シェーナはハワイ生まれの4世。
両親は二人とも日系で、彼女が生まれる前にオレゴンから移住して来た。
片言の日本語を話し、一緒に居ると、色んな場面でケンソンする。
タイソンは、シアトル生まれの4世。
お父さんはアイルランド人で、お母さんは日系3世。
日本語で知っているのは、「ヨイショ」の一言。
おばあちゃんがよく言ってたそうだ。
瞑想のコースで一緒になって、全部で60人もの参加者がいたにも拘らず、
終わったら、瞬く間に仲良くなった。
二人とも、少しだけはにかみ屋で、人に合わせたり、譲ることを血で知っている。
シェーナは、コツコツと貯めたお金で、世界一周45カ国を回った後、今は女一人、自分の家を建設中だ。
瞑想コースの手伝いで、作業が遅れているというので、数日だけ、果物の木を植える作業を手伝った。
3世のお母さんと4世のシェーナと私。
汗水垂らして、黙々と働いた。
コミュニケーションは英語。
けれど、みんな日系で、みんな同じ顔かたち。
3人で地べたに座って、お昼を一緒に食べた。
お母さんお手製のお弁当には、ご飯がたくさん詰められていた。
タイソンは、フラメンコギターを学ぶ為、長い事スペインに住んでいた。
ハーフだけど、日本人には見えにくい。
スペイン語を喋っている感じは、どちらかというと、ラテンかアラブの血が混じっているように見える。
だが、瞑想の時間になると、彼の姿は一変する。
背筋をすっと伸ばし、映画に出て来るサムライのように、凛として動かない。
他の殆どの生徒が、1時間もすれば、我慢出来ずに足を崩したり、モジモジしている間
も、彼は、最も経験の長い瞑想者として、一番前の席に座り、そこだけ、明らかに違う
空気が漂っていた。
シェーナに紹介されて、世間話をする中で、目の前の彼が、あの瞑想の達人であることがわかって、本当に驚いた。
更には、「実は僕、半分日本人なんだ」という言葉を聞いて、何も知らずに声を掛けたシェーナが今度は、唖然とした。
忘れてしまうくらいに何度も、今まで瞑想コースに参加したという。
シェーナもその昔、エクアドルに住んでいたので、スペイン語が堪能な二人は、殊更気が合った。
私が、おじいちゃんとおばあちゃんの馴れ初めを聞くと、同時に、
「収容所で、出会ったんだよ。」と言って、お互い顔を見合わせた。
私達、日本人の知らない世界。
戦争に負けて、長い間、収容所に捕虜として、辛い生活を強いられたその中で、運命の出会いをした二人。
二人が出会った瞬間、それはどんなだったのだろう?
私達の想像を上回る、強い強い絆、そして結びつき。
二人で力を合わせて、異国の地で、どれだけ頑張って来たことだろう。
シェーンもタイソンも、いつか是非、日本に行ってみたいという。
自分のルーツの源である日本を、いつか是非、彼らに訪ねて欲しいと願っている。
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