Aaron, born in Dec, 2012 |
先日、勤務先のホテルから、スタッフ全員に、七面鳥が贈られた。
クリスマス用のギフトとして送られた物なのだが、5キロもある肉の固まりを受け取って、私は途方にくれた。
私には、この肉を一緒に食べてくれる家族がいない。
相方とは、体調の思わしくない両親とクリスマスを過ごすため、昨日、単身でアメリカに旅立った。
それに反して、クリスマスのイベントと重なって、ホテルの仕事は多忙を極め、私にはクリスマスはないものと、決めて掛かっていたところに、突如として、この七面鳥が現れたのだ。晴天の霹靂とは、まさにこのことである。
他のものならともかく、日本では馴染みのないこの食べ物を、一体どうすればよいと言うのだ?
捨てるのは、気がとがめるし、だからといって、誰かにあげるというのも、癪に障る。
“あんなに大きな肉、どうすればいいの?”と、昼休みに従業員食堂でぼやいたら、たまたまそこに居合わせたバトラーが、“それだったら、◯◯に売れば言いよ。誰か、売りたい人、いないかって探していたから。”と言う。
そう聞けば、願ったり叶ったりだ。
ずっと忙しさ続きで、七面鳥どころか、最近は、料理する暇もなければ、ゆっくり家で食事を取る暇もない。
起きて、仕事にいって、帰ってきて、ネットをチェックして、寝床に入って、また起きて・・・の繰り返し。
こんなことを望んで、働いている訳ではないが、1月に客足が落ち着くまでは、我慢するしかない。
何はともあれ、買ってくれるという人も現れて、ひと安心。
休憩後は、残った仕事を一気に片付けた。
そして、シフトが終わる時間に席を立って、はっとした。
誰も、七面鳥を取りに来なかったではないか。
しかし、これは、メキシコでは実に良くあるパターンなのだ。
来ると約束して、来ない。
買うと言って、買わない。
払うと言って、払わない。
もう、怒る気も失せるくらい、こういうことが日常的なのだ、この国では。
馬鹿馬鹿しくなったので、仕方なく、肉の入った重いビニール袋を担いで、帰路に着き、家に帰って、冷凍庫を開けてみたが、およそ入る余地もない。
そこで、しばらく考えたあとで、相方に、誰か、私の代わりに七面鳥を料理してくれる人はいないかと尋ねてみたところ、知り合いのアメリカ人女性に、聞いてみてくれるという。
そこで、しばらく考えたあとで、相方に、誰か、私の代わりに七面鳥を料理してくれる人はいないかと尋ねてみたところ、知り合いのアメリカ人女性に、聞いてみてくれるという。
彼女は、今こそリタイアしてしまったが、ここで、観光客用のケータリングを長いことやっていたのだ。
しばらくして、承諾をもらったので、有り難くお願いすることにし、ほっと一息付いたところで、次なる疑問が頭に浮かんできた。
焼き上がった七面鳥を、どうすればいいのか?
一人で食べるなんて、あまりにも味気なさ過ぎるし、かといって、この時期に、自宅に人を呼んで、あれこれ気を使うのも、煩わしい。
それならいっそ、日本語の生徒を呼ぼうか?いやいや、未成年だからそれはまずい。
だからといって、誰か呼んだとしても、とても、2人や3人では食べきれる量でもないし、結局、そういったことを、ぐるぐると考えていると、それだけで疲れてしまった。
いつものパターンだ。
私の母は、良くこう言った。
“ものはあればいいってものじゃない。ものが増えれば、それに対する責任が付いてくるし、身動きも取りにくくなる。だからものは、最低限であるに超したことはない。”
本当にその通りだと思う。
欲しくもないものを貰ってしまったばかりに、あれこれ気を揉まなければならず、振り回され、消耗するばかりではないか。
だんだんイラついてきたので、相方に電話して、こう言った。
“やっぱり、要らないから、誰かにあげるようにダイアナに言って。”
私の為に、わざわざ出先から取りに来て、その足でダイアナに届けた彼は、これがかなりカチンときたらしい。
“君の為に、ない時間を裂いて、取りに行ったんだ。今更、辞めるなんて言わないで欲しいね。誰もいなくったって、一人で食べたらいいじゃなか。余ったら冷凍すれば、いつまでも持つだろう?”
“だから、そういう話をしてるんじゃなくて、私には、家族がいないから、それが嫌だって言ってるの。”
“そんなこと、僕がどうにか出来るとでもいうのか?”
こうなると、話はいつもの悪循環である。
話が全くかみ合わず、ストレスも頂点に達したので、早々に電話を切り、翌日は休みだったので、何も考えないように羽を延ばし、翌々日、ホテルに出勤してロビーを歩いていると、ホテルのドライバー、ラファエルが、こちらに歩み寄って来た。
このラファエル、日本に関心があるのか、いつも 好意的かつ物腰も柔らかく、挨拶してくるのである。
まるで日本人であるかのように、深々とお辞儀をし、“こんにちは。”とか、“少々お待ち下さい”とか、新しく覚えた言葉を何度も繰り返し、言ってくる。
私が従業員食堂で、食べている時もそれは同様で、必ず一言二言、話しかけてくる。
人で込み合って、他のメンバーが、何か、別の話題で盛り上がっている時も、遠く離れた机の向こう側から、その話を遮るかのように、日本に関する質問を、次から次へと投げ掛けてくるのである。
そして、ある時私は気がついた。
彼は気付いているのだ。容赦なく続く、早口のスペイン語の会話の中に居て、私が、疎外感を感じていることを。
彼は気付いているのだ。容赦なく続く、早口のスペイン語の会話の中に居て、私が、疎外感を感じていることを。
他のスタッフは、大概、自分のことに精一杯で、他人のことなど、気に掛ける様子もなく、自分達の話に興じている。そして、彼らには、そうする権利がある。
けれど、大勢に囲まれて、何か、おかしなことを言って皆で笑っている時に、自分だけ、その内容が理解できず、ぽつねんとしていることが、決して快適ではないことも、また確かなのだ。
ラファエルは、いつも通り、礼儀正しく挨拶をしたあとで、七面鳥はまだあるかと聞いて来た。なんだ、欲しいと言っていたのは、彼のことだったのか。
そして、当日取りに来なかったのは、お抱え運転手の身の上にて、ホテルに居なかったからだということも、容易に想像できた。
そして、当日取りに来なかったのは、お抱え運転手の身の上にて、ホテルに居なかったからだということも、容易に想像できた。
が、ないものはしょうがない。“残念だけど、ちょっと遅すぎたな。もう、他の人のところに持って行ってしまったよ。”と告げると、“それならば結構です。”と彼。
しかし、不思議なのは、皆貰ったはずなの七面鳥を、どうして他にも欲しいのだろう?
家族一つ賄うには充分すぎる量であるのに。
そこで再び尋ねると、彼は、こう言った。
“私は、毎年、 貧しい家族に、七面鳥を送るプロジェクトを行っています。家族は全部で20以上あるので、売りたいと希望する人が居れば、その人から買って、それを届けているのです。そうすれば、普通の値段で買うより、安く買えるので、”と。
私は、その事実に驚くと共に、自分の軽率さを恥じ、代わりに、料理済みの七面鳥は要らないか、聞いてみた。
彼は、私に心配しないように言い、来年、是非また協力して下さいと言って、それで会話は終わるはずだった。
が、その時、突如閃いたことがあった。
そういえば今朝、とある代理店の方から、クッキーの箱を頂いたのだ。
クリスマスの贈り物に、と送ったクッキーのお返しにと、受け取った、別のクッキー。
私は彼に、少し待ってもらうように言い、ロッカーのかばんの中から、何枚かの紙幣を取り出して、封筒の中に入れた。
このお金は、相方が、今朝、私のバッグの中に、スタジオを尋ねていった交通費にと、こっそり入れてくれたもので、その脇に、クリスマスに、誰かにあげようと思って作っていた、自作のサンタクロースの折り紙を添えた。
結局、代理店からのクッキーに、相方から貰ったお金、そしてサンタクロースが勢揃いして、私は、それを彼に手渡した。
贈り物は、彼を通して、その家族に渡されることになった。
贈り物は、彼を通して、その家族に渡されることになった。
彼は、深々とお辞儀をして私にお礼を言い、私は彼に、贈り物をさせて貰えるチャンスをくれたことに対して、感謝を述べた。
独りきりで過ごすことに沈んでいた私の心は、こうして、やっと軽くなっていった。
クリスマスを共に過ごす家族がいないことは、寂しいことではあるけれど、
でも、代わりに、他の知らない誰かと繋がるチャンスを、私は受け取った。
そして、それが私に取っての、何よりものクリスマスギフトになった。
一年で、一番愛に溢れるこの季節に、誰かと、心を通わせ合うことが出来た奇跡に感謝して。
皆様に取って、素敵な一日となりますように。
メリークリスマス!
メリークリスマス!