的に持たされた備品が壊れて弁償し、手違いで予約したツアー代を自腹で払い、それでも、他の職場よりはずっといい給料と待遇で、働く人々がいる。



今日も明日も、ただ黙々と。


そして、恐るべき事に、こんな悪しき条件の基で働くために、毎日遠方から、大勢の人が、夢を求めてやって来るのだ、この町へ。


そんな彼らの姿を見ながら、終わりのない戦いに挑む彼らの心境たるや、如何なるものかと思いを馳せる。



そして、理不尽と、不自由と、重圧の中、私達より、更に厳しい条件で生きる人が、この世の中には、圧倒的に多いという事実にも。



なまってはいけないと思う。


どこにいても、何をしていても、自分なりの方法で、常に目を見張り、世の中で、何が起きているか、見つめなければならないと思う。



厳しい目で、そして愛情を持って。


時間が許すなら、旅に出て(それが隣町でも)、自分がどんなに恵まれた環境に生きているか、是非、見つめ直して欲しい。特に子供達の世代には。



不自由さが、真に生きるということが、どういうことか、少しでも体験する機会を持てたなら、見えてくる世界が、異なってくるのかもしれない。






3月11日・日本人に取って、特別な日に寄せて。








追伸:昨日、食堂のテレビでは、2年前の映像が、ドキュメンタリーとして流れていました。同僚には、数々のお悔やみの言葉を受け取りましたので、皆さんにもお伝えしたいと思います。




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