2013年1月21日月曜日

ある夜の出来事





                                 Michael, desde Frankfurt





知り合いがヒッピー村でコンサートをするというので、仕事が終わって速攻で駆けつけることにした。


村の入り口のところに差し掛かった時、ヒッチハイクをしている若い白人女性がいたので、車を止めてドアを開けると、乗り込んできたのは、ドイツ人女性であった。


ドイツも色々あるけど、聞けば旧東ドイツの人らしい。


”ベルリンの壁が崩壊した時のこと覚えてる?”と聞いたら、”覚えてる。とても悲しかった。”との回答。



おぉ、年がそんなに若くないらしい。うっかりドイツ人だと思って、前にも同じ質問をしたことがあるけれど、立派な成人に見える若者でさえ、”まだ物心付いてなかったから覚えてない。”なんていう答えが結構返ってきたりする。


自分は若いつもりでも、世代はいつのまにか交代しているのだ。



何しろ、当時のことを覚えているという貴重な人物に会えたので、うれしくて、色々と質問してみると、壁が崩壊して統一化した後、仕事を失う人がたくさんできて、今日に至るまで、色々と大変だったという。


おまけに、”昔の方が良かった。社会主義に取って代わった資本主義は、人々から多くのものを奪った。”とさえ言う。


てっきり統合されて、自由に物も手に入るようになり、皆、喜んでいるのかと思いきや、そうではない、というのが彼女の説。


曰く、旧時代は、物はそんなになかったけれど、当時の人々は日々楽しく、というのも、物がない分、コミュニケーションがより密接だった、というのだ。


”今では皆、見かけは立派な家に住むようになったけど、作り方が隔離されているから、周りとコミュニケーションを取らなくなったでしょう?それが真の豊かさとは、とても言えないわよね。”と彼女。



これには、ある意味衝撃を受け、ある意味納得もした。


というのも、以前にバックパックで訪れた、軍事政権下のミャンマーで、数々の規制や、思想の抑圧、他国との実質的な国交遮断や、アウンサン・スー・チー女史の長年に置ける軟禁など、悪いイメージしかなかったこの国に、一歩足を踏み入れてみれば、物や情報の氾濫がない故の、ある意味健康で爽やかな人々・・私達が遠い昔になくしてしまった何か・・を持った美しい彼らを目の当たりにしたからである。


もちろん、だからといって、言論の自由もない国の在り方に、賛同する訳ではない。


しかし、単純に反対も出来ない何かが、あの国にはあった。その複雑な胸の内を思い出したのである。



ちなみに、旅の途中である彼女が今滞在する、ヒッピー村のテント集落は、気に入ってる様子だ。


コミュニティのメンバーも、多すぎず、少なすぎず、ちょうど良い規模らしい。

エコビレッジを、理想の住居としたいと言うので、それだったら、同じヨーロッパ圏の、フィンドホーンという、その世界では有名なビレッジが良いのではと推奨してみたが、”あそこは大きすぎて派閥同士の揉め事が多すぎるから駄目。”と言う。


当たり前といえば当たり前だけど、まぁ、どこの世界に行っても、一筋縄ではいかないということらしい。


もしご興味がある方は、こちらが、「質の良い」エコビレッジだそうです。ご参考まで。



http://gen.ecovillage.org/




さて、コンサートそのものは、普段は聴く機会のない、エジプシャンハープや、大好きなシタールなどを聞くチャンスでもあったので、楽しかったけど、一つだけ躊躇したのが、最後に皆で立ち上がって踊るという場面。


私は、基本的に一人でいることが好きで、集団で、何か同じ事をしたりというのが、得意ではなのだ。


まぁ、もちろん、世の中そんなことばかりを行っていては生きていけない訳で、今のところは、普通に仕事して、生活している訳だけど、周期的に襲ってくる、「嫌で嫌でしょうががない病」や、「絶望感に打ちのめされる病」に掛かる度、”いや、私には、まだ続きがある。将来はエコビレッジに行って仲間に入れてもらい、心清らかに生きよう!”と自分に誓う私だが、ヒッピーブラザーズ特有の、優しい微笑みを称えるどころか、老眼進行による薮睨みで、目つきが著しく悪く、かつ、人と同じことが出来ない私を受け入れてくれるビレッジが、果たして存在するのだろうかと、昨夜蚊の襲撃にあった足をポリポリと掻きながら、ネットの繋がる快適な空間で、ぼんやりと考える、朝のひとときであった。





-終-


.

0 件のコメント:

コメントを投稿