Naked Woman (L.A) |
時差ぼけで眠れないままに、布団の中で寝返りを打っている最中、ふと、ある重大な事実に気が付いたので、早速起き出してパソコンに向かってます。
あのね、私思うんですけど、みんな、なんのかんの言いながら、自分の欲しかったもの、手に入れてません?って話。
例えば、私の地元の友達。
結婚して、優しい旦那がいて、可愛い子宝に恵まれている。
この子は、ずっとこのまま独身かなぁ~と思って(期待して)た友人さえ、念願のパートナーを見つけ、最後のダッシュとばかりに、それは滅茶苦茶可愛い一児の母となった。
うーん、やれば人間できるものだ。(そして、今ではその当時の悩みなどすっかり忘れて、高齢の母であることを嘆く彼女。嗚呼!)
例えば、このブログを読んでくれている私の友人。
彼女も、同じ。
ずーっとこのまま独身かなぁ、いや、いい女なんだけどなぁと思っていたら、とある男性と運命の出会いをして、あっと言う間に結婚に至った。
ま、これは良く聞く話だけど。
でも、私が驚いたのは、彼女が独身時代に、”私は自分が、将来ハワイに住んで、その家のバルコニーに座って、寛いでいるのが見えるんだよね~。”
と言っていたら、結婚後、山岳地帯に住んでいた彼をどうやって説き伏せたのか、気が付いた時には、ハワイに移り住んでいたのだから、これには本当におったまげた。
なぜなら、そのハワイ発言をした時は、私も彼女も、相手を見つけるどころか、ハワイのハの字も関係のない日々を送っていたからだ。
更に。
今回の帰国時に、私はそれぞれの夢を実現させた、色々な友人との再会(あるいは出会い)を果たした。
ヨガの道を邁進する、まさにヨガをする為に生まれてきたような友人。
賢い妻、そして母へとなり、3人の美しい子供達に囲まれて幸せな人生を送る友人。(私の中で、彼女は霧島洋子である。)
洋服とハワイが大好きで、最初は細々と、そして遂にはお店を造って、人々に素敵な空間とセンス溢れるモノを提供するお友達。
子供が大好きで、その道をもっと極めたい、とうれしそうに話してくれる、優しさと笑顔に満ちた友人。
海外でのビジネスに興味があり、ほかのことはさておき、その道で独り立ちしたわが兄弟。
頑として誰の手も借りず、最後の最後まで母を看取った親父。
日本の経済立て直しのために、持てる力を捧げたいと願い、日々寝る間も惜しみ、身を粉にして働く頑張り屋の彼女。
環境問題に強い関心を抱き、今日も、その優しい語り口で私たちに、色々なことをシェアし、語りかけてくれる、そこのあなた。
病気の体験を惜しみ隠さず話してくれ、さらには、その体験をバネに、一回りも二回りも魂の成長を遂げた(私にはちょっと眩しい)妹分。
”私は、こんな田舎に住むのは嫌。絶対に将来は東京に行って、可愛い年下の男の子と結婚するの。”と言って、その夢をそのまま実現させた同級生。
ダンスが好きで好きで、気が付いたら、自らがインストラクターとなり、その生徒達が、輝かしい功績を出すまでになった友人。
そして、日本の優に2倍はありそうな、高い天井に光の差し込む、ロフトと暖炉付きのゴージャスなマンションに住み、ビバリーヒルズでヘアメイクとして活躍する、L.Aの友人。(彼女は20数年前、私と一緒に訪れた時、この土地に恋して、それ以来、ここの住人となった。)
真っ赤な新車を乗りこなす彼女は、以前にも増して女に磨きがかかり、この、L.Aという土地がぴったりなクールビューティである。
そう、みんな、かつて願っていたことを実現しているってこと。
これってマジですごい。
願えば叶うっていうけれど、実は、みんなとっくに自分の夢を叶えているのだ。
・・と、ここまでかいて、はて、と思ったことがある。
自分はどうだろう?
私は、夢に思い描いた通りの人生に、なっているんだろうか?
だいたい、私の夢ってなんだったっけ??
すっかり目も冴えて、布団の中で思いを巡らすことしばし。
あっ、そういえば・・
あれは、5年前。
まだ、私が人生に迷い、今にもまして、その辺を徘徊していた頃のことである。
バリで宿を営む、仲良しの(とこっちは勝手に思っている)友達のところを訪ね、彼を相手に、私はあーでもない、こーでもない話しをした。
ちなみに、その彼は、非常に頭が良くて、洞察力にすぐれた人物である。
”やりたいことも定まらず、悩み多き人生なんだよね~。”とため息をつく私に彼は、こう、ボソッと言ってのけたのだ。
”あっちでもない~、こっちでもない~と旅しながら、ずーっと彷徨い続けている人生だったりして。はは。”
こ、これだ~っ!!!
まさに、これではないか、私の人生のテーマ。
「ザ・優柔不断:あっちいきこっち彷徨い、色んな人と話しながら、その場所大いに満喫人生」
今回もそうだったが、地元に戻れば、”あ~、いいなぁ、地元にずっといる子は。私も普通に結婚して子供生んでってのも良かったなぁ”と思い、東京に行ったら行ったで、”うーん、やはり、都会のこの風もなかなか。”と一人浸り、飛行機が離陸した後になって、”うわ~、やっぱり日本に戻ったついでに、バリ、行っとけば良かったかなぁ・・”としばし後悔し、”いやまてよ、やはりここは、メキシコに一度戻って稼ぎ直して、経済的に自立を果たしてからにしよう。”と考え直す。
L.Aに着いたら着いたで、この、素晴らしいまでに爽やかな気候と、環境の良さと美しい町並みに心を躍らせ、”やっぱ、メキシコなんてやめて、どこかでナニーの仕事でもした方が、効率がいいんじゃない?”と地元の情報誌を手に取り、その端では、”いやいや、早くインドのヨガアシュラムへ””いやいや、NYのカード行商がまず先だ。”と、私の妄想は留まるところを知らない。
実際、これまでも私は、けっこうな場所を、けっこうな時間を掛けて彷徨ってきた訳で、要は、少しずつ、色んな場所へ移動を繰り返しながら、その場で出来る事--出会いや再会をその時目いっぱい謳歌--できれば(人はどう思おうと)結構幸せなのかも。そして、最もラッキーなことには、私には、行く先行く先で、馬鹿話に相槌を打ってくれる人が必ず居る。
これ以上、何を望もうと言おう?
この際、迷いは捨て、このままこのウロウロ街道を進んで行こうではないか!
知り合いの、熟練サーファーが、その昔言っていた。
”分かれ道に差し掛かった時、どっちが正しくてどっちが間違いというのはない。どちらでもいいから自分が信じる方を選んで、それを、わき目も振らずに一心に突き進んでいく。突き進んで突き進んで、突き進み切った後で、うしろを振り返ってみると、そこには道が出来ている。正しいのは道じゃない。自分がその道を作るんだよ。”
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